ブックマーク / blog.livedoor.jp/dsakai (2)

  • ねことか肉球とか:「戦後民主主義・コンフォーミズム・天皇制」

    樋口陽一・大嶽秀夫「戦後民主主義・コンフォーミズム・天皇制」、『法律時報』61巻6号、1989年。 シリーズ・大嶽秀夫を読む(58)。 この対談は、樋口陽一との二度目の対談である。なお、大嶽と樋口の関わりについては、このエントリを参照。 大嶽の「政治」概念が、政府レベルだけでなく、「社会のなかの政治」にまで拡大されたことは以前述べた。後年の大嶽の言葉でいえば、 「筆者の研究の出発点は、狭義の政治現象を超えた、経済的活動の場における権力作用への強い関心にあった」(『20世紀アメリカン・システムとジェンダー秩序』x-xi頁)ということである。このように、大嶽の研究は当初から、大企業の経済権力、すなわち「社会のなかの政治」への視角が含まれていた。 ただ、こうした「社会における政治」への視角は、当時の政治学にとって(あるいは現在も)、必ずしも一般的ではなかったことには、注意が必要である。むしろ伝統

    cynsyg
    cynsyg 2016/02/17
  • ねことか肉球とか:「神島二郎の近代日本『精神構造』の分析」

    シリーズ・大嶽秀夫を読む(44)。 後に加筆修正のうえ、『戦後政治政治学』(以下「同書」という。)の第I部第5章に収録された。 既に触れてきたように(参考1・2)、同書には戦後政治学を批判する側面だけでなく、これを継承する側面があることは重要である。この観点からすれば、神島二郎を扱った論文でも同様に、そうした継承の側面を指摘することができる。 そうした継承の具体的内容を見ることも重要だが、ここでは問いを一歩進めて、「なぜ大嶽は神島を批判しながらも、継承しているのか?」ということを考えてみたい。そして実は、この継承のロジックの中に、大嶽の採用する方法――パターン認識――の特徴が現れているように思える。 大嶽の神島への批判は、その民俗学的方法の実証性への疑義が中心である。例えば大嶽は1979年で既に、「検証の可能性という配慮から全く自由に理論構成を試みた」業績の一つとして、神島の論文「磁場

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    cynsyg 2016/02/17
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