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ブックマーク / koheko.hatenadiary.org (15)

  • 「忙しい」は褒め言葉にしちゃ駄目だろ - 諏訪耕平の研究メモ

    ある20代半ばの友人との会話。 友人「最近どう?」 僕「そうねえ,最近はまあのんびりだね」 友人「でも忙しいんでしょ?」 僕「いや,別に・・・好きでやってることだし」 友人「でもほら,やっぱ塾講師とか色々時間とられるしさ,論文書くのも大変でしょ」 僕「まあ大変だけど」 友人「そうかあ。頑張ってるんだなあ」 最近思うことだが,20代においては「忙しい」というのは褒め言葉になっている。彼らはすぐに人を忙しくしたがる。忙しいの対象は,当然仕事である。仕事において忙しい人間は偉い,立派,そんな風潮があるように思う。 まあ無理もないかもしれない。仕事をしているやつが一番偉い。我々が生きてきたここ10年間,そんな風潮を我々はひしひしと感じてきた。忙しければ忙しいほど偉い。始発で会社に向かい,終電で帰るという日々は自慢話となる。「不幸自慢」という言葉があるが,彼らにとって忙しいということは誇るべきことで

    「忙しい」は褒め言葉にしちゃ駄目だろ - 諏訪耕平の研究メモ
  • 「居場所」で苦労しないような環境こそ自分の最適な居場所たりうる - 諏訪耕平の研究メモ

    「居場所」ということについてずっと考えてきて,薄々気付いてたんですが,最近,これは認めないと駄目かなと思うようになったことがあります。それは, 「その世界でトップをとるような人間は,最初から輝いている」 ということ。逆に言えば, 「最初駄目で,努力で上を目指していっても,トップにはなりづらい」 ということですね。これには,反対意見多数だと思うので,ぼちぼち,僕がなぜそう思うようになるに至ったかを説明していってみようと思います。 「居場所」について研究してきた僕の最近の関心は,「居場所の獲得の仕方」ということです。これには結構色々思うところがあって,それを論文に盛り込んでみたりもしたんですが,どうも受けが悪い。僕としてはかなり事例を詳細に分析してのそこそこ自信のある仮説だったりしたので,なんで受けないんだろうと思ってたんですけど,そのうち,批判してくる人たちに共通する意見があることに気が付い

    「居場所」で苦労しないような環境こそ自分の最適な居場所たりうる - 諏訪耕平の研究メモ
  • 「悪いのは自分」では解決しないこともある - 諏訪耕平の研究メモ

    正に今の自分そのものが書かれていて胸に突き刺さりました。 自分の場合、何が分からなくて何を質問したらいいのかすら分からず、言われた通りに進めた結果失敗した上、教えて貰ったことも全くものにできず、先輩との仲が完全に冷え切りました。今では挨拶すら返してもらえず、軽度の欝を患い通院中です。 自業自得といえばそれまでですが、それでもなんとかやり直したいと考えてます。出来るかどうかは別として、ですが。来年度こそまともな成果が出せればと思う反面、まずどうすればいいのかが分からなくて悩んでます。 具体的な質問のやり方ではなく、人の話を聞いた際の疑問・質問の抱き方のコツがあれば教えて頂きたく。 このエントリー(に限らず,この方の「研究室」論は大変示唆に富む内容で,尊敬しております),非常に面白い内容で,かつ概ね妥当だと思うのですが,ちょっとそのスタート部分,このコメントの意味をとらえそこねたので書いておき

    「悪いのは自分」では解決しないこともある - 諏訪耕平の研究メモ
  • 客観的な情報でしか動けないやつ俺大嫌い - 諏訪耕平の研究メモ

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    客観的な情報でしか動けないやつ俺大嫌い - 諏訪耕平の研究メモ
  • 「持っている人」は「持たざる人」の気持ちはなかなか理解できないと思う(追記あり) - 諏訪耕平の研究メモ

    「当事者性」みたいな視点から議論すると,今回の民主党や公明党のマニフェストを「ばらまき」であるとして批判する人とかは,「金持ってんだろうなー」とか思ってしまうわけです。実際に保育や教育において苦労している人はなかなかそういう発想になれない。 心のどこかで,「持っている人」がいるから,自分たちは「持たざる人」のままなんだという気持ちがあるのかもしれませんね。持っている人たちは「自分は努力したからこそ持ってるんだ」と思うかもしれませんが,じゃあ持たざる人たちが「自分は努力が足らなかったから持ってないんだ」と思えるかというとこれはなかなか難しくて,何せ「努力」ということで言うと,持たざる人ってある意味で努力せざるをえない環境にありますからね。 少なくとも,例えば現在30歳の「持たざる人」が,同世代の持っている人と自分を比較して,「自分はあの人に比べて努力が足らなかったから持っていないんだ」と確信

