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  • 出来ることよりもやりたいことをやる  - ヒロニャン情報局

    私は仕事を辞めて無職になりました。 子供の頃から成績優秀で、なんでも卒なくこなせた私はなんの苦労もなく一部上場企業へと就職しました。 はたから見れば、とても順風満帆に見えたことでしょう。 私も苦労せず一部上場企業に就職出来たことに満足していたのですが、働きだしてすぐ後悔しました。 なぜなら、その会社に入りたくて入った訳ではなかったからです。 何社か受けた中で一番最初に受かった一部上場企業だっから、という理由だけで決めた会社でした。 初めての会社勤めはとてもしんどかったです。 慣れない上司との飲み会に笑えないおやじギャグ。 新入社員でありながら、ベテランの派遣社員やバイトに指示を出す立場。 そんな私が仕事を辞めようと思ったのは、生理痛が酷すぎて立っているのもしんどい日のことです。 あまりのしんどさで休ませて欲しいと職場に連絡を入れると、「遅刻でもいいから、今日は来て欲しい」と言われ薬を飲んで

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  • 妹よりも彼を選んで一人になった - ヒロニャン情報局

    私は以前、妹と暮らしていました。 私たちはあまり良い環境では育っていなかったので、妹と一緒に逃げるように家を出て一緒に生活をしていました。 互いに協力し合うことが条件だったのですが、元々家事が苦手な妹は家事をしないことが多く、私の負担になっていました。 不満は募っていたものの、それでも協力して生きていこうと思っていたのです。 そんな時、私は一人の異性と出会いました。 自由奔放な人でしたが、私をぐいぐい引っ張って恋人関係になったのです。 実家暮らしだった彼は私の家に来ることも多くなったのですが、それが気に入らなかったのが妹です。 彼は日ごろタバコを吸っているのですが、妹はタバコが嫌いなので家に来たときにはすわないようにしていたのですが、家に来るだけでも臭いといわれ、彼を家に呼ばないことにしました。 しかし、次第に彼といる時間が長くなっていき、これまでは苦労を共にした妹と過ごす時間が多かったの

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  • 離婚しボロボロになった私・・人生やり直すことに成功 - ヒロニャン情報局

    大学を卒業して入社した会社で、3歳年上の上司がとても優しくしてくれるので惹かれました。 学生時代に男性と付き合った経験がなく、その上司仕事を教えてくれたり事に誘ってくれるので、好きになってしまったんですよね。 上司から告白されて付き合い始め、1年後に結婚して私は寿退社をしました。 この時はとても幸せだったのですが、その後転落人生へ。 夫は釣った魚にエサをやらない人だったのです。 私は若いのでもっと会社で働きたかったのですが、夫の希望で専業主婦になりました。 でも夫は生活費を少ししかくれないので、どこへも行けず家で1人で過ごすようになったんです。 夫からもえらる生活費が少ないので美容室へ行くのは1年に1回、化粧品も100円ショップで買いました。 若いのに肌がボロボロ、不眠になりました。 夫は飲み会、ゴルフ、趣味などに贅沢にお金を使ってリフレッシュしていますが、私は籠の中の鳥のような生活。

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  • 最低な男との関係をスカッと解消してやった体験談 - ヒロニャン情報局

    近所の保育園で保育補助の仕事をしています。 当時は年長組のお手伝いをしていて、とても手のかかる子が多いクラスで大変でした。 物や人に当たったり感情的になって暴れる子どももいて補助でしたがそういう子どもの対応をすることもありただでさえ大変な業務に携わっていました。 その保育園では通常20人の年長クラスだと担任は2人なのですが、発達が気になる子どもが多いので担任が3人プラス私が補助で入っていました。 ある午前中の保育中、担任の当時25歳くらい3年目の男性保育士と保育室で10人位の子どもたちと過ごしていました。 一番言葉も乱暴で好き勝手な事をするカナトという子がいて、その時も部屋中を走り回ったり玩具を投げたり好き勝手なことをしていました。 療育などにも通っていて担任はそこの臨床心理士とも連携していてそこで言われているということで彼がいわゆる普通だと「走らないで」とか「玩具はなげちゃだめだよ」とか

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  • 弱って冷静な判断が出来ませんでした。 - ヒロニャン情報局

