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萌えと考察に関するcubed-lのブックマーク (4)

  • 萌えの定義 - 萌え理論ブログ

    前書き 「萌え」という語が実際に使われる場面はそれほど多くない。それは例えば今の2ちゃんねるで、「厨房逝ってよし!」というレスをさほど見ないのと同じだろう。いわば古典化している。しかし、古典的な語だからこそ、分析する意義もあるのだ。 「萌え」という語が現実に使われるときの用法はもちろん多岐に渡るが、その全てをカバーして記述しようとすると、かえって焦点がぼやけた把握になってしまう。シンプルなモデルで考え、「萌え」という概念はそれ以前とどこが違うのか、明確にするのがここでの目的だ。 「愛」と「萌え」との違い――時間と空間―― 「好き」 個体への「愛」 属性への「萌え」 まず、「萌え」が「好き」と、単純にイコールで言い換えられるのであれば、そもそも分析に値しない。実際、そのような意味でも使われているが、ここではどう違うかを明確にするために、近代的な「愛」と対比させる。 「愛」 「Aさんの属性aも

    萌えの定義 - 萌え理論ブログ
  • 萌えにもロングテールの物語性がある - 萌え理論ブログ

    萌えとロングテール 萌え理論Blog - キャラを通じて作品群をインテグラルに見る読者性=萌え(前回) ムイミムイミムイミミーちゃんよ!! - ロリコンファル メタ的な快楽的差異だけがあるのだ、無意味万歳って話ですよね…(^^; 作品に物語としての意味を見出すべきだという論説に「メタ的差異の無意味万歳」 という意見を出すのは…、う〜ん、噛み合ってないような……。 「物語派」と「キャラ萌え」と「属性萌え」の対立 - 絵文録ことのは 世界全体=物語派←→世界の一部である人物=キャラ萌え 人物の全体=キャラ萌え←→人物の一部の特徴=属性萌え こう書いてみると極めて当たり前のことでしかないのだが、視野の広さ、見ている範囲の違いは歴然としているといえよう。 それがですね、萌えは無意味だとか視野が狭い、といった常識的な思考をひっくり返したのが、前のエントリなわけですよ。でも前回ちょっと硬めに書いたら、

    萌えにもロングテールの物語性がある - 萌え理論ブログ
  • 「物語派」と「キャラ萌え」と「属性萌え」の対立 [絵文録ことのは]2006/12/13

    これはもうだいぶ以前からなのだが、小説やマンガなどの作品に接するとき、物語世界全体を総体的に楽しむ見方と、そうではなく、ある特定の登場人物(キャラクター)に思い入れる人たちがいて、この二つの立場の人たちはかなり相容れない場合が多かった(このブログ的に言うなら、それこそ「物語文化圏」と「キャラ文化圏」の衝突である)。 さらに、特定の「登場人物」ではなく、「属性萌え」とでもいうべき現象が起こっていることは、東浩紀氏が提唱した話である。 「物語」総体として受け入れるか、「キャラクター」に思い入れを込めるか、それとも特定の「属性」さえ有していればそれでいいのか。この3つの見方について、改めて思うところを書いてみる。

  • pêle-mêle -「萌え」と虚構性

    あまり指摘されていないが、「萌え」には虚構性が欠かせない。たとえば美少女ゲームのヒロインやアイドル歌手と実際に恋愛できる可能性は少ない。だからこそわれわれは安心して萌えることができる。 しかしこれがクラスの同級生や会社の同僚となったらどうだろう。同僚から「オレ、第二書籍編集部の○○さんに萌えてるんだ」などと言われたら、「萌え文化」に理解のあるひとでも多少は戸惑うだろう。なぜそこで普通に「好き」とか「可愛いよね」と言えないのか。 もっとも身近にいる人物を「萌え」の対象にして妄想することは、ないわけではない*1。この場合は、相手に何らかのフィルターを通して、意図的に距離を作っているのだろう。自分が傷つかないために、あるいは相手を傷付けないために。そして「何らかのフィルター」ができあがるまでのプロセスに、オレはいま関心があるのであった。 *1:たとえば「げんしけん」の荻上を参照せよ。 上のエント

    pêle-mêle -「萌え」と虚構性
    cubed-l
    cubed-l 2006/02/20
    萌えそのものがフィルタなんじゃないかと適当言ってみる
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