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ベラルーシに関するdeadcatbounceのブックマーク (3)

  • 2012-08-19

    ミッシェル・フェルネックスというのは、退職したスイス人の医者で熱帯医学(マラリア)が専門です。その関係でWHOでも働いておりました。放射線被曝の影響は特に専門でもなく、放射線の被曝に関する論文を出している人ではありません(pubmedによる)。もちろん、エートス計画が始まった時には、WHOには勤めておりません。配偶者(故人、ソランジュ・フェルネックス Solange Fernex)はフランス緑の党を設立した人です。『チェルノブイリ・ベラルーシのこども』という基金の代表を一時つとめており、ネステレンコ(父・故人)のベルラド研究所に資金援助をしていました。 ちなみに、ミッシェル・フェルネックスは1929年生まれ、66歳の1995年で退職しているので、エートス計画の始まった1996年にはすでに退職した後です。 http://www.enfants-tchernobyl-belarus.org/d

    2012-08-19
  • ベラルーシで子どもの死亡率は上がっているのか?

    buvery @buvery 先日来から、ベラルーシで小児死亡率が上がっているようなことを主張している人たちがいたので、調べてみました。ベラルーシでのエートスは91年開始。90年から今に至るまで5歳以下死亡率は徐々に下がっています。出典:WHO 概況 英語PDF http://t.co/htxBWKn2 2012-07-31 08:33:24

    ベラルーシで子どもの死亡率は上がっているのか?
  • ベラルーシにおける法的取り組みと影響研究の概要(ウラジーミル・P・マツコ,*今中哲二)

    3 チェルノブイリに関する政府レベルの活動 政府の基的政策 チェルノブイリ原発事故の影響を軽減するためにベラルーシ政府が行なってきた活動は,ソ連の崩壊前と後という2つの時期にまたがる5つの段階に分けることができよう.ソ連時代のベラルーシ政府は,事故の最初のショックから回復すると,ソ連共産党中央委員会とソ連政府が決定した政策を実行した.ソ連が崩壊し,旧ソ連諸国(主としてロシア)からの援助が期待できなくなると,ベラルーシ政府はチェルノブイリ問題について独自の政策を実行することになった. 第1段階(1986年4~6月)では,さまざまな不整合はあったものの,共和国の社会的・経済的状況は,種々の施策を実施することが可能な状態であった.この段階でのもっとも大きな誤りは,放射能の危険について人々に知らせなかったことである.パニックが起きる,という意見は根拠のないものであった.事故の大きさに関する秘密主

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