80年代半ば、アーケードゲーム華やかりし頃、タイトーの第一開発室にいたよ。この会社は、もともと開発部は外注の会社を吸収したのがはじまりだったので、社内での開発部の地位は最低だった。会社自体も元は「他から買って売る」のが主体だったので、自社製品にこだわりは持ってなかった。だから平気で「他社の○○を真似したゲームを作れ」という命令が出たりする。開発部も問題があって、しっかりしたリサーチと企画ができるやつは少なかった。だから営業の要求に対して説得力のある企画が出せなかった。いまから考えれば、素人同然の「ゲーム好き」が作ったものが何万台も売れ、全国の支社、営業所、工場を支えてたなんて夢みたいな時代だったよ。 そんだけ。