ブックマーク / rekikakkun.hatenablog.com (51)

  • <小田原北条氏の防衛戦(その18)>誰が城主なのか分からないのに凄い城 杉山城(2/2) - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちわ、rekikakkunです。 前回の続きで、杉山城をご紹介致します。 15.杉山城(国指定史跡、続日百名城) 4)杉山城探訪 前回の投稿時、杉山城を大手口から順に探訪し、 凄いな~と感動しながらも、パシャパシャと 普通に撮影していました。 しかし杉山城の魅力をまだ把握できていない 感じがして、5日後の埼玉探訪最終日に 再訪しました。 その時、堀底と土塁上を歩いてみることに、 ふと気が付きました。 (それが出来るという事に///) 2度目なので最低限の全体像が分かってて、 心に余裕が出来たからだと思います。 そこで2箇所ほど、堀底と土塁をピックアップ して投稿してみます。 キーワードは3方向。。。😆 ~馬出し郭付近から堀底を歩く~ 馬出し郭付近からの堀底歩行ルート (赤線の方向に歩きます) 下図右下の堀1から、馬出し郭と外郭の間の堀底を歩きます。 ただし、ここは地獄の進入路だっ

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    dantandho
    dantandho 2024/06/16
    「攻める側の視点」で見ることで、お城の面白さが増す感じですね〜
  • <小田原北条氏の防衛戦(その16)>戦国関東で攻防戦の舞台となった城 武蔵松山城 - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちわ、rekikakkunです。 現在、小田原北条氏の防衛戦を綴っています。 今回は武蔵松山城を探訪致します。 ここは是非とも行きたかった所です。 だって下の写真見てもかっこいいので。😀 武蔵松山城 上空写真 14.武蔵松山城(国指定史跡) 1)武蔵松山城の立地 武蔵松山城は下のグーグルマップ⑦の位置です。 (以後松山城と記します) この場所は埼玉県のちょうど中央の位置で、 比企地方とも呼ばれます。 そう、鎌倉幕府で北条氏と並ぶ有力御家人だった 比企能員(ひきよしかず)の拠地です。 比企能員は、源頼朝の乳母であり、伊豆配流以降も 援助を続けたとされる比企尼(ひきのあま)の 猶子となって比企氏を相続しました。 頼朝からすると第一の恩を授けてくれたのが比企氏 と言えますので、能員は頼朝の長男頼家の乳母父、 は乳母、娘は妾となり、北条家に次ぐ血縁を得て 超有力御家人となりました。

    <小田原北条氏の防衛戦(その16)>戦国関東で攻防戦の舞台となった城 武蔵松山城 - 歴史ぶらり1人旅
    dantandho
    dantandho 2024/05/07
  • <小田原北条氏の防衛戦(その15)>豊臣北方軍による北関東拠点の攻略(唐沢山城 2/2) - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちわ、rekikakkunです。 現在、小田原北条氏の防衛戦を綴っています。 今回は唐沢山城の2回目(後半)です。 唐沢山城 縄張図 13.唐沢山城(続日100名城) 4)唐沢山城探訪 前回は丸から南へ山道を下って、 下の写真の土橋跡へ行きました。 ~土橋と堀~ 丸から南へ下った所の土橋 土橋から堀跡へ戻ります。 堀跡1 堀跡2 新めて、堀と土塁の遺構が凄いです。 (上の縄張図ですと、一番下の「クランク状の堀切」 です) あ?堀じゃなくて堀切か~。 縄張図をしっかり見ると、確かに尾根を切ってますね。 土橋行くのに道迷ってたので、ここはあまり確認しておらず、 次機会ありましたら、この周辺をしっかり見たいですね~。 さて丸に戻ります。 土橋から丸へ戻る ~高石垣~ 土橋まで行くために、前編ではほぼ素通りでしたが、 帰りは唐沢山城一番の見所、丸の高石垣を じっくり撮っていきます