    長く付き合った彼氏が、とても若い女性のことを好きになり、フラれてしまいました。 さらに会社の経営が悪化してリストラされ、人生どん底状態になってしまったことがあったんです。 こんな不幸が次々やってくるなんて最悪だなと思いながらも、生活のために就職活動をしなければと前向きに頑張っていましたが、資格もスキルもない私なので、なかなか就職することができず絶望しました。 そんな時、友人が電話占いにハマっているという話を聞いたんです。 私は今まで占いに興味を持ったことがありませんでしたが、誰にも自分の辛い思いを話すことができず、他人である占い師にだったら話せそうだと思い電話してみたんです。 電話占いのサイトを見て人気のありそうな先生を選びました。 かなり料金が高いと思いましたが、とにかく誰かに話を聞いてもらわないとうつになってしまいそうだと怖かったんです。 実家の両親は持病があり、こんなこと相談したら心

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  • 住宅ローンと自動車ローンの二重苦 - ヒロニャン情報局

    我が家は夫が国家公務員と言うこともあり、東京と地方の転勤を繰り返す生活です。 しかしながら、どこかで住宅を持つ必要があると考え首都圏で一戸建てを購入しました。 毎月12万円の住宅ローン、ボーナス時に30万円の返済です。 しかしながら入居後、3ヶ月で地方への転勤を言い渡されました。 子供が小さかったこともあり一緒に生活するのがよかろうと一緒に引っ越ししました。 もちろん、購入したばかりの一戸建てを売却する事はできません。 人に貸すのも不意と言うこともあり、空き家としてローンを払い続けることにしました。 そして転勤先があまりにも不便でどうしても自動車がなければ生活できない場所でした。 住宅を購入したばかりでなかなかお金もなく、自動車もローンでなければ所有することができません。 結局、自動車ローンも毎月2万円、これに保険料の支払い等を考えるとかなりの金額です。 住宅ローンと自動車ローンを合計す

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  • 近所にクレーマーがいるなんて最悪です!! - ヒロニャン情報局

    結婚して家を買う際、子供を庭で遊ばせたいという思いがあり、そこそこの広さのある土地を購入し、家を建てました。 道を一挟んで向こう側は昔から住んでいる古い家が多く、こちら側は新しい家がどんどん建っていました。 最初のトラブルは地鎮祭の時です。 急に40代くらいのジャージの男性が現れて、「道路に鏡つけるんじゃねーぞ」と言われました。 どこの誰かもわからず、とりあえず、はいと答えると道路を渡ったすぐの家に入って行きました。 鏡は道路から出る時に見ずらくても、自分の家の前に交通ミラーを設置するなということのようです。 交通ミラーは市が設置するものなので、うちに言われても、と理不尽に感じ、折角のお祝いの席が台無しになりました。 その後も工事の最中にはうるさいと苦情があったようです。 メーカーの方が対応してくれましたが、苦情があったとの報告を聞くたびに気持ちが重くなりました。 折角いいところに家を建

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  • 毒親に関する辛い経験 - ヒロニャン情報局

    幼い時から暴力的な母親におびえながら暮らしていましたが、結婚を機にやっと離れられると思って実際に離れたところに住んでいたので、当に安堵していました。 夫の暴力や借金問題や転職を繰り返すなどのトラブルはあったものの、なぜかそんなことは軽々と乗り越えられるメンタルが身についていたのは、まぎれもなく母からの虐待の恩恵に他なりません。 しかし、結婚してからも私の生活を支配しようとしゃしゃり出てくる性格は変わらず、子供のころ機嫌を損ねると暴力を振るわれるヒステリーな母でしたが、体が大きくなってからは力ではかなわないと思ったのか、怒号やヒステリーで先手を打ってきます。 人格が崩壊している母に友達はおらず、親せきからも煙たがられているので家族しか頼る所はありません。 夫からも見放されていて別居している母ですので、何でもこちらに要求してくるどころかお金の無心までしてきます。 トラブルが嫌なのと情けないで

