ブックマーク / blog.tinect.jp (3)

  • なぜ「おじさん」「おばさん」は、人生の下り坂に耐えて生きていけるのか。

    太く短く生きたい若者が、細く長く生きたい中高年層になる瞬間について 「あんまり長生きなんてしたくないんだよね。若い頃にしっかりと人生を楽しんで、太く短く40歳ぐらいで死ぬ方が、細く長く生きるよりも全然いい」 こういう事をいう若い人は結構多い。僕も若い頃はこんな感じの事をよく言っていた。 ところが働き始めた後、ある程度年配の方と接するようになってみて、この世に未練がある人が驚くほど多いという事がわかり非常に驚いた。 この人達に詳しく話を聞いてみると、この人達も若い頃は太く短く生きるのが理想だったけど、実際に自分が40~60になってみると昔は忌み嫌っていた細く長くの生き方に執着するようになってきたというのだ。 これは、私よりも一回り若い医師ブロガーの、高須賀さんによる文章だ。 アラサー時点の気付きを書き綴った文章として、共感できるものだった。たぶんだけど、この気付きだいたい当たっていると思う。

    なぜ「おじさん」「おばさん」は、人生の下り坂に耐えて生きていけるのか。
  • 会話のうまい人とそうでない人の決定的な差がどこにあるか、ようやくわかった

    公私共に、会話のうまい人を、たくさん見てきた。会話はコミュニケーションの基礎であり、また終着点でもある。上手であることに越したことはない。 ではどうすれば、会話が上手い人、あの人と話すのが楽しいね、と言われる人になり得るのだろうか。 一説によれば「聞き上手となるべき」という人がいる。ウンウン、と相手の話をよく聞き、相手に気持ちよく喋ってもらうことに注力せよ、という。 しかし最近、それはどうも違う、と感じることもある。聞き上手であることは特定のシーンにおいては重要なのだが、必ずしもそうではない。 例えば私は普段「聞き上手」の人をあまり求めていない。 なにか観察されているのでは、と勘ぐってしまうからなのだが、むしろ話上手、と言われる人の方が与しやすく、会話も続くのだ。 また、世の中に散らばる「会話のしかた」は、いかにもマニュアル的で個別のシーンで使い勝手が悪い。だから最近まで私は「会話に王道な

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  • 「叱る名人」が実践している秘訣とは。

    叱ることは難しい。かなり難しい。それ故、人を叱ることのできない人も多いだろう。 多くの人々にとって、部下や子供を「叱る」のは、それなりにハードルが高い。感情的なしこりを残したり、言いたいことを聞いてもらうことが出来なかったり、叱り方によっては全く効果がなく、悪影響だけが残ったりする。 それを回避するため、「感情的になるな」や「人前で叱るな」など、テクニック的なものが数多く紹介されているが、私はそれに対して懐疑的であった。 「叱る」という行為は非常に大きな感情の動きを伴うため、テクニックによって人を操ることは、なにか失礼なことがあるような気がしたからだ。 ところが、私の知人に、叱る名人(?)がいる。 最初に彼の叱り方を見たとき、ナルホド、と感じた。世の中に「叱り方」を語る人は数多いが、彼のやっていることが質ではないかと強く思う。 彼のやっていることの質は、「自省する力を引き出す」というも

    「叱る名人」が実践している秘訣とは。
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