    <小田原北条氏の防衛戦(その15)>豊臣北方軍による北関東拠点の攻略(唐沢山城 2/2) - 歴史ぶらり1人旅
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    dantandho 2024/05/04
  • <小田原北条氏の防衛戦(その14)>豊臣北方軍による北関東拠点の攻略(唐沢山城 1/2) - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちわ、rekikakkunです。 現在、小田原北条氏の防衛戦を綴っています。 今回14回目、まだ終わりませんφ(* ̄0 ̄) 豊臣主力軍は箱根を越え、小田原城を 包囲しました。 前田利家を主将とした豊臣北方軍は、 碓氷峠を越え、まず北関東の諸城を 攻略していきます。 前回、下の北関東のマップで①上田城から ⑦金山城までさらっとご紹介しました。 今回は、北関東最後の拠点として、 ⑧唐沢山城を探訪いたします。 (マップの番号を押すと案内が出てきます) 13.唐沢山城(続日100名城) 1)唐沢山城の立地 唐沢山城は現在の栃木県佐野市にあります。 ここは栃木県の南部、関東平野の東端の要衝です。 そしてみなさんご存じ、佐野ラーメン屋さんが 沢山あります。こちらも重要拠点ですね(⌒∇⌒) 下の北条領全体探訪マップでは、⑥が唐沢山城です。 こう見ると、まだ関東平野の端ですね~。 唐沢山城から見た

    <小田原北条氏の防衛戦(その14)>豊臣北方軍による北関東拠点の攻略(唐沢山城 1/2) - 歴史ぶらり1人旅
    dantandho
    dantandho 2024/04/09
    関東北部だと、藤原氏の名前が出て来るのですね〜
  • <小田原北条氏の防衛戦(その13)>豊臣北方軍による北関東拠点の攻略(松井田城、箕輪城、厩橋城、金山城)) - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちわ、rekikakkunです。 1590年に行われた、小田原北条氏の防衛戦 を綴り始めて、かれこれ13回目(@_@;)・・・です。 これまで小田原城の防衛強化、総構え、 豊臣秀吉軍の箱根周辺の城攻略から、 小田原城包囲辺りまで進めてきました。 実は上記の動きとほぼ平行して北条領の北方、 北関東から北条領を攻略する軍団が、 ありました。 前田利家を主将とし、上杉景勝、真田昌幸 といったスター達で構成された北方軍です。 彼らは碓氷峠(うすいとおげ)経由で 信州(長野県)から上州(群馬県)に入り、 まず北西境目の重要防衛拠点である 松井田城に殺到しました。 今回松井田城は探訪しませんでしたが、 その攻略は重要と思われるので、少し記載します。 あと過去探訪報告済ですが箕輪城、厩橋城、 金山城も、北方軍の序盤戦で攻略しているので、 簡単にご紹介致します。 11.松井田城の戦い(市指定史跡)

    <小田原北条氏の防衛戦(その13)>豊臣北方軍による北関東拠点の攻略(松井田城、箕輪城、厩橋城、金山城)) - 歴史ぶらり1人旅
    dantandho
    dantandho 2024/03/22
    北関東だと真田家の名前が出てきますね〜続き、楽しみにしています〜
  • <小田原北条氏の防衛戦(その12)>後北条氏の重要拠点 玉縄城 - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちわ。rekikakkunです。 前回は小田原城の包囲陣地探訪について、 長々とお付き合いありがとうございました。(__) ここから再度、お城探訪になります。。。 下図のマップは昨年秋探訪しました小田原北条氏 関連のお城等を再表示しています。 今回は下図の④玉縄城をご紹介致します。 実は、④の玉縄城はマップの中では最後に探訪しました。 何も分かっていませんが、何か玉縄城を外してはいけない と感じ、追加で探訪してきた次第です。 (と言うか山中城の次はここでしょうと気が付いた(@_@;)) さて、天正18年1590年4月6日頃、 箱根を突破し、小田原城を包囲した豊臣軍ですが、 流石に直ぐには小田原城を攻略できないので、 浅野長政を主将とした別動隊を編成し、 約2万の軍勢で相模、武蔵、下総方面の 北条方支城攻略を進めました。 その攻略対象、最初の有力な城が、 玉縄城と言えそうです。 10

