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ブックマーク / blog.livedoor.jp/captainsummer (15)

  • 恋は雨上がりのように : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)

    「このマンガがすごい!」で第四位。 足に傷跡が残っていたりして、わりと痛々しい。 でも、その影の部分がこの娘さんの魅力だったりして、おっさんの自分としてはなかなかにドキドキしてしまったことは認めよう。 なんというかねえ、所謂ギャル!!とかロリ!!ではないので、おっさん受けしやすい感じはするのだ。 おっさん受けしやすいというか、この娘さんなら恋しちゃっても犯罪じゃぁないんじゃない??っていう免罪符があるような・・・ で、その相手役のバイト先の店長ってのが、チャックは開いているは、寝癖がついちゃっているは、頭に十円ハゲがあるは・・・・・てな感じの、当に冴えないおっさんで。 なんというかわりとリアルにおっさんとして描かれている。 店長の魅力ってのは意図的に抑え目に表現されているのだろう。 その中年あるある描写は時に残酷ですらある。 まあ、誰もが振り返るような美少女が、中年男性を好きになるってい

    恋は雨上がりのように : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)
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    deadman 2016/01/26
  • わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)

    むっちゃくちゃ面白かった。 コミュニケーションなんてさ、うまけれりゃそれに越したことはないけどもさ。 それは、あくまでも「越したことはない」って話で。 例えばサッカーだってうまいに越したことはないし。 字だってきれいに書けるに越したことはないし。 そういうのと同じようなもんだよなぁと常々思っていた自分には、とても飲み込みやすい話だった。 その上で書は、コミュニケーションの質を「対話」だと位置づけ、異なる意見や考えを持つ他人同士がそれぞれに歩み寄り、妥協点を見出す技能だと解説してくれる。 つまり、他人と交流する際に、ディベート形式で相手を論破することでもなく、かといって過剰に相手の考えを受け入れたり、語っていない相手の心情を察するのでもなく、お互いの中間点を探るというところに、価値を見出しているわけだ。 とかく、プレゼンだとか口がうまい(だけの)人がもてはやされがちな今の「コミュニケーシ

    わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)
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    deadman 2015/07/09
  • 岡崎京子 戦場のガールズ・ライフ : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)

    岡崎京子とはなんだったのか。 いや、「だった」じゃねえな。 岡崎京子とはなんなのか。 自分なりのまとめ。 それは、岡崎京子が今は作品を描いていないという事実を改めて突きつけられたからだ。 岡崎京子が今もどこかで生きているのに、この世界には不在であるということの意味を改めて考えさせられたからだ。 そして、何よりも岡崎京子が筆を取れなくなってから19年、結局世界も、自分もたいして何も変わらなかったということに愕然としたからだ。 岡崎京子がいなくても、世界(自分)は何も変わらなかった。 あるいは、岡崎京子がいないから、世界(自分)は何も変わらなかったのか。 この「変わらない」は「終わらない」と言い換えてもいい。 「終わらない」ことを、岡崎京子は恐れていたっけ。 ”終わり”は、何か違うものの”始まり”であることが多い。たとえば、「私の青春は終わった」などとため息とともにつぶやき寂寥の念を感じたとし

    岡崎京子 戦場のガールズ・ライフ : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)
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    deadman 2015/04/17
  • ピンポン : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)

    アニメがすっげー面白い・・・んだけども、ここでは原作の話をちょっとだけ。 何が面白かったのかなぁと改めて考えたので、ちょっとだけ書いてみる。 スポーツマンガ・・・それも、連載マンガともなれば、どうしても避けては描けない要素がある。 「才能」ってやつとの距離感だ。 才能っていうのは語弊があるかもしれないので、ここではその定義を「主人公の努力だけではどうにもならない要因」としておく。 スポーツマンガで連載をしようと思えば、どうしたって、主人公は試合に勝たないといけない。 ほとんどの場合は、勝ち続けないといけない。 そうしないとお話にならないし、連載にならない。 で、主人公が勝ち続けるために、必死で努力する姿が描かれるわけだ。 それが、所謂「スポ根」なんて言葉を生んだ。 とはいえ。 努力だけで勝ち続けるってのはやっぱりちょっと納得し難いわけで。 「勝つ必然性」ってのをちゃんと描こうとすればするほ

    ピンポン : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)
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    deadman 2014/07/10
  • 榎本俊二のカリスマ育児 : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)

