社会復帰のためのさまざまな事業や提案がなされているが、そこには「成功した状態」から、できない側を否定する発想しかない。 逆に言うと、「うまくいった側」は、すでに自分を反省しなくていいことになっている。 これは、結果物としての「売れた商品」の側から考える、社会参加の努力を物神に屈従させる発想でしかない。 支援する側もされる側も、「輝かしい成功地点」からのチェックで考えてしまう。だからそれが自意識になり、再帰的な硬直が強まり、入門すらできない*1。 自意識が、対象世界から個人を恒常的にはじいている。 「完成形」を目指すプログラムそのものが、社会参加をダメにする共犯者になっている。 こういう発想しかしない者にとって、最善の「民主的な」あり方は、ひたすらルーズにフレンドリーに受け入れることだが、それは暗黙の抑圧でしかない*2。 状況への分析が拒絶され、誰かを無条件に受容するために*3、ほかの誰かが