    <小田原北条氏の防衛戦(その12)>後北条氏の重要拠点 玉縄城 - 歴史ぶらり1人旅
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    dantandho 2024/03/08
  • <小田原北条氏の防衛戦(その11)>いよいよ 豊臣軍による小田原城包囲(2/2) - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちわ。rekikakkunです。 小田原北条氏の防衛戦を綴っていまして、 前回は、下記の9.4).⑦まで進んでいます。 9.小田原城の包囲 1)小田原城包囲までの流れ 2)小田原城包囲戦 布陣図 3)小田原城包囲戦の陣地探訪分類 4)小田原城包囲戦 陣地探訪 (★1)東海道方面 ①豊臣秀吉陣 ②石垣山城 ③堀秀政陣所 ④富士山砦 ⑤小田原城 三の丸外郭新堀土塁 (★2)尾根筋、大堀切ルート ⑥水之尾口櫓台 ⑦水之尾櫓台の尾根筋と織田信包軍布陣 今回、4)小田原城包囲戦陣地探訪の 続きで⑧からとなります。 下の布陣図の〇番号と、記事の番号を同じにしてます。 小田原城包囲戦 布陣図(色別標高図) ⑧山内一豊、⑨羽柴秀次陣所 では、⑧、⑨を探していきます。 まず起点は小田原城の西端、水之尾口櫓台です。 (上の布陣図では⑥の所です。) ⑥水之尾口櫓台 上の写真水之尾口櫓台から西側の尾根筋を

    <小田原北条氏の防衛戦(その11)>いよいよ 豊臣軍による小田原城包囲(2/2) - 歴史ぶらり1人旅
    dantandho
    dantandho 2024/02/22
    毎回興味深く読ませていただきました〜続きも楽しみにしています〜
  • <小田原北条氏の防衛戦(その10)>いよいよ 豊臣軍による小田原城包囲(1/2) - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちわ。rekikakkunです。 現在、小田原北条氏の防衛戦を綴っています。 やっと小田原城包囲戦の布陣巡り まで辿り着きました。🤣 (まだそこかい(@_@;)) 今回のシリーズは、これ(布陣巡り) が目的だったと言っても過言ではありません。👍 小か中学生の頃、家族とも一緒に小田原城に 連れて行ってもらい、布陣図を見て感動 したのを覚えています。 今回は、何度か小田原に行って、布陣図 とグーグルマップを見比べて、ここかな? と探訪してきました。 間違いもありそうですが、 おおよそで見て下さいね。_(._.)_ 9.小田原城の包囲 1)小田原城包囲までの流れ 1590年(天正18年)、 3月29日 山中城落城及び周辺の城攻略。 4月4日  徳川家康ら諸将の小田原城包囲が完了。 4月5日  豊臣秀吉が早雲寺を陣とする。 4月8日  織田信雄、蒲生氏郷ら韮山城包囲軍が 一部を残して

    <小田原北条氏の防衛戦(その10)>いよいよ 豊臣軍による小田原城包囲(1/2) - 歴史ぶらり1人旅
    dantandho
    dantandho 2024/02/09
    ふむふむ〜続きが楽しみです〜
  • <小田原北条氏の防衛戦(その9)> 豊臣軍による箱根守備網の攻略と突破 - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちは。rekikakkunです。 現在、小田原北条氏の防衛戦を綴っています。 豊臣軍による北条領への攻撃が開始されて、 まず1590年(天正18年)3月29日に、 箱根東海道筋の最重要防衛拠点である 山中城が落城しました。 4月1日前後には山中城の隣、 足柄街道筋の足柄城も攻略。 ここまで前回ご紹介致しましたが、 その他の小田原城西側の拠点について 簡単にまとめてみます。 7.小田原城以西のその他拠点の攻略 小田原城以西の城の配置図 ①山中城、②足柄城、③河村城、④韮山城、⑤小田原城 (ほんとはもっとあります(__)) 1)河村城(配置図の③) 神奈川県山北町、小田原城がある足柄平野の 北端を守る位置に河村城が配置されています。 実はほとんど知らなかったのですが、 保存整備がしっかりなされてる様で、 遺構も良く残っていました。 早速行ってみます。 河村城駐車場に到着しました。 (5,

