原子力防災の元実務技術者である永嶋國雄さん(71)へのインタビューをお届けしている。永嶋さんの名前を教えてくれたのは、『原子力防災』の著者、松野元さんだった。永嶋さんは、松野さん同様、原発事故に備えた防災システムの設計に関わり、危険を警告していた人物で、『原子力防災』の共著者にもなるはずだった。 政府は巨額の予算を投じて、原子力発電所のシビアアクシデントに対する防災システムを構築していた。しかし、3.11ではそうしたシステムがまったく生かされなかった、という話を前回聞いた。今回は、国が実施していた「原子力総合防災訓練」の欠陥や、事故発生後に官邸と現場で積み重なった判断ミスなどについて話を聞いた。 避難範囲を10キロ圏内に抑え込むべきだった東電の責任 ──国は「原子力総合防災訓練」を3年に1回やってるはずなんですよ。2008年には福島第一原発でやってるんです。菅内閣の閣僚だって2010年に浜