    俊二のマンガの中で一番好きかも。 とにかく、キレキレのマンガばかりを描いてきた作家さん。 キレキレと言えば、斬り介とジョニー四百九十九人斬りなんていう怪作もあったっけ。 その作風の特徴は、ま、一言で言うなら異常なまでのグルーヴ感だろう。 そのグルーヴに任せて、普通だったら飲み込めない下ネタとか、シュールなネタを無理矢理飲み込ませてくる。 で、かなりひどいネタも平気で扱うのだけども、それも飲み込まされてしまう快感みたいなのが、榎マンガの醍醐味だと勝手に理解している。 この、ある種、ポップアートのような芸風は、好き嫌いは分かれるよなぁ。 とにかく、あらゆるマンガの中でもかなり抽象的な作風であることは間違いない。 なにせ、明確なストーリーはほとんどないわけだから。 さて、そんな榎氏が描く育児マンガ(?)ということで。 正直、どんな仕上がりになるのか見当もつかなかったのだけども。 これが、

    榎本俊二のカリスマ育児 : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)
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    deadman 2014/03/14
  • シティライツ : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)

    まだ、こういうマンガがあるのだということに、安心する。 なんというか、何をしても、おもしろければ、アリだった。 また、おもしろくなくても、おもしろそうだったら、アリだった。 もっと言えば、おもしろそうですらなくても、だれかが、おもしろいような気がするといえば、アリになった。 で、その自由さの中では、おもしろいのかどうかわからないものが、作品として成立してしまうことがあって。 そういう微妙なマンガ程、どこかの誰かの胸にだけはズドン!と響いたりしたわけだ。 例えば、自分の敬愛する岡崎京子という天才。 彼女は、リバーズエッジ辺りの作品こそ、完成度という意味でもものすごい高みにいった作家さんだったけども。 初期の作品だとわりと、かきなぐりというか、ひどいものも結構あって。 ちらかしっぱなしのやりっぱなし。 ついでに絵も、超テキトー!ってのはわりとよくある話だった。 でも、そのひどさは、当時の自分に

    シティライツ : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)
  • 竹光侍(完結に寄せて) : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)

    ある意味でゼロ年代を象徴する、傑作中の傑作。 何もなかったと言い切って、絶望したふりしてお茶を濁すのは簡単だけど、何もなかったには何もなかった理由があって。 ぼくらはあまりにもおもしろいマンガに慣れすぎたのだ。 だから、「おもしろいマンガってこういうもの」っていうイメージが固まりすぎた。 これは、とどのつまり、受け手もまた、変化を望まなかったってことなんだと思う。 ドラゴンボール以降。あるいはスラムダンク以降。岡崎京子以降。あるいは鉄コン筋クリート以降。 90年代末期の、マンガ文化の断末魔のような名作群は、断末魔であると同時に、あるいは断末魔であったが故に、ストーリーマンガのフォーマットをほぼ決定した。 で、以降、読者は、似たような物語の・・・あるいは似たようなキャラクターの再生産ばかりを歓迎して、大きな変化を望まなかったように思う。 それは別に悪いことでもなくて、たとえそれが過去の作品の

    竹光侍(完結に寄せて) : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)
  • ディエンビエンフー : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)

    西島大介が「あえて」贈るエンタメ戦記もの 三巻まで読了 「めんどくさい」んだよ。このマンガ。 西島大介っていう人はずっと、ずっと、ずっと「ネットで語られるためのマンガ」を描いてる。 で、それを通して「ネットで語られるべきかっこいい自分」ってのを作り上げている。 そんな気がする。 計算された絵柄のコミカルさ、あるいはうすっぺらさと、それと相反するような深い(?)引用もと。 「マンガ」としての批評性。 確信犯的な不謹慎さ。モラルのゆらぎ。 すべてが、2000年代における典型的な「サブカルインテリ」が好きそうなモデルだ。(村上隆とかに通じる物があるよな) まあ、ぼくもそこにあるていどのっかっていた部分はあって。 実際、「アトモスフィア」と「凹村戦争」は好きだったんだけども。 でも、まあ、なんつうか・・・・もうめんどくさい。 今作ではそういった、自分のサブカルインテリ像を十分に把握したうえで、今作

    ディエンビエンフー : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)
  • 鳥山明の漫画史的な評価「ドラゴンボール」 : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)

    前々から常々考えていたことだけど。 鳥山明の「マンガ史」的な意味ってあまりにも軽んじられすぎ。 人気は最高。でも、マンガ家としての評価は普通程度。みたいな感じじゃないか? 実は、個人的には鳥山明ってそこまで好きなマンガ家ではなかったりもするのだけど、それとは別にそろそろちゃんとこの作家を評価しないといけないのではないかという思いはある。 「マンガ史」的にっていうのは、なんだか大げさに書きはじめたけど。 要するに鳥山明以前と以後で何が変わったのか、という考察。 鳥山明を語る際に、どうしてもはずせないのがその画力だ。 鳥山明が元モデラーだったという話は有名だと思うけど。その影響かどうか、とにかく鳥山