三重県熊野市飛鳥町小阪の平の集落で、水難をもたらす河童を近づけないためにキュウリの栽培を三百年間禁止していましたが、30年前に栽培の禁を解いたそうです。 「キュウリ作らず」の禁を解いた1983年に、住民がお祓いをした大又川のほとりには高さ40センチの石碑があるそうです。 中日新聞によると『市史によると、集落近くでは大雨の時、川に落ちて死ぬ人が多く、かっぱの仕業と恐れられた。ある時、牛を引きずりこもうとしたかっぱが、逆に陸に引き上げられ、村人から袋だたきにされた。かっぱは「自分の好物のキュウリを作らないのならもう出てこない」と許しを乞い、解放された。 平集落では、かっぱとの約束に基づきキュウリ栽培は固く禁じられ、かっぱがとりわけ好む「へた」は食べずに捨てるよう伝えられた。農業の手取りを増やそうと、一九八〇年代初頭にキュウリ栽培の機運が高まったが、禁の解除をめぐって住民らの話し合いは何度も紛糾