本来『弱者男性』とは自分が社会的に救済されるべき弱者であるとする成人男性の自称であり、その行為への批判は「弱者でもないのに弱者ぶるな」であったはず。 それがいつの間にか、「弱者男性」自体が「情け無い男」というセクシズムと一体化したレッテルとなり、「弱者」に侮蔑的なニュアンスが当たり前のようにつけられるようになった。 これに憤りを覚えない「リベラル」などリベラルではない。 自称フェミニストのミサンドリを批判できないなかよしごっこの「リベラル」など、結局本当の弱者の敵でしかない強者の遊びに過ぎないと彼らは自ら証明した。