    「持っている人」は「持たざる人」の気持ちはなかなか理解できないと思う(追記あり) - 諏訪耕平の研究メモ
  • 社会科学における先行研究の存在意義 - 諏訪耕平の研究メモ

    大変遅くなりました。概ねご意見には同意です。ただちょっと以下の箇所の理解に苦しんだので、少し言及させていただこうかと思います。 <対象の一部を捨象することで対象について分かった気になるというのは、物理学などに特徴的な発想ですが、女性で物理学科に進む人はとても少ない。対象の一部を捨象する、というものの見方が苦痛なくできるためには、「何々は見ないことにする」みたいな芸当が苦労なくできることが必要です。こういう芸当は、最初から全体が見えていて、全体は全体でしかない、と思っている人には苦痛に感じられます。>以前「女教師ブログ」の方がこんな議論をされていました。 「テーマを絞りなさい」という指導は論文をつまらなくする: http://d.hatena.ne.jp/terracao/20080413/1208019562 ここで重要なのは多分「関心」ですよね。その学生の関心がどこにあるのか、それを見定

    社会科学における先行研究の存在意義 - 諏訪耕平の研究メモ
    darimaru
    darimaru 2009/07/02
    自然科学と社会科学の違い
  • 「できない」人の指導が受けたい - 諏訪耕平の研究メモ

    例えばある集団を改善したいとして,そのとき意見を聞くべきなのはその集団に不満を持っている人だと思うわけですよ。そういう人はその集団の欠点がよく見えている。でもその集団にもっとも不満を感じている人って恐らくその集団から排除されてしまった人だったりするので,そういう人に意見を聞こうとしても,「もう私には関係のない話ですので」となりがち。実際僕は経験があります。結果,それほどその集団に不満を感じていない人たちの意見をもとにその集団を改善しようみたいな話になっていくので,改善は不完全燃焼で終わったりするのだろうと思うのですね。 最近僕の研究分野で「当事者性」についての議論をよく見かけます。一番ホットなのはアクションリサーチですよね。アクションリサーチって要するに現場を改善していくプロセス全体を研究としてみなそうみたいな取り組みで,これを推進しているwhiteheadという人はpractitione

    「できない」人の指導が受けたい - 諏訪耕平の研究メモ
  • 研究室において居場所を得るということ - 諏訪耕平の研究メモ

    春は出会いと別れの季節と言いますか?わかりません。今日は、新しく研究室に配属される理系大学の新四年生を対象に、この魑魅魍魎渦巻く研究世界の歩き方的なものを、曲がりなりにも二年間、理系の研究室で過ごしてきた経験を元として、二年前の自分にアドバイスするつもりで、心の赴くままに書いてみようと思います。 大変美しい文章だと感じました。特にここのところが良い。 僕は、研究には3つの意義があると思っています。外向きの意義、内向きの意義、そして、研究が存在することそれ自体の意義です。 「外向きの意義」はいわゆる一般的な研究の意義。「内向きの意義」は研究者の成長。「研究が存在することそれ自体の意義」は「疑う」ということの価値。1番目は当たり前ですが,2番目,3番目を研究室の上の人,特に教授が理解してくれていると素晴らしいですね。 一点。ここのところ。 研究室で発狂しないために ・研究がうまくいかないからと

    研究室において居場所を得るということ - 諏訪耕平の研究メモ
  • 居場所と自己責任論 - 諏訪耕平の研究メモ

    居場所の問題は当に自己責任論に帰されやすい。ある人がある集団の中でいつになってもパフォーマンスを発揮できないでいることに対し,周囲の人々は,「やれることはやった。あとは人の問題」というようなことを平気で言う。それはある面真実だろうが,人が居場所を獲得できないでいるという状況を「やれることはやった」などと言うことは僕にはできない。それと,その人に対する評価は結局その集団の持つ空気に従って行われているので,その点においても,ある人が居場所を獲得できないのは自己責任だけではないはずだ。その人をみんなして追い出そうなどと考えているならその方略は非常に効果的であると言えるが,「みんながあの人が居場所を獲得することを望んでいるのに,人がやる気を出してくれないことにはどうしようもない」などという考え方に支配されてしまっている場合は,ある人の居場所の構成要素においては人だけでなく周囲も相当な割合

    居場所と自己責任論 - 諏訪耕平の研究メモ
  • 「食えなくても頑張れ」の怪 - 諏訪耕平の研究メモ

    podcastの「サイエンス・サイトーク」という番組が好きでいつも聞いている。その中に動物学者という人が出てきた。ペンギンの生態についての大発見だとか,アザラシを追っていて分かったアザラシのもつ社会性だとか,非常に興味深い話が出てきて楽しく聞いていたのだが,話の終盤,司会者が,「こういった面白い研究が,経済的に成立しないということについて大学院生にどう説明しておられますか?」という質問をした。この質問に対し動物学者の方はしばらく沈黙したのち,「非常に難しい質問だと思います。・・・諦めろ,と言いますね」と答えた。その後の彼の論旨は以下である。 「決して『おいしい』分野ではない。える可能性は決して高くない。というかむしろ,就職がしたいというような理由でこの分野に入ってきて欲しくない。えなくてもいいからやりたいというような人を歓迎する。面白いというのだけがこの分野の売り。しかし,欧米などの先

