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ブックマーク / reki.hatenablog.com (13)

  • 【太平洋戦争】ポツダム宣言受諾後も降伏しなかった日本兵 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    太平洋戦争が終結した後もジャングルに残った残留日兵 残留日兵と聞いて、パッと思い浮かべるのはおそらく、28年間グアムに居残った横井庄一さんと、29年間フィリピン・ルバング島に居残った小野田寛郎さんではないでしょうか。 敗戦の報を聞いて、大部分の人は悔しく思うと同時に「やっと国に帰れるぞ」と思ったはずなのですが、横井庄一さんの「恥ずかしながら帰ってまいりました」という印象深い言葉が示すように、当時の軍人には敗けてノコノコ帰るくらいなら死んだ方がマシというメンタリティを持っていた人が少なくありませんでした。横井さんや小野田さん以外にも大勢、居残って戦う道を選んだ日軍人がいました。 ほんの一部ではありますが、あまり名の知られていない残留日軍人をピックアップしていきます。 1. 大場栄 「あまり知られてない」と言っておいて、のっけから有名な方を紹介してしまいます。すいません。 大場栄さんの

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    daiouoka
    daiouoka 2019/08/13
    こんなにいたのか。
  • 【大航海時代】新大陸メキシコに渡った日本人の記録 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    様々な形で太平洋を渡った名もなき日人たち 1639年に徳川家光が鎖国体制を完成させるまでの16世紀から17世紀前半までは、史上類を見ないほど日人の海外進出が盛んな時期でした。 ベトナムのホイアンやフィリピンのマニラなど東南アジア各地に日人町を作って商業活動を行う者もいれば、アユタヤの山田長政のように政治・軍事にまで介入する者、また末端では傭兵や奴隷としてポルトガル人やスペイン人の下で働く事例も数多くありました。 中には太平洋を超えて新大陸に渡ったり、大西洋を超えてヨーロッパに渡った事例もあります。 1. メキシコに連れて行かれた日人奴隷 太平洋の奴隷交易 1565年、フィリピンのマニラからメキシコのアカプルコを結ぶガレオン船の航路が開通し、メキシコからは大量の銀、マニラからは中国製の陶磁器や絹製品などが流通するようになりました。 モノと情報の流通が活発になると、それに吸い寄せられる

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    daiouoka
    daiouoka 2018/07/24
    ( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
  • 日本軍による占領がフィリピン社会に与えた根深い問題 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    悪い意味で何も変えなかった日軍のフィリピン占領 太平洋戦争とその影響が語られる時、日の社会や政治体制、人々の心の面がどう変わったか、あるいは変わっていないか、という面にフォーカスが当たる傾向が多いように思います。 それはそれで大事なのですが、日がおっぱじめた戦争が、他の国々にどれくらい大きな影響を与えたかという視点で語られることはあまり無いように思います。 あっても、「アジア解放に多大な貢献した」とか「住民を殺したり強姦しまくった」みたいな物事を単純化した見方ばかりです。 さて、日軍のフィリピン占領は、実際のところフィリピン社会の土台を揺るがすような変化を何も起こすことはありませんでした。一方で戦後フィリピンの国の選択肢を狭め、国の有り様を決定づける結果になりました。 1. 仮想敵国・日 フィリピンは1901年からアメリカの植民地になっており、当然アメリカの影響力が最も大きかった

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    daiouoka 2018/02/26
    良くも悪くも何もしなかった。
  • 大騒ぎになった重要書物の誤植事件 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    誤植のせいで歴史に名が知られてしまった有名な事例 歴ログは誤植が少なくなく、いつもご指摘くださる方に感謝申し上げます。いつもありがとうございます。 ぼくが言うのも何ですが、普通に出版されているを読んでてもたまに誤植ありますし、歴史的に重要な書物にも誤植が見つかって、その間違いがとんでもないものだったから却って歴史に名が残ったケースもあったりします。 1. 1631年「姦淫聖書」(イギリス) 史上最も有名な聖書の誤植 「姦淫聖書」は数ある聖書の誤植版の中でも最も有名なもの。 これは1631年にイングランドで国王チャールズ1世の要請で、ロバート・ベイカーという人物によって王立印刷所で出版された聖書です。 この聖書の出エジプト記第20章第14節、「あなたは姦淫してはならない」の文章に「NOT」を入れるのを忘れたため、 Thou shalt commit adultery.(あなたは姦淫しなくて

