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ブックマーク / sportiva.shueisha.co.jp (5)

  • ヤクルトに移籍した辻発彦が戸惑い。「こんなチームに負けたのか?」

    西武×ヤクルト "伝説"となった日シリーズの記憶(38) 【リードオフマン】西武・辻発彦 後編 (前編はこちら) 【1993年のヤクルトは目の色を変えて臨んできた】 ――前年は4勝3敗で辛勝。そして、翌1993(平成5)年の日シリーズもスワローズと激突することになりました。この年、ライオンズは(オレステス・)デストラーデ選手がメジャーに復帰。大幅な戦力ダウンでシリーズに臨むことになりました。 辻 デストラーデが抜けたことで、確かにホームランは減るかもしれないけど、他のメンバーがしっかりしているチームだったので「別に大丈夫でしょ」と思っていました。それぐらいの層の厚さはあったと思うし、そうでなければ、あれだけ何度も日シリーズに出られないですから。 黄金期の西武でリードオフマンとして活躍した辻 photo by Sankei Visual――1993年の日シリーズは、初戦から波乱があり

    ヤクルトに移籍した辻発彦が戸惑い。「こんなチームに負けたのか?」
    damegano
    damegano 2019/09/20
    いま辻さんが若手の人心掌握に優れているのはオンオフがはっきりしていたヤクルトでの経験も大きいのかな?とコレ読んで思った。
  • 西武と戦って広澤克実が得た自信。「巨人も広島もたいしたことない」

    西武×ヤクルト "伝説"となった日シリーズの記憶(3) 【リーダー】ヤクルト・広澤克実 前編 (前回の記事はこちら>>) 四半世紀の時を経ても、今もなお語り継がれる熱戦、激闘がある。 1992年、そして1993年の日シリーズ――。当時、"黄金時代"を迎えていた西武ライオンズと、ほぼ80年代のすべてをBクラスで過ごしたヤクルトスワローズの一騎打ち。森祇晶率いる西武と、野村克也率いるヤクルトの「知将対決」はファンを魅了した。 1992年は西武、翌1993年はヤクルトが、それぞれ4勝3敗で日一に輝いた。両雄の対決は2年間で全14試合を行ない、7勝7敗のイーブン。あの激戦を戦い抜いた、両チームの当事者たちに話を聞く連載の2人目。 最初のテーマは「リーダー」。前回の西武・石毛宏典に続き、今回はヤクルト・広澤克実のインタビューをお届けする。 長らくヤクルトの主砲として活躍した広澤氏 photo

    西武と戦って広澤克実が得た自信。「巨人も広島もたいしたことない」
    damegano
    damegano 2018/09/25
    野村監督と星野監督の印象を語ったあとに茂雄の印象聞かれて言葉に詰まるところは正直だなw1993年は「オレたちの敵はジャイアンツじゃない、ライオンズだ!」と言う気持ちだったのか。だからこその名勝負。
  • 「そんなものに負けてたまるか」西武の石毛宏典はID野球に反発した|プロ野球|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva

    西武×ヤクルト "伝説"となった日シリーズの記憶(1) 【リーダー】西武・石毛宏典 前編 四半世紀の時を経ても、今もなお語り継がれる熱戦、激闘がある。 1992年、そして1993年の日シリーズ――。当時、"黄金時代"を迎えていた西武ライオンズと、ほぼ80年代のすべてをBクラスで過ごしたヤクルトスワローズの一騎打ち。森祇晶率いる西武と、野村克也率いるヤクルトの「知将対決」はファンを魅了した。 1992年は西武、翌1993年はヤクルトが、それぞれ4勝3敗で日一に輝いた。両雄の対決は2年間で全14試合を行ない、7勝7敗のイーブン。あの激戦を戦い抜いた、両チームの当事者たちに話を聞く連載がスタートする。 最初のテーマは「リーダー」。まずは西武・石毛宏典のインタビューをお届けしたい。 黄金時代の西武でチームリーダーを担っていた石毛氏 photo by Kyodo News 「ID野球、ふざける

    「そんなものに負けてたまるか」西武の石毛宏典はID野球に反発した|プロ野球|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva
    damegano
    damegano 2018/09/20
    このインタビューを読んで、石毛が選手としては優れていても監督としては大失敗に終わった理由が分かったような気がした。
  • 練習量より「己を知る」で変心。西武・金子侑司は盗塁王を獲得した (3ページ目)

    このとき、シーズン終盤、右膝痛を押して試合に出続けた影響で2017年シーズンは出遅れたが、橋上の言葉をきっかけに金子が意識を変えたのは確かだ。 「盗塁王を獲れたのは、もちろん走塁コーチの指導があってのことですが、私が言ったことを少しは理解してくれたのかな、と思います。ちょっとした言葉で意識が変わり、成績が変われば野球人生も変わり、人生そのものも変わるんです。 だから私は秋季キャンプで最初に金子に言った後、ほかの若い選手たちにも話をしました。『自分の武器は何か。もう一度、考えよう』って。選手はそれぞれ持ち場が違う、役割が違うので、みんな同じようにやっていてもダメなんだっていうことを」 自分自身の特長を突き詰めて考え、チーム内での役割を認識し、その上で目標を設定すれば、自ずと練習方法はそれぞれ違うものになるはず──。橋上はそのことを成長途上の若手たちに伝え、意識づけをうながしていた。そのなかか

    練習量より「己を知る」で変心。西武・金子侑司は盗塁王を獲得した (3ページ目)
    damegano
    damegano 2018/09/19
    “『練習は量でもないし、時間でもない。結局、どれだけ自分をよく知って、役割を知って、目標設定しているかどうかだよ』”これは自己研鑽としてスポーツ以外にも共通して言えることかもしれない。
  • 西武・橋上コーチ就任1年目、選手との信頼関係はズタズタだった (3ページ目)

    高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro とはいえ、指導者しての準備に怠りはなかった。2016年2月のキャンプ中、橋上は選手個々の能力を考慮して指示を出していた。 たとえば、2015年の選手個人の三振数。リーグワースト1位が中村剛也で172個、2位がメヒアで153個、3位が森友哉で143個、そして4位が浅村栄斗で136個と「上位」4人までを西武勢が占めたのだが、橋上は「(塁打を量産する)中村とメヒアは仕方ない」としていた。 その代わり「もともと能力が高い浅村は、状況に応じた打撃ができるはず」として、浅村、森とは個別に対話。結果、両選手とも、2ストライクと追い込まれた後の打撃の改善を目標に掲げ、つなぐ打撃の大切さを再認識していたという。 ところが、いざシーズンが始まり、チームとしての結果が出ない状況が

    西武・橋上コーチ就任1年目、選手との信頼関係はズタズタだった (3ページ目)
    damegano
    damegano 2018/07/17
    あれ?これ遠回しに全体統括者である監督の田邊が無能って言ってない?いや、「田邊コーチ」は有能でも「田邊監督」が無能なのはその通りだと思うけど。伊原と同じく参謀タイプでトップに立たせてはいけない人
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