種牡馬時代[編集] 父がオセアニアの大種牡馬、兄や従兄弟にG1馬がいるという良血を買われ、1997年にニュージーランドで種牡馬入りした。2000-2001年シーズンに初年度産駒がデビューすると、当初はあまり活躍馬を出せなかったが、2003-2004年シーズンには2頭のG1勝ち馬を送り出し、ニュージーランドのサイアーランキングで自己最高の8位をマークした。障害競走の活躍馬も出していて、2008年から2010年にかけてニュージーランド最大の障害競走グレートノーザンステープルチェイスを3連覇したHypnotizeがおもな産駒である。オーストラリアや東南アジアへ輸出された産駒はいるものの、日本に輸出されたケースはなかった。 以後は毎年サイアーランキング20位台前後で推移する中堅種牡馬として活躍していたが、2009年10月12日の夜に重度の疝痛から腸閉塞を発症し、安楽死の処置がとられた[4]。 G1