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お遍路と愛媛県に関するdanzaemonのブックマーク (4)

  • 伊予国分寺 - Wikipedia

    伊予国分寺(いよこくぶんじ)は、愛媛県今治市国分に位置する真言律宗の寺院。金光山(こんごうざん)、最勝院(さいしょういん)と号す。尊は薬師瑠璃光如来(薬師如来)。四国八十八箇所第五十九番札所。伊予府中十三石仏霊場の第7番霊場。札所寺院としては、単に「国分寺」と称するのが通例である。 尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか ご詠歌:守護のため建ててあがむる国分寺 いよいよめぐむ薬師なりけり 天平13年(741年)、聖武天皇が発した国分寺建立の詔によって建立された諸国国分寺の一つである。国分寺は『金光明最勝王経』による国家鎮護の寺であり、当寺もそれから山号・院号がつけられている。寺伝では聖武天皇の勅願により行基が開創し、第三世・智法律師のとき、空海(弘法大師)が逗留し五大明王の画像を、その後、真如は法華経を奉納したとされる。 史実としては、具体的な創建年は定かでないが、『続日

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  • 石手寺 - Wikipedia

    石手寺の衛門三郎 石手寺(いしてじ)は、愛媛県松山市にある真言宗豊山派の寺院。熊野山(くまのざん)、虚空蔵院(こくぞういん)と号す。尊は薬師如来。四国八十八箇所第五十一番札所。遍路の元祖とされる衛門三郎の再来伝説ゆかりの寺でもある。 初詣・厄除詣の参詣者数は県内随一であり、道後温泉から近いため、遍路の他にも、観光客で賑わうことが多く、2009年3月、ミシュランガイド(観光地)日編において1つ星に選定された。 尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか 御詠歌:西方をよそとは見まじ安養(あんよう)の 寺に詣りて受くる十楽(じゅうらく) 納経印:尊、奥之院石鉄寺、衛門三郎再生大師 寺伝によれば、神亀5年(728年)に伊予国の太守、越智玉純(おちのたまずみ)が夢によってこの地を霊地と悟り熊野十二社権現を祀った。これは聖武天皇の勅願所となり、天平元年(729年)に行基が薬師如来を刻ん

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  • 圓明寺 - Wikipedia

    圓明寺(えんみょうじ)は、愛媛県松山市和気町にある真言宗智山派の寺院。須賀山(すがざん)、正智院(しょうちいん)と号す。尊は阿弥陀如来。四国八十八箇所第五十三番札所。近年は円明寺と表記されることが多い[1]。 尊真言:おん あみりた ていぜい からうん ご詠歌:来迎の弥陀の光の圓明寺 照りそふ影は夜な夜なの月 納経印:当寺尊、奥之院十一面観音、四国十三仏霊場勢至菩薩 寺伝によれば天平勝宝元年(749年)聖武天皇の勅願を受けて行基が尊阿弥陀如来、脇侍に観世音菩薩、勢至菩薩を刻んで開基した。当初は現在地より北西約2.5 kmの和気浜の西山という海岸にあり「海岸山圓明密寺」と称する七堂伽藍を備えた大寺であったという。後に空海(弘法大師)がこの地を巡錫し荒廃した伽藍を整備したという。 鎌倉時代以降に幾度か兵火によって荒廃、元和年間(1615年 – 1624年)に現在地に移転。寛永10年(1

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  • 南光坊 - Wikipedia

    総鎮守三島地御前 南光坊(なんこうぼう)は、愛媛県今治市別宮町にある真言宗御室派の寺院。別宮山(べっくさん)、金剛院と号す。四国八十八箇所第55番札所であり、尊は大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)で、同霊場で唯一[1]。 尊真言:おん あびらうんけんばざらだと ばん [2] ご詠歌:このところ三島に夢のさめぬれば 別宮(べつぐう)とても同じ垂迹(すいじゃく) 推古天皇御代2年(594年)勅により、大三島東海岸側に大山積神社(明治初年以降は大山祇神社と改名)の元となる遠土宮(おんどのみや)が祀られる。 のち国司越智玉澄は、大宝元年(701年)大三島の西海岸側に大きな社殿を造営し遷座しようと始めるが、社殿が完成し遷座の儀が行われ大山積神社が完成したのは養老3年(719年)である。また、海を渡るため風雨の時祭祀が欠けることを憂い、文武天皇の勅を奉じて大宝3年(703年)大山積神を当

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