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  • 農家に嫁に来て・・ - ヒロニャン情報局

    結婚とは一体何なんでしょうか? 今も私にはよく分かりませんし、分かりたいとも思いません。 強いて言うなら、好きな男性と家庭を持って、順調に子供が出来たらもう少し違った幸せとかがあって、嬉しかったのかなと今さらながらに思うときはありますが、やっぱり、結婚を考えると、それもになります。 結婚って、向いてる人と向いてない人が居て、私みたいに向いてない人は無理に結婚する必要もなく、自由なおひとり様を楽しむ人生があっても良いと考えています。 私自身、20代の時に一度結婚を経験しました。 元々背が低くて、外見も悪くて、しかも不愛想で地味で真面目なだけの私は、28歳の時に地元の農家の方とお見合いで結婚しました。 今思えば、考え方がかなり甘かったのだと反省しています。 その結婚で、私は人生最大の修羅場を経験しました。 私の簡単な経歴をお話ししますと、地方都市の地元商業高校を卒業後に首都圏の情報系短大を卒

    農家に嫁に来て・・ - ヒロニャン情報局
  • 友人に好きな人を奪われ、行き場がなくなり許せない - ヒロニャン情報局

    当時、私は会社帰りにジャズダンスを習いに行ってました。 その先生は私と同い年で、意気投合し、二人ででかけたり、長電話をするような関係から身体の関係を持つようになりました。 その後、二人の関係は順調に続き、合鍵を渡されるようになりました。 そしてその頃、ジャズダンスを習っているということを友人Aさんに「わかりやすいし楽しいし、受講料もや安いから良いんだよね」と話したところ、興味を持ったみたいで、彼女も参加することになりました。 そして友人Aはたちまちそのダンス教室にすっかり馴染んでしまい、ダンスイベントの参加を彼と友人Aと生徒さん(男性)の3人でダンスチームを作ることになりました。 実は私も参加したかったのですが、私は当時、仕事が忙しい職種だったので無理でした。 逆に友人Aは比較的暇な普通の会社員でしたので、当にあっという間に溶け込んで行ったという感じです。 ダンスチームでの発表会があり、

    友人に好きな人を奪われ、行き場がなくなり許せない - ヒロニャン情報局
  • 夫を見捨てることができない辛い日々 - ヒロニャン情報局

    年下の彼がとても可愛く見えて、この人と一緒に暮らしたら楽しいだろうなと思い結婚しました。 私はとても若かったので、男性の見る目がなかったと思います。 ただ好きだという気持ちだけで結婚してしまって、あとですごく後悔しました。 結婚してから半年後、夫が突然「明日から会社行かない」と言ったんです。 「冗談言ってるの?」と笑って言ったら、夫は真顔で「辞めてきた」と言うんです。 信じられませんでした。 結婚する前は彼はフリーターだったのですが、苦労して就職活動をして正社員として働き始めたんです。 私の親も「正社員になったんなら、結婚してもいいよ」と応援してくれました。 それなのに半年後にあっさりと辞めてしまうなんて信じられませんでした。 どうして辞めたのか理由を聞くと、「つまらないから」と言われました。 詳しく聞くと上司から何度もミスを怒られて、嫌になった様です。 それ以来、全然就職活動をせずに、家

    夫を見捨てることができない辛い日々 - ヒロニャン情報局
  • 「親切な隣人」との金銭トラブル - ヒロニャン情報局

    2~3年前のトラブルです。 当時87歳になる母は元気で一人暮らしをしていました。 私は車で30分くらい離れた距離に住んでいて、週に1度は必ず会いに行き、電話も1日おきくらいにしていました。 近所に買い物や事などとても親切にお世話をしてくれる人がいるという話を聞いていて、私もお礼にうかがったりしていました。 ただ徐々に同じものをどんどん買い込んだり、美容院に毎日行ったりする認知症の兆候が見えてきて、金銭管理は私が行うことにしました。 とりあえずいくらか生活費をおろそうと銀行に行ったら驚くことに、1000万円以上はあるはずだった定期預金が見当たらず定期預金の50万円のみになっていたのです。 びっくりして母に問いただすと「信頼できる知人に預かってもらったから大丈夫」と言って名前を言いません。 銀行に相談して母の認知症の診断書を持っていくことで、母が誰に預けたのか教えてもらうと、近所でとても親切

