わたし自身がA案可決にどうにも引っかかるのは、家族の意志で提供が可能という「子どもの臓器提供」についてなのだと思う。生前の本人の意思の前提が無い。この、どうにも引っかかるところに答えてくれているのが「7月17日更新分」にもリンクしたココ。子ども本人の権利への視点に学ぶところは多い。 森岡正博「子どもにもドナーカードによるイエス、ノーの意思表示の道を」(生命学ホームページ) 児童への虐待というものは、ずっと昔は漠然と「子どもに対して殴る蹴る」類のことだと思っていた。娘が生まれて子どもへの虐待というものは、もっともっと身近なものであるのだと思い知った。わたしは、子どもへの虐待という行為にとても身近なところにいたのだと思うし、これからも近いところにいるのだと思う。 娘はわたしの所有物ではない。生まれたときから彼女自身の人生が始まっている。娘はダウン症であるわけで。いいとか悪いとかじゃなく、彼女は