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    daiouoka 2017/05/18
    「姦淫聖書」わろたw
  • あまり普及しなかった「人工言語」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    世界的に利用されることを目的としたマイナーな「人工言語」 旧約聖書によると、地上に繁栄した人間は驕り高ぶり「天まで届く塔」を作り神に並ぼうとした。大いに神の怒りを買い、それまで一つだった言語をまったくバラバラにされてしまった。意志の疎通ができなくなってしまったので、そのため塔の建設は途中で放棄された。 神によって引き裂かれた「言語」を再統一する試みは古くからあり、そういう意図の元作られて最も成功したと言えるのが「エスペラント語」なのですが、それでも世界中で100万人程度の話者しかいません。 これだけネットが普及した現代、個人的には世界言語は英語でいいんじゃねえかと思うんですが、それでも未だに独自の世界言語普及の取り組みは様々にあり、でも難しすぎたり様々な理由で全然普及していないものがたくさんあります。 1. ヴォラピュク エスペラントとの競争に敗れた人工言語 1879年、ドイツのカトリック

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    daiouoka 2016/09/20
    こんなにあったなんて知らなかった
  • 刑務所にいながら世界を変えてしまった5人の男 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    刑務所にいながらでも世界は変えられる 「もし刑務所に入ったら自分はどうなってしまうだろう」 と考えたことないでしょうか? 模範囚として、規則正しい生活をしてひたすらシャバに帰れる日を待つのか。刑務所の自分はどんな気持ちで過ごしているだろう。出た後生活していけるだろうか。家族に顔向けできるだろうか。 刑務所に入ることでその後の人生が大きく変わってしまうことに対する恐怖のほうが先に来ます、ぼくの場合は。 とか映画とか見れる時間がたっぷりあるからむしろ羨ましい、と思う人もいるかもしれません。規則正しい刑務所の生活では自由時間が確保されており、スポーツや読書に打ち込むこともできる刑務所もあるようです。 世界には刑務所という環境をむしろ活かして大変な業績を上げ、世界を変えてしまった男まで存在します。 1. ディビット・マーシャル・ウィリアムズ 1900-1975(アメリカ) 刑務所にいながら自動小

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    daiouoka 2016/07/28
    ( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
  • 【ファッション】なぜ囚人の服は縞模様なのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Patrick Denker 忌み嫌われた「縞模様」の歴史 囚人といえば、なぜか上下縞模様の服を思い浮かべます。 最近だと、漫画「プリズンスクール」の男子生徒たちもそうだし、アニメ「ウサビッチ」のキャラもそうだし、ゲーム「ストリートファイター」シリーズに出てくるコーディーもそう。 なんで囚人は縞模様の服がステレオタイプになっているんでしょうか。 単純に、脱獄された時にそれと分かりやすいという実利的な面もあるでしょうが、歴史を紐解いてみれば、そもそも西洋で「縞模様」が忌み嫌われ、ある種「不吉」や「排斥」のシンボルだったのが根にあるようなのです。 1. 聖書の記述と「愚か者」たち 「 レビ記」第19章19節にこうあります。 二種の糸の交ぜ織りの衣服を身につけてはならない 曖昧な書き方で、素材が同じなら色が違ってもいいのか、二種の「色の」糸の交ぜ織りなのかよく分かりません。こ

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    daiouoka 2016/02/27
    ( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
  • 【デザイン】自転車の歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    速い!楽しい!快適! 補助輪を外して自転車に初めて乗ったのは、たしか5歳くらいの時だったと思います。 最初はグラグラしてとても乗れたもんじゃない。何回もズッコケて傷だらけになりつつ、突然コツがつかめて乗れるようになりました。 たぶん大多数の人たちが同じような経験を持っていることでしょう。 よくそんな危なっかしい代物が普及したなと思うところですが、現在の自転車のデザインは、長年の発明家たちが「速さ」「快適性」「楽しさ」を追求し続けて完成した「究極のデザイン」であります。 今回はいかにして自転車が現在のデザインに落ち着いたか、その歴史をまとめていきます。 1. 迅速な移動を可能にする乗り物の探索 「人力で動く乗り物」の構想の歴史は長く、古代エジプトの墳墓にも自転車の原型らしき絵が見られるほど。 現在の自転車のデザインの原型と考えられているのが、1493年に描かれた上記のスケッチです。これを書い

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    daiouoka 2015/10/20
    ( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー―
  • イギリス貴族が紳士であるべき理由 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    「僕は当の紳士をめざしているからだ!」 これは皆様ご存知、ジョナサン・ジョースター氏の台詞ですね。 ジョジョに限らず、一般的にイギリス貴族というものは、「紳士」であるべきというのが社会通念とされ、またそうでないと社会的に認められなく、「紳士であることがイギリス上流階級に属する絶対条件」とすら認識されました。 他の国・地域では貴族は、「陰湿でこまけぇことにウダウダ言ってきやがって、金にやかましく冷酷な連中」という認識も多いはず。 なぜイギリスではそのように、貴族が「紳士」であることが求められるようになったのでしょうか。 1. イギリス貴族の地方支配の実体 産業革命が起きる前まで、イギリスでは地主貴族が社会的に圧倒的な力を持っていました。 貴族は最低でも数百エーカー(500エーカー=200ヘクタール)の土地を所有しており、そこから上がる収入は他の職業を圧倒する桁外れの資金額でした。彼らはその

