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内田樹に関するd-plusのブックマーク (7)

  • ビジネスマインデッドな行政官について - 内田樹の研究室

    橋下徹大阪市長が文楽協会への補助金打ち切りの意向を示してから、「儲からない芸能」を行政が支援することの可否について議論がなされている。 市長が文楽協会の個人的なオーナーであり、彼が経費を支出している立場であるなら、「採算不芳部門は切る」という発言をすることは経営判断として合理的である。 だが、彼は文楽協会の経営者ではない。 地方自治体の首長である。 当たり前のことを確認するけれど、自治体行政はビジネスではなく、自治体の首長は経営者ではない。 にもかかわらず、自治体の首長が予算執行を「経営者感覚」で行っていることを誰も「変だ」と言わない。 私は「変だ」と思う。 誰も言わないようなので、言わせて頂く。 行政官はビジネスマンではない。 「もう少しビジネスマインドがある方が望ましい」という要求はありうるが、そういう言葉はふつう「ビジネスマンではない人間」にしか使われない。 行政は税金で運営されてい

  • 米軍のフィリピン移駐について考える - 内田樹の研究室

    これまでもアメリカの西太平洋戦略の転換を論じるときには必ず触れたことだけれど、1991年、フィリピン政府は米軍基地の存続を図る米比友好安全保障条約の批准を拒否し、植民地時代から一世紀近く駐留した在比米軍は翌年末までに全面撤退した。 米軍撤退に至るにはさまざまな国内事情があったが、「米軍基地の撤収はフィリピンの真の独立の第一歩」という、アメリカの軍事的属国状態からの脱却志向があったことが第一の要因であることは間違いない。 1987年に独裁者マルコスが倒されたあと、当時のコラソン・アキノ大統領は、新憲法を制定し、そこには「外国軍駐留の原則禁止」がうたわれていた。 米軍の海外最大の基地であったクラーク空軍基地、スーヴィック海軍基地はこのときフィリピンに返還された。 外交条約である以上、いくら「かつての植民地」とはいえ、かりにも主権国家内に政府の同意なしに基地を置き続けることはできない。 もちろん

  • 「国民生活」という語の意味について - 内田樹の研究室

    野田首相の大飯原発再稼働について国民に理解を求める声明が発表され、それについての評価を東京新聞から求められた。 声明の全文を読まないとわからないので、全文のpdfファイルを送って貰って読んだ。 驚嘆すべき文章であった。 このようなものを一国の国論を二分しているマターについて、首相が国民を「説得」するために語った言葉として公開してよいのか。 私は野田さんという人に個人的には特に好悪の感情を抱いていなかったが、この声明を読んで「誠実さを欠いた人だ」という印象を持ってしまった。 その所以について述べたい。 そのためには、首相の所信表明演説の全文を読んでもらう必要がある。 【野田総理冒頭発言】 日は大飯発電所3,4号機の再起動の問題につきまして、国民の皆様に私自身の考えを直接お話をさせていただきたいと思います。 4月から私を含む4大臣で議論を続け、関係自治体のご理解を得るべく取り組んでまいりまし

  • 経済成長の終わりと贈与経済の始まりについて - 内田樹の研究室

    平松邦夫さんの新しい政治運動のためのシンポジウムがあった。 労働組合や既成政党が土台という「ふるい」タイプのムーブメントはもう賞味期限が切れていると思うけれど、それへのオルタナティブがみつからない。 「オルタナティブがみつからないで困ったよ」という全員の困惑がはっきり前面に出ていたという点で、私にはなんとなく新鮮であった。 平松さんの市長時代の最後のパーティは選挙応援のためのものだった。3000人くらい集まった集会で、たいへんな熱気だったけれど、労組、政党、業界団体が集票マシンになるという、「ふるいタイプ」の集まりだった。こういうやり方では変化の激しい時代には対応がむずかしいだろうという気がした。 そのときよりはるかに人数は減っていたけれど、昨日のシンポジウムでは明らかに「みんな戸惑っていた」。 これはよい徴候だろうと私は思った。 戸惑うときには、しっかり戸惑った方がいい。 今までのやり方

  • コピペはダメだよ、について - 内田樹の研究室

    卒論を読んでコメントをつけて返すという仕事をしている。 疲れる。 ほとんど同じことをどの学生についても書いているからである。 「出典の書誌情報を明記しなさい」 この二年間、ことあるごとにゼミで言っているのだが、ほとんどの学生はそのほんとうの意味は理解していない。 それをたぶん「ズルをしてはいけません」という警告のように聴いているのだろうと思う。 「カンニングするな」とか「授業中私語をするな」とか「教室でカップ麺をべるな」というような注意と同列のものだと、たぶん思っている。 しているところを見つかったら叱られるけれど、見つからなければどうってことない、とたぶん思っている。 それでいったい誰が困るというのよ、とたぶん思っている(キムチ味のラーメン臭が教室に漂っていると、次の授業に教室を使うものは苦しむぞ)。 自己利益の追求を優先させることは悪いことではない、と教えられてきたからである。 自己

  • 不便さと教育 - 内田樹の研究室

    丸善が出している『學鐙』という雑誌に教育論を寄稿した。 一般の方にはあまり手に取るチャンスのない媒体なので、ここに採録しておく。 不便さと教育 というタイトルを頂いて原稿を書くことになった。たぶん「教育と効率」の背馳について論じて欲しいというのが編集部の趣旨であろうと思うので、それについて書くことにする(違ったらごめんなさい)。 教育と効率は質的になじまない。というのは、効率というのは、「単位時間内の仕事量」を以て考量するものであるが、教育がそのアウトカムを計測するときの時間の幅は原理的に「その人が死ぬまで」というもので、「単位時間」を切り出すことができないからである。 もちろん、無理をすれば単位時間を切り出して(「1時間以内の」とか「一学期以内の」とか「卒業時までの」とか)教育のアウトカムを考量することもできないことではない。 けれども、そこではじき出された数値は、教育を受ける人にと

  • 「ストレスを感じさせない人」が評価につながる――神戸女学院大学教授・内田樹氏インタビュー - 日経トレンディネット

    神戸女学院大学で教鞭をとる傍ら、執筆活動にも精力を注いでいる内田樹氏。様々な視点から現代社会の仕組みを読み解く内田氏が考える現代人のストレスと、その対処法を語ってもらった。 (取材・文/高橋朋子、写真/川聖哉) 内田樹(うちだ たつる)。1950年9月30日生まれ。神戸女学院大学教授。 東京大学文学部仏文科卒、東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退後、同大学人文学部助手などを経て、現職。専門はフランス現代思想、映画論、武道論。合気道六段、居合道三段、杖道三段を持つ武道家。著書に『下流志向』、『私家版・ユダヤ文化論』(第6回小林秀雄賞受賞)、『ひとりでは生きられないのも芸のうち』など多数。(画像クリックで拡大) ――大学教授、エッセイスト、武道家とさまざまな顔をお持ちですが内田先生の、1週間のスケジュールをお聞かせください。 内田: 業は大学教授なので週4日、神戸女学院大学で授業が

    「ストレスを感じさせない人」が評価につながる――神戸女学院大学教授・内田樹氏インタビュー - 日経トレンディネット
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