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仏教に関するcuttoff19のブックマーク (5)

  • ファシズムと宗教 | 五木寛之×中島岳志特別対談 親鸞思想の危うさをめぐって | 五木寛之 , 中島岳志 | 対談・インタビュー | 考える人 | 新潮社

    五木 はじめまして。今日は私の方が色々とお伺いする側です。私は一人の小説家ですが、中島さんは学問の世界で仕事をされている。立場は違いますが、忌憚のないお話をできればと思います。 中島 こちらこそ、よろしくお願いいたします。 五木 さっそくですが、中島さんが8月に刊行される『親鸞と日主義』(新潮選書)。これは明治以来の大きなテーマですね。「考える人」での連載中から、ひょっとすると願寺をはじめ親鸞を祖師として戴く浄土真宗の関係者は驚天動地の騒ぎになるのでは、と思いましたが、意外なほど周囲の反応が聴こえてこなかった。そこが私にとっては疑問であり、不満でもありました。 中島 連載中から読んでくださったとは、ありがとうございます。開始が2010年でしたから、になるまで7年もかかってしまいました。 五木 中島さんの一つのライフワークですね。最近出された島薗進さんとの対談『愛国と信仰の構造』でも、

    ファシズムと宗教 | 五木寛之×中島岳志特別対談 親鸞思想の危うさをめぐって | 五木寛之 , 中島岳志 | 対談・インタビュー | 考える人 | 新潮社
  • ばくだんいわ雑談所 ちょっと仏教について - このやる夫スレ、まとめてもよろしいですか?

    このやる夫スレ、まとめてもよろしいですか? まとめ”だけ”を読んで安価スレに参戦なさる行為は大変危険ですので、必ずスレと注意事項をよく読んでからお楽しみ下さい。 4888 : ◆QOOmW3I0SM : 2014/07/02(水) 12:17:31.22 ID:beqJDHmG ところでちょっと仏教について語っていいですか。 4895 : ◆QOOmW3I0SM : 2014/07/02(水) 12:23:26.95 ID:beqJDHmG 【1.仏教的な苦楽と、その救済は】 仏教でいう苦というのは「日語でいう苦しみ」と違って、「思うようにならない苦しみ」みたいなニュアンスです。 さて、その観点からこの世をよくよく観察すると、 「外的な苦しみ」があり、「あったはずの楽が去る苦しみ」があり、 そして「そもそも一切が無常だから、自分も含め何もかも死に、壊れてゆく苦しみ」があります。 だか

  • 隠れキリシタン - Wikipedia

    聖母マリアを描いたお掛け絵 隠れキリシタン(かくれキリシタン)について、すなわち禁教令下の日において信仰を続けたキリシタン、および禁教が解かれた後もカトリック教会に合流せず、旧来の信仰を守ったキリシタンについて論じる。 「隠れキリシタン」は、禁教令下でキリシタンとしての信仰を続けた人を言い表す一般的な名称である[1]。また、禁教令解除後も先祖代々の信仰を守ったキリシタンもあわせてそう呼ぶこともある[2]。しかし、研究上は禁教下のキリシタンを「潜伏キリシタン」、禁教令解除後もカトリックに吸収されなかったキリシタンを「隠れキリシタン(かくれキリシタン・カクレキリシタン)」と呼び分けることがふつうであり、かつこの用法は一般的にも定着しつつある[1]。「隠れキリシタン」という言葉の初出は不明であるが、1940年(昭和15年)刊行の『カトリック大辞典』には「かくれキリシタン」の記載があり[3]、同

    隠れキリシタン - Wikipedia
  • 蝉丸Pが後輩君と仏教話

    蝉丸P@「住職という生き方」「つれづれ仏教講座」発売中 @semimaruP 後輩君もガタイの良い子であったが三分の二ほどになっていて、苛酷さが偲ばれる。リアルに命がヤバイ状況の国に暮らしつつ、ようやるよなぁ…と思うが、人の曰く、1日一であろうが三であろうが、心に不満のある人間はやせ細るし、ま、これでいっか、と言う人間は一定のラインで止まるとか 2010-04-21 02:52:19

    蝉丸Pが後輩君と仏教話
  • 65fujou

    不浄観の話 不浄観(ふじょうかん)というのは、自分、あるいは異性の肉体に対する執着を離れるための修行法のことで、白骨観(はっこつかん)とも呼ばれる。 その実践方法としては、人体が大小便や血や脂などの不浄に満ちていることを観想(かんそう。心に思い描く)する方法と、死体が腐りウジがわき白骨となっていく過程を観想する方法とがあり、自分の体に対する執着を去るためには前者を、異性の肉体に対する執着を去るには後者を行うとされる。 また観想ではなく、実際に死後の人体の変化を観察する方法もある。この場合は時間がかかるので、死体の近くに寝泊まりする小屋を作って観察することもあったという。 大法輪誌の平成十三年三月号に、タイ国で実際に行われている不浄観が紹介されていた。タイの寺院で修行している日人僧が書いたもので、それによるとタイのある寺院では、不浄観を修するための犬の死がいが裏庭にさらしてあり、女

    cuttoff19
    cuttoff19 2013/09/30
    不浄観の話
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