    <小田原北条氏の防衛戦(その9)> 豊臣軍による箱根守備網の攻略と突破 - 歴史ぶらり1人旅
    dantandho
    dantandho 2024/01/29
    次回も楽しみにしています〜
  • <小田原北条氏の防衛戦(その8)> いよいよ開戦、壮絶!山中城攻防戦と箱根守備網の崩壊(3) - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちは。rekikakkunです。 現在、小田原北条氏の防衛戦を綴っています。 みなさんもご存じの通り、 北条氏の拠小田原城は北条領国の 東南の国境に偏り過ぎていますよね。 特に豊臣軍主力が、西から小田原城を 目指すのは北条方も容易に想定出来ます。 よって小田原城の西側にある箱根とその周辺が、 必然的に重要な防衛ラインとなります。 下の全体マップを見て可視化してみると、 よく分かるのではと思います。 北条氏の拠地、⑤小田原城に対し、 その西側を取り囲む様に、 箱根中央部を通る東海道に①山中城。 旧来のメイン道だった足柄道に②足柄城。 その北の道に③河村城。 伊豆方面の玄関口に④韮山城。 等の箱根守備網が配置されています。 ところがこの内、小田原城西方の守りで 最も重要な防衛拠点だった、①山中城が、 初戦、一日で攻略されてしまいました。 小田原城及びその他の箱根守備網は 大混乱になっ

    <小田原北条氏の防衛戦(その8)> いよいよ開戦、壮絶!山中城攻防戦と箱根守備網の崩壊(3) - 歴史ぶらり1人旅
    dantandho
    dantandho 2024/01/21
  • <小田原北条氏の防衛戦(その7)> いよいよ開戦、壮絶!山中城攻防戦と箱根守備網の崩壊(2) - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちは。rekikakkunです。 あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いいたします。 前回は山中城を探訪して、岱崎出丸、三の丸、 西櫓をご紹介致しました。 今回もその続きになります。 5.山中城攻防戦 1)山中城 縄張図 2)攻城戦の概要 3)山中城アクセス 4)山中城探訪 ①岱崎出丸 ②三の丸 ③西櫓 ④畝三昧 ⑤西の丸 ⇐ 今回はここからです。 山中城の西側は、西櫓を越えると西の丸になります。 西櫓は西の丸虎口の馬出しの役割として説明されてます。 西櫓と西の丸 角馬出の説明板 ただし西櫓は捨曲輪みたいな扱いで、木橋も無く、 西の丸への直接射撃を遠くする為のスペース として使ったのかも、という記事も見ました。 西櫓へ攻撃する敵に対し、西の丸はサポート し難そうなので、なるほどな~と思います。 (西櫓、西の丸は下の縄張図の右上です) 山中城 縄張図 西の丸全景 (奥に

    <小田原北条氏の防衛戦(その7)> いよいよ開戦、壮絶!山中城攻防戦と箱根守備網の崩壊(2) - 歴史ぶらり1人旅
    dantandho
    dantandho 2024/01/04
    きれいな公園のようになっていても、激戦地だったのですね〜
  • <小田原北条氏の防衛戦(その6)> いよいよ開戦、壮絶!山中城攻防戦と箱根守備網の崩壊(1) - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちは。rekikakkunです。 いよいよ北条軍と豊臣軍との開戦でございます。 前々回の投稿では、秀吉が箱根の手前に到着し、 山中城を視察したところまでお話しました。 その続きとなります。 視察の翌日、天正18年3月29日の朝、 いよいよ北条軍と豊臣主力軍との戦端が開かれます。 山中城へ豊臣秀次、徳川家康を中心とした軍勢にて攻撃。 韮山城へは織田信雄、蒲生氏郷らを派遣し包囲を 開始します。 下マップでは、①山中城、⑭韮山城です。 5.山中城の戦い 1)山中城 縄張図 山中城 縄張図 赤字で曲輪の名称を追記しましたが、名称は現在、 現地に掲示されている案内板に合わせてます。 攻撃は、旧東海道から岱崎出丸等を攻撃した 豊臣秀次軍と、縄張図右上の西櫓付近から 攻撃した徳川軍の2方面です。 ま、内容は諸説ある中での参考と捉えて下さいね。 2)攻城戦の概要 ①開戦日:天正18年(1590年)3

