江戸時代の三十三間堂(18世紀後半、歌川豊春画)。 江戸時代作の絵図に描かれた三十三間堂 左隣に見えるのが方広寺大仏殿 (京の大仏)(「花洛一覧図」京都府立京都学・歴彩館デジタルアーカイブ 一部改変) 通し矢に因んで始められた「大的大会」。成人を迎える射手が弓を引く 本堂(南面) 本堂(北面) 三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)は、京都市東山区三十三間堂廻町にある天台宗の寺院。本尊は千手観音。建物の正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)。同じ京都市東山区にある妙法院の飛地境内であり、同院が所有・管理している。元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂で、蓮華王院の名称は千手観音の別称「蓮華王」に由来する。洛陽三十三所観音霊場第17番札所。 この地には元々後白河上皇(1127年 - 1192年)が離宮として建てた法住寺殿があった。その広大な法住寺殿の一画に建てられたのが蓮華王院本
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