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ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (3)

  • なぜ「涼宮ハルヒの憂鬱」はセカイ系なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「外部産出型」としてのセカイ系 「涼宮ハルヒの憂」の最終回を見たが、なかなかおもしろいかった。最終回の前半まで退屈が描かれ、突如クライマックスが訪れる。ボクは「涼宮ハルヒの憂」が「セカイ系」の構造があるといっていたが、最終回はまさにそのものの展開として終わった。 ボクは、「なぜ「デスノート」はセカイ系ではないのか」*1においてセカイ系を以下のように説明した。 ■セカイ系は、無理矢理にでもハルマゲドン(外部)を産出しようとする表現=「外部産出型」の系列にある。 ■外部産出型は、「内部/断絶(ファルス)/外部」の構造を持つ。社会(大きな内部)の閉塞感の中で断絶(ファルス)の存在が外部への道を開く。たとえば「デスノート」では断絶(ファルス)とはデスノートであり、外部とは死神界である。 ■「外部」とは、未知であり、なんの背景もなくただ不気味に殺戮にやってくる敵である。そしてこちらもなんのためら

  • 続  オタクであることはなぜ恥ずかしいのか その1 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    kagami 「 オタクであることはなぜ恥ずかしいのか」http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060524の構造分析についてはその通りだと思いますが、オタクアニメの質的なものがセカイ系というのは、作品ごとのケースバイケースではないでしょうか。確かにセカイ系のアニメも多いのは事実ですが、AIRなどは明らかにセカイ系とは対極にあるものですし(前世での罪の責任を取って死ぬ)、今期のアニメでも、「ガーゴイル」(門番としての義務と責任を果たす)「ゼーガペイン」(幻の世界であることを受け入れた上でのその世界への責任の取り方)「西の善き魔女」(社会秩序と個人倫理の対立)「彩雲国物語」(ノーブレス・オブリージュ)「獣王星」(サバイバルへの意志)など、セカイ系でくくれないオタクアニメは山ほどあるかと思います。ただ、セカイ系がオタクに人気があるのは、確かでしょうね…。 pikarr

    cubed-l
    cubed-l 2006/05/25
    pikarrr氏が述べてるのはアニメ版の話なのか原作の話なのか。たぶんアニメ版なんだろうが
  • 「どうして人を殺してはいけないのですか?」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「死」の心身二元性 「死」とは、概念です。この概念は「人間」のみに可能です。動物は「殺す」ことはありません。「死」の概念がないので、「他者を潰そう」ということはあっても、そこに「死」への目的性はありません。 (「人間」の)「死」という概念は、「この私」という個人の尊重によって、生まれています。「この私」というとき、「死」は最高の「強度」をもち、逆に「集団の中の一人」のとき、いわば身体を形成する1細胞という集団の新陳代謝の1個体のように「死」の「強度」は低下します。 だから「殺す」=「他者を死へ至らしめる」ということは、「他者」とは「この私」の反転としての「このあなた」であり、個人の尊重された存在であり、「殺す」という概念には、すでに始めに「禁止」が内在されているのです。 このように「死」、「殺す」という言説を考えるとき、「人間としの人」と「動物としての人」の二面性、「心身二元性」を見る必要

    「どうして人を殺してはいけないのですか?」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
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