    <小田原北条氏の防衛戦(その6)> いよいよ開戦、壮絶!山中城攻防戦と箱根守備網の崩壊(1) - 歴史ぶらり1人旅
    dantandho
    dantandho 2023/12/19
    とても景色の良いところだったのですね〜
  • <小田原北条氏の防衛戦(その5)> 探訪しました北条氏関連のお城一覧(ご紹介) - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちは、rekikakkunです。 今回は、北条氏関連のお城の投稿前に、 今年秋に探訪致しましたお城を、 簡単に一挙ご紹介したいと思います。 マップと各城写真1枚でご紹介致します。 (マップの番号と編〇番号を合わせています) 番号は基、落城 or 開城した時系列順にしており、 投稿もその順番で予定してますが、例外が3点ございます。 ・マップの内、⑤の松井田城のみ行っていません。 ・⑭の韮山城は2年前の探訪写真です。 ・あと⑪の忍城開城は小田原城開城より後ですが、 話の流れ上、開城より早い番号にしてます。 全部で16城です。👍 (マップの番号をポチっとすると、案内が出てきます😊) ①山中城 山中城 西の丸の障子堀 (見応え充分です。富士山もよく見えます) ②足柄城 足柄城 二の曲輪から御殿場方面、富士山 (絶景を見に来る人が多いですが、城の遺構もあります) ③河村城 河村城 堀切

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    dantandho 2023/12/08
  • <小田原北条氏の防衛戦(その4)> 豊臣家と北条家の交渉決裂、豊臣軍の出陣 - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちは、rekikakkunです。 現在、小田原北条氏の防衛戦を綴っています。 前回までの(その1)から(その3)にかけては、 1.北条家による小田原城総構えの構築 を3つに分けて投稿致しました。 今回(その4)は、少し時代を戻って 簡単な時代背景から、北条、豊臣両家の 交渉決裂⇒開戦直前までを進めてみます。 過去に使った写真を駆使してみます。😊 2.豊臣秀吉の台頭 天正10年(1582年)6月2日、 日史有数の事件能寺の変が勃発しました。 多くの歴史の転換点になってますよね。 武田家を滅亡させ、天下統一が見えていた 織田信長の突然の急死。 信長の居城 安土城大手道 1582年時点では日一の安土城天守台跡 その後の天下人レースに勝ち残ったのは、 豊臣秀吉でした。 大坂城完成まで秀吉の拠点だった天王山、山崎城の丸。 天守台跡かもしれない石垣。 彼は能寺の変の3年後に四国長曾

