去る7月23日に行われた東京オリンピック開会式は、56.4%の高視聴率を記録しつつも、その内容に対しては大きな批判の声が上がった。とりわけよく聞かれたのは、繰り広げられる個々のパフォーマンスの整合性のなさ、個別には選手入場の際のゲーム音楽の使用に関する批判である。 ゲーム音楽に関しては主に3つの批判が聞かれた。ひとつはゲームの文脈を無視して音楽の「おいしい部分」だけを行進曲として用いることへの批判、ひとつは差別的な言動が物議を醸している作曲者の作品を用いたことへの批判、もうひとつはゲーム音楽という「三流の音楽」(ないし「内輪受けの音楽」)を国際的なセレモニーの場に採用したことへの批判である。 わたしはゲーム音楽に明るくないが、このうち3つ目の批判には賛同しない。ゲーム音楽を三流の音楽とジャッジする気はないし、五輪で起こった問題は音楽のジャンルや質とは関係がないからだ。ゲーム音楽だけではなく