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    daiouoka 2015/08/31
    ”「ジェントルマン」は「ジェネラス(generous)」、つまり「気前のいい」という言葉から来ており、その語源通り「貴族は気前のいい紳士でなくてはいけなかった」わけです。”そうだったんだ。
  • 異文化社会にすっかり馴染んでしまった異邦人の物語 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    スカッとする異邦人のサクセスストーリー 異邦人やマイノリティが異文化社会で活躍する話って何かいいですよね。スカッとしますよね。 今年の夏の甲子園で活躍した、関東一高のオコエ君なんてまさにそれ。 超高校級の実力の持ち主ってのもありますけど、ナイジェリア人の父を持つという異邦人なところが多くの人を引きつけるのだと思います。日に生まれて日で育っているから、人はきっとそういう認識ないでしょうけど。 こういう感覚は古今東西共通のものらしく、歴史上も異邦人が異文化社会で活躍する事例が多くありました。海外サイトlistverse.comより「大活躍した異邦人」を紹介いたします。 1.弥助(東アフリカ→日) 信長の最期に居合わせた黒人の側近 戦国時代の日にやってきたイタリア人宣教師アレッサンドロ・ヴァリアーノは、東アフリカ出身の黒人奴隷を召し抱えていました。 謁見で黒人を見た信長は興味津々。その

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    daiouoka
    daiouoka 2015/08/24
    面白かった。
  • 実在した第二次世界大戦中の"二重スパイ"たち - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    連合国と枢軸国の間で活躍したスパイたち 007の主人公ジェームズ・ボンドはイギリスの諜報機関M16所属で、 その事実が敵に筒抜けなので、いっつも命を狙われてるっぽいのですが、 敵国の諜報機関の人間だと知らずに、自国の諜報機関に所属させたり、諜報活動に当たらせたりすることがありました。 たぶん今でもあるのでしょう。 そのようなスパイを「二重スパイ」と言います。 その性質上、名前が知られている人はほとんどいないだろうし、 素性がバレて消されてしまった人も大勢いると思われるのですが、 第二次世界大戦中で活躍をし、二重スパイとして歴史に名を刻んだ人たちをピックアップしてみます。 1. フアン・プホル・ガルシア(スペイン) 1912 - 1988 ヒトラーに信頼されたイギリスのスパイ フアン・プホル・ガルシアは「ドイツとイギリスの両方から勲章をもらった」ことで有名な二重スパイです。 ホテルの経営者だ

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  • 【第二次大戦】反日レジスタンス運動 7選 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    激しかった日への抵抗運動 第二次世界大戦前後はファシスト政党や民族主義団体が勃興した時代でしたが、 一方で反ファシズム・反帝国主義の運動も盛んだった時代です。反日レジスタンス勢力も無視できないほど多かった。 左派リベラルの声が強かった時代は、これらの抵抗運動は過剰評価されている節もあったと思いますが、逆に今は過小評価されている気もします。 ということで、今回は第二次大戦中の反日レジスタンス運動を7つ紹介します。 1. フクバラハップ(フィリピン) 引用:historyblacknwhite.yolasite.com 農村を拠点にゲリラ戦を展開 フィリピンのルソン島で結成された反日組織。 フィリピン共産党のルイス・タルクを指導者に、農村を拠点にゲリラ戦を展開。日軍を散々苦しめました。 米軍のフィリピン上陸作戦にあたっては、フクバラハップは米軍と緊密に連携を取り日軍の掃討作戦を担ったよう

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  • ナチスの暗号「エニグマ」はなぜ解読困難だったか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    史上最強の暗号機「エニグマ」 エニグマは、1918年にドイツで発明され、その後ナチスに採用された暗号装置。 その解読の困難さは、多くの敵国の暗号解読者を悩ませました。 絶対の自信を持ってナチスは大戦中、エニグマで暗号化した機密文書を送受信していましたが、実は連合軍はエニグマの解読に成功しており、 このことが第二次世界大戦の終結を早める1つの要員になったと言われています。 このエントリーでは、なぜエニグマがそこまで解読困難だったかと、 エニグマの解読に成功し連合国の勝利に貢献した男たちを紹介します。 エニグマの仕組み 強みは「日鍵」 エニグマ暗号の強みは、当日しか使えない「日鍵」を使うことにありました。 オペレータは、月に一度毎月の日鍵のコードブックを受け取り、 それに基づき毎日機械の設定を調整することで暗号の配列や規則性を変えていました。 例えば、ある日のコードブックには以下のように指定さ

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