    <小田原北条氏の防衛戦(その4)> 豊臣家と北条家の交渉決裂、豊臣軍の出陣 - 歴史ぶらり1人旅
    dantandho
    dantandho 2023/12/01
    真田太平記、好きでした〜北条氏攻略に、さまざまな手が打たれたのですね〜それにしても、景色の綺麗なところで〜次回記事楽しみにしています〜
  • <小田原北条氏の防衛戦(その3)> 北条氏による小田原城総構えの構築(3) - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちは、rekikakkunです。 小田原城総構えの探訪、3回目、ラストとなります。 1.北条家による小田原城総構えの構築 (4)総構え探訪(途中から再開) 前回ブログでは、⑧小峰御鐘ノ台大堀切東堀 までを見ていきました。 書き忘れてましたが、この大堀切は3つ共堀の 中も上も歩けますので、迫力が実感出来ますよ~😀 さて、次は大堀切から北西の方角にも遺構が 残っている様なので、行ってみます。 ⑨香林寺山西(こうりんじやまにし) 下マップの⑨香林寺山西へ向かいます。 大堀切から北西へ向かう 右側は⑧大堀切東堀の南端です。 上写真の左の道を北西へ進むと、 下写真の中堀南端に着きます。 ⑦大堀切中堀の南端(右が中堀南端) (マップの分岐1) 更に上写真の左の道を北西に進むと、 マップの分岐2に着きます。 西堀の西南端の分岐道 (マップの分岐2の写真) 上写真の分岐2を左へ進みます。 分岐2か

    <小田原北条氏の防衛戦(その3)> 北条氏による小田原城総構えの構築(3) - 歴史ぶらり1人旅
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    dantandho 2023/11/14
    小田原城、一度行ったことがあるのですが、ほとんど見ていなかったようなものです~もう一度ゆっくり行ってみたいです~
  • <小田原北条氏の防衛戦(その2)> 北条氏による小田原城総構えの構築(2) - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちは、rekikakkunです。 小田原城総構えの探訪、2回目となります。 4.総構え探訪(途中から再開) 前ブログでは、下の探訪マップの ①から⑤稲荷盛の総堀跡までを見て行きました。 今回は下マップの⑥、⑦、⑧をご紹介致します。 ここには箱根側の尾根筋から敵の進入を防ぐ為、 大きな堀切が連続して3つあります。 城の最も外側の⑥西堀、そして ⇒⑦中堀⇒⑧東堀 と見ていきます。 探訪マップでは見難いですが、3つの大堀切は、 ⑥西堀、⑦中堀、⑧東堀 です。 ⑥小峰御鐘ノ台 大堀切西堀 (こみねおかねのだい おおほりきりにしぼり) ⑤稲荷盛から道沿いに6分程西へ歩くと、 小峰御鐘ノ台(こみねおかねのだい) の説明板、案内板に着きました。 小峰御鐘ノ台の入口 (ここから3つの堀切に分岐します) まず⑥西堀の行きます。 ⑥小峰御鐘ノ台大堀切西堀の説明板1 ⑥小峰御鐘ノ台 大堀切西堀跡1 (埋ま

    <小田原北条氏の防衛戦(その2)> 北条氏による小田原城総構えの構築(2) - 歴史ぶらり1人旅
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    dantandho 2023/11/02
  • <小田原北条氏の防衛戦(その1)> 北条家による小田原城総構えの構築(1) - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちは、rekikakkunです。 今年の夏は暑かったですね。🤣 今年夏の平均気温は、統計を始めて125年間で、 最も暑かったそうです。 その暑さも次第に和らぎ、ようやく 動き易い季節になってきました。 山城シーズンの到来です。(^▽^)/ 今秋は戦国時代の有名なお城が沢山ある 埼玉県探訪を11月に計画しています。 (鉢形城、忍城、松山城、杉山城あたり) しかし埼玉県、武蔵の国を含めた関東は 戦国時代、いや!、そのもっと昔から 複雑怪奇な歴史を踏んでますよね? 室町幕府が開かれたのは、1336年とも 1338年(建武5年)ともいわれていますが、 初代尊氏の時代に、子の基氏が鎌倉に下行し、 1349年に鎌倉府が設立しました。 幕府成立とほぼ同時に関東に権力組織が出来てしまい、 騒乱への下火が燻っていたと考えられます。 そして公方(くぽう)やら関東管領やらが 何故か複数出て来て、とても分