    「食えなくても頑張れ」の怪 - 諏訪耕平の研究メモ
  • プライドと集団内アイデンティティ - 諏訪耕平の研究メモ

    「プライドを捨てろ」というのは日で合言葉のように言われている言葉であって,とかく日においてプライドという言葉は悪役扱いされているように思う。社会に出て5年経った僕の友人は人事を経験して,「院卒はプライド高過ぎて使えない」と言っていた。プライドが高い=良くないことという図式はあらゆる場面で見られる。ただ僕にとって不思議であったのは,そう言う友人が,僕から見てプライドの塊であるということだった。彼の発言はすべて,自分がいかに頑張っていて,それなりに結果を残しているかというものであって,それは僕にとってはプライド以外の何者でもなかった。他人のプライドの高さを否定する人間のプライドがやたら高い。実は,そういう様子もそこかしこで見られる。そこで,彼らの言うプライドとは何なのかを考えてみようと思った。 結論から言えば,ここで言うプライドとは集団内アイデンティティである。つまり,人は,今現在自分が重

    プライドと集団内アイデンティティ - 諏訪耕平の研究メモ
  • 重要な他者に承認されることによってアイデンティティを達成するということ - 諏訪耕平の研究メモ

    子どものころ,大人がすぐ怒るのが怖かった。もしかすると僕は人一倍怒られるのが嫌いな子どもだったので,今対峙している大人が,何か自分がミスをすればすぐ怒り出す存在なんだと思うと,なかなか心を開くというわけにはいかなかった。だから,いつもびくびくしていた。 びくびくしていたのに,僕はいつも怒られていた。高校のころは,とにかくいつも怒られていたという記憶が強い。父親は僕の中で,僕を怒るために存在していた。彼はいつも不愉快だった。母親も,そこまでではないが,それほど大差はなかった。両親は常に僕に不満を持っていたし,僕はその期待にこたえる気力を既に失っていたので,その構造は一生続くのだろうと思っていた。 大学に入って,両親のもとから離れた生活は,これほど楽しいことが世の中にあるのかというほどのものだった。僕は浮かれて毎日遊びまわり,ほとんど帰省しなかったし,実家からの連絡にもなかなか返信しなかった。

    重要な他者に承認されることによってアイデンティティを達成するということ - 諏訪耕平の研究メモ
  • 私的メモ:集団内アイデンティティを定義する試み - 諏訪耕平の研究メモ

  • アイデンティティを得るということは,人生における課題ではなく,楽しく生きるためのひとつの方法 - 諏訪耕平の研究メモ

    http://anond.hatelabo.jp/20080622033714 これは刺さる。僕も似たような経験をしてきたと思う。この方ほどつらいものではなかったけれど。中高生というのは信じられないほど他人にひどいことをする。あれは一体なんなんだろう。人間はそもそもそういうものなのか,状況に感化された行動なのか。後者だと信じたいけど前者も少しはあるんだろう。 ブス,ブ男が堂々と生きるにはアイデンティティが必要になる。要するに中高生の集団においては,容姿というのは相当に重視される価値観であるということだ。なぜかは知らないが。アイデンティティは,所属する集団が重視する価値観に同一化することによって得られる(ただこの場合はその集団でしか通用しないアイデンティティである可能性が高いから,僕はそれを「集団内アイデンティティ」と呼んでいるわけだが)ので,容姿でアイデンティティが得られないなら,その次ぐ

    アイデンティティを得るということは,人生における課題ではなく,楽しく生きるためのひとつの方法 - 諏訪耕平の研究メモ
  • 他人を結果だけで評価するということと,人が居場所を持つということの関係 - 諏訪耕平の研究メモ

    ドラゴン桜という漫画の中で,主人公桜木が,東大への受験生を子に持つ親に対し,「世間は人を結果でしか評価しないので,身内だけでも努力を認めてやってください」というようなことを言っていた。 この言葉は刺さった。確かに,世間は人を結果でしか評価しない。場合によっては結果=努力の成果であり,結果が出なかったということは努力をしていないということというような見方すらある。しかし,すべての努力が結果に結びつくというものではないということを,我々の多くが実は分かっている。それにもかかわらず,我々の多くが,他人への評価を結果でしか行おうとしない。 「居場所」という概念について考えるとき,この,我々が他人を評価するときのまなざしについて考えておくことには意味がある。僕は,ある研究を通して,居場所とはアイデンティティのようなものではないかと感じた。アイデンティティとはエリクソンという精神分析学者が提唱した概念

    他人を結果だけで評価するということと,人が居場所を持つということの関係 - 諏訪耕平の研究メモ
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