    「親切な隣人」との金銭トラブル - ヒロニャン情報局
  • 忘れられない放送部 - ヒロニャン情報局

    今回の私のしくじりエピソードは、私が小学生の頃の話になります。 私が小学生5年生だった1980年、私の通っていた小学校では、五年生から学校の中で何かの係を担当しなくてはならなくなり、私は当時流行っていたザ・ベストテンみたいに、皆んなから集まったリクエスト曲を基にして、昼休みに流す曲を選びたくて、人気があった放送部に立候補して、くじ引きまでして何とか希望通り、放送部の仕事が出来ることになり、とても嬉しかったのを覚えています。 でもそれで運を使い果たしたのか、その後のしくじりと運命は最悪なものとなりました。 そのしくじり事件は、ある日下校時の放送業務で起きました。 嫌な思い出で当言えば忘れたいのですが忘れることが出来ません。 あれは忘れもしないもうすぐ夏休みに入ろうとしていた週末でした。 そろそろ放送部の仕事にも慣れてきて、最初の頃に持っていた緊張感も薄れつつあり、胸に抱いていた来やってみ

    忘れられない放送部 - ヒロニャン情報局
  • ドケチな母親に振り回される私 - ヒロニャン情報局

    私が思いつく中でもっともドケチな人間、かつ一番最初に出会った人間は母親です。 母親自体は比較的裕福な家の生まれで、学校なども普通に進学させてもらっていたのですが、自分の家庭内ではとにかくケチ。 しかも他人にも強要する上に「それおかしな理屈じゃない?」と思うようなエピソードが多々あります。 エピソード1「歯ブラシを買わない」 歯ブラシは大人用、子供用でサイズが違いますよね。 口の中の大きさが違うから当たり前ですが。 私が始めて与えられた歯ブラシは大人サイズ。 歯磨き粉も塩が入った大人用歯磨き粉でした。 当時私はまだ保育園。 大人用歯ブラシは大きすぎてえづいてしまい、ミント&塩味の歯磨き粉も刺激が強すぎて涙が出るほどでした。 「保育園のお友達が使っているような小さい歯ブラシが欲しいです。吐きそうになるから」と訴えたところ、「何贅沢言ってるんだ!」と叱られたあげく、当然買って貰えませんでした。

    ドケチな母親に振り回される私 - ヒロニャン情報局
  • 2年間の貧乏体験記 - ヒロニャン情報局

    貧乏と聞いてどんなことを思い浮かびますか。 それは、金銭的な面であったり精神的な理由で貧乏と感じてまうことがあるのです。 とりわけお金が無いと貧乏だなと思ってしまうとがありますよね。 前置きが長くなりましたが、私が経験した2年間の貧乏生活の体験談についてエピソードを語らせて頂きます。 私が貧乏生活に陥ったのは、今から約2年前のことで20年以上働いていた職場を辞めたのがきっかけです。 職場の人間関係に嫌気が差してきたことに加え、その仕事自体にやりがいを失ってしまったため退職を決意。 だけどその仕事を辞めたのは別に後悔はしてません。 むしろ、ストレスも少なくなり自分の時間が十分に確保出来るようになったので精神的な幸せを感じていますね。 額は大したこと無いですが、一応退職金も支給されました。 貧乏になってしまう背景は人によってそれぞれ異なってくると思われます。 その状態に陥ってしまったのは、2つ

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  • 美しい彼女の部屋は・・・だった - ヒロニャン情報局

    人生においてこれは見てはいけなかったなと思うことがありますね。 私の場合も、いくつかの経験があります。 その中でも私が見てはいけないものを見てしまったのは、同僚の部屋でした。 その同僚の部屋は、凄かったのです。 汚部屋という状態だったのです。 そのことを知り、とてもショックを受けました。 ここでは、その彼女の汚部屋についてお話します。 ・インフルエンザになった 彼女の部屋に行くことになったのは、25歳の時でした。 ずいぶん前のことなのですが、余りにもショックを受けたのでそのことを鮮明に今でも覚えているのです。 彼女の部屋に行くことになったのは、彼女がインフルエンザになってしまったからでした。 ・一人暮らしの彼女 彼女は、一人暮らしをしていました。 そしてその彼女は、とても美しいのでどんな部屋に住んでいるんだろうと気になっていたのです。 流行に敏感だし、きっと素敵な部屋に住んでいるんだろうな

    美しい彼女の部屋は・・・だった - ヒロニャン情報局
  • 事故で車椅子生活になった彼との辛い別れ - ヒロニャン情報局

    20代の頃、結婚を意識していた彼がいました。 すごく優しい人で大好きだったのですが、あることがきかっけで突然別れることになったんです。 彼は学生時代から長く続けているスポーツがあり、そのスポーツをしている姿はとてもキラキラ輝いていて、彼のことが好きになりました。 ある日、いつものように駅で彼を待っていたら、全然彼が来ないんです。 デートの日、約束の時間に遅れることが今までなかったのですごく不安になりました。 何度電話をしてもつながらず、その日一日連絡がとれず、彼のマンションへ行っても留守。 彼に何か悪いことが起こったのではと眠れませんでした。 翌日、彼のお母さんから連絡があり、彼が交通事故にあったと言うんです。 私はパニックになり、お見舞いに行きたいから病院を教えて欲しいと言うと、今は会えないと言われてしまいました。 彼に何が起こったのか、すぐにでも会いに行きたいけれど彼のお母さんに止めら

    事故で車椅子生活になった彼との辛い別れ - ヒロニャン情報局
  • お見合いでしくじってしまった話 - ヒロニャン情報局

    現在、私は40代の女性です。 私がまだ20代後半のときに、父親の知人からお見合いを勧められました。 相手の男性は大きな建築会社の一人息子ということで、私の胸は踊りました。 おまけに、写真で見る限りかなりハンサムな部類に入る人で、学歴も申し分ありませんでした。 両親もかなり喜んでいましたし、私としても結婚を考える年齢でもあったので、快く受けることにしたのです。 とにかく相手のご両親はマナーには厳しいということで、家族全員でテーブルマナーから立ち居振舞いを勉強し、着物も親戚に頼んでかなり高額なものを借りることができました。 これで、完璧と思ったら、父が私の経歴が薄っぺらいと言い出したんです。 普通の高校、普通の大学というだけでは弱いからと言って、私の趣味の欄に茶道と華道と書けと言うのです。 おまけに特技は料理と、はっきり言って、私には苦手はものばかりです。 不安がる私に、結婚してから学べばいい

    お見合いでしくじってしまった話 - ヒロニャン情報局
  • 職場での陰湿な悪口を見た事につきまして - ヒロニャン情報局

    私は、医療現場での従事者としまして、主に医療事務を担当する形で、毎日患者さんのカルテ等を厳重に保管したり、取り出したりする部署で勤務しておりました。 そこで、私が見てはいけない物を見てしまった事とは、もろに隣に居られる方の悪口を先輩達が言っているのを見てしまったのでした。 普通は陰口や悪口等は、その人が完全にいなくなってからという状況を確認してから発言するのが普通でありますが、人のいる隣であろうことか、悪口を言っているのです。 しかも、人にワザと聞こえるような状態で言っているのが、非常に聞いていて、胸が痛む感じがしましたし、「当にこんなこと聞いてしまって大丈夫かな!?」と思える内容でした。 こんな内容のことを聞いてしまいましたら、当然、疑心暗鬼になりますし、私自身にも同じようなことを言われているのではないか?と思ってしまう形になりますので、やはり、人の悪口は、陰でもいうべきではないと

    職場での陰湿な悪口を見た事につきまして - ヒロニャン情報局
  • こんな最低な男と付き合っていたなんて自分が恥ずかしいです - ヒロニャン情報局

    付き合った男性のなかで一番最低だなと思った人がいます。 彼とは社会人のスポーツサークルで知り合いました。 背が高くてイケメンなのでモテますし、カッコイイから気になっていました。 でも、軽そうだなと思って距離を置いて見ていたんです。 ある日、サークル活動が終わった後みんなで飲みに行くことになり、飲み会で彼と色々と話すことで、意外と誠実で素敵な人なんだとわかり、好きになってしまいました。 彼はすごく女性の心をつかむような話し方、表情をする人なんです。 モテオーラがすごくて、恋愛に慣れていない私は彼にすぐに夢中になってしまいました。 彼から告白された時、かなり不安はありましたが、好きだったのでOKしたんです。 浮気されたらすぐに別れようという気持ちで付き合い始めました。 付き合い始めると、彼のひどいところがいっぱいわかってきたんです。 デートの待ち合わせ時間には絶対に遅刻し、ひどい時には一時間も

    こんな最低な男と付き合っていたなんて自分が恥ずかしいです - ヒロニャン情報局