    <小田原北条氏の防衛戦(その1)> 北条家による小田原城総構えの構築(1) - 歴史ぶらり1人旅
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    dantandho 2023/10/24
  • (静岡県東部のお城ご紹介)3国激戦区の趨勢を決めた深沢城の攻防戦 - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちはー、rekikakkunです。 静岡県東部(駿東)のお城ご紹介も 今回最後となりました。(多分😓) 戦国時代、3国の攻防の舞台となった駿東の 歴史をもう一度整理してみます。 またですが3家の拠地を①から③で示します。 ①駿府城(今川氏居城、静岡県) ②小田原城(北条氏居城、神奈川県) ③躑躅ケ崎館(武田氏居城、山梨県) この3国の駿東での攻防を下表にまとめてみました。 多少ズレもありますが、おおよそで見て下さい。 (1)1493年北条早雲(初代)の伊豆討ち入り により戦国時代が幕開けしたとも言われてます。 当時駿河国は守護の今川家が領有していました。 (2)1537年 第1次河東一乱 今川義元が家督相続戦に勝った後、武田と同盟を 結んだことにより、武田と敵対関係にあった 北条氏綱(2代)は駿河の富士川以東を占領しました。 (3)1545年 第2次河東一乱 今度は今川義元が、北

    (静岡県東部のお城ご紹介)3国激戦区の趨勢を決めた深沢城の攻防戦 - 歴史ぶらり1人旅
    dantandho
    dantandho 2023/10/16
  • (静岡県東部のお城ご紹介)葛山氏の支城 千福城 と 御宿氏 - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちは、rekikakkunです。 前回は駿河東部の有力国人、葛山氏と その居城葛山城をご紹介致しました。 駿河東部は今川、北条、武田氏3家境目の 位置の為、激しい争奪戦があった地域です。 場所を地図で確認してみます。 まず3家の拠地を①から③で示します。 ①駿府城(今川氏居城、静岡県) ②小田原城(北条氏居城、神奈川県) ③躑躅ケ崎館(武田氏居城、山梨県) そして、3家での争奪戦がありました 境目のお城を、④から⑦で示します。 ④深沢城 ⑤葛山城 ⑥千福城 ⑦長久保城 あまり聞きなれないお城かもしれませんね。 私も⑤の葛山城以外は最近知りました。 そして駿東境目の城や争奪戦は、上記以外にも 富士大宮城等、沢山あると思いますが、 今回は3家に最も近い国道246号線沿いの お城に焦点を当てます。 (まあ、結果的にそうなってただけですが🙄) 御殿場から沼津に至る街道は、 足柄街道、矢倉

    (静岡県東部のお城ご紹介)葛山氏の支城 千福城 と 御宿氏 - 歴史ぶらり1人旅
    dantandho
    dantandho 2023/10/01
    御宿氏のこと、知りませんでした〜とても面白いです〜お城は天然の要害を活かした作り、その上富士山が綺麗に見えたのですね〜
  • (静岡県東部のお城ご紹介)駿東の有力国人 葛山氏と葛山城 - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちは、rekikakkunです。 現在、私のブログはいつのまにか 「静岡県東部のお城ご紹介シリーズ」 になっておりまして・・・、 泉頭城(柿田川公園)、伊豆長浜城(水軍の拠点) に続く第3弾と致しまして、 葛山城(かずらやまじょう)をご紹介致します。 静岡県の戦国時代のお城や歴史等を見ていると、 葛山氏、葛山城は時々目にしてました。 そしてその領主葛山氏は藤原北家を先祖に持つ 名門として鎌倉、室町時代を生き抜き、 駿東で1,2を争う有力国人だったと言えます。 葛山城の場所は、静岡県裾野市で、下マップ⑤の所です。 国道246号線を北進し、途中の西側です。 今回はシンプルにお城へ行きます。( •̀ ω •́ )✧ 葛山城入口の案内板 葛山城及びその周辺案内マップ 仙年寺正面、右側に広い駐車場、トイレがあります お城正面の仙年寺から登城します (写真はお寺の裏まで来ています) 葛山城 

    (静岡県東部のお城ご紹介)駿東の有力国人 葛山氏と葛山城 - 歴史ぶらり1人旅
    dantandho
    dantandho 2023/09/16