s8o曰く、"静岡新聞によると,1976年に東海地震説を提唱した神戸大学理学部地球惑星科 学科の石橋克彦教授(当時東大理学部助手)が 地震発生のメカニズムと切迫性についての当時の解釈が結果的に間違っていたと する考えを明らかにした.「駿河湾地震(東海地震)は1944年(昭和1 9年)の東南海地震の割れ残りで、すぐにも起こるかもしれないと考えた。30 年たって、現実にまだ起こっていないのだから、『割れ残り』という解釈は間違っ ていたと言われても仕方ない。」 また,同新聞では,「沈黙の30年」と題して,東海地震説が世に出てからの30 年をふり返る特集( 第1章, 第2章)を連載している. 東海地震については,地震学者によって,1945年の三河地震でひずみが解放され たという可能性や,東海地震のセグメントが単独ではすべらない可能性も指摘さ れるなど,シナリオに関する疑念がなかったわけではない.「