まず初めに。 私は山月記のネットにおける「使われ方」があんまり好きじゃない。山月記を象徴する言葉といえば「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」であり、これが人が虎になった原因であるといわれます。いや、わかるんだけどさ。これってそこそこ才能がある人や芸術家の葛藤でしょ。いくらなんでも、人を揶揄するときに山月記を使いすぎだろうと。たかがネットの「プロブロガー(笑)」やらワナビーどもを揶揄するためにこの話持ち出すのはいくらなんでも李徴に失礼だと思う。蛸壺屋のけいおん同人の方でいいだろと。*1 人間が虎に変化する物語には二つの類型がある。一つは、人間の身心に内発する何らかの変化が虎への変身を惹き起こす、内発的な動機による変態を狂気型。もう一つは、当人の意識とかかわりなく、忽然と変身が人の身、ついでに心に生起してしまう、外発的な動機による変態を憑依型とする。この分類によると、「李徴」は、狂気型に属する 李徴