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ブックマーク / famicoms.net (2)

  • 今さら「バーチャルボーイ」が売れている本当の理由

    <バーチャルボーイ失敗の原因> バーチャルボーイは、全世界で1億5千万台も売れたゲームボーイの生みの親、横井軍平氏が手がけたゲーム機である。同氏は、これを最後に任天堂を去ろうと思っていたという。 1995年5月発行の「寿現夢」創刊号にて、横井氏はバーチャルボーイについて100点中130点の出来と評しており、そうとう自信があったことがうかがえる。 しかし実際は不振に終わり、その後、横井氏はゲームボーイポケットを手がけて任天堂を去っている。では、なぜバーチャルボーイは不振に終わったのだろうか!? その原因は当時のテレビゲームを取り巻く状況にあったと見られている。 94年末にセガサターン、プレステが発売され日は空前の次世代ゲーム機ブームとなった。バーチャルボーイが発売されたのはその翌年の95年であり、いわば日中がゲーム熱にうかされていたような状態だったのだ。 そもそもバーチャルボーイはテレビ

    今さら「バーチャルボーイ」が売れている本当の理由
  • 日本の行政はいまだに“ゲーム=ファミコン”だと思ってるらしい

    ファミコンブーム真っ只中の80年代後半の日において、ファミコンはまさに家庭用テレビゲーム機の代名詞だった。 ◆当時のゲーム屋事情◆ 当時のゲーム屋は「ファミコン」という看板さえ掲げておけば商売ができたのだ。それはスーパーファミコンが発売されても同じだった。ゲーム屋は相変わらず「ファミコン」の看板を掲げて何わぬ顔。スーパーファミコンだってファミコンじゃん。なにがいけなの。と言った調子だ。 さらに年月は経ち、セガサターン、プレイステーションが発売された。いわゆる次世代ゲーム機の時代に突入したのだ。しかしゲーム屋は「ファミコン」の看板をおろさない。べつに誰も困ってねえじゃん。と言った調子だった・・・・・・ ちょうどその時代(1994年頃からファミコン再評価時代に移るまでの数年間)はファミコン氷河期だった。誰もファミコンなんか見向きもしてなかったから、よくディスカウントショップのワゴンに11

    日本の行政はいまだに“ゲーム=ファミコン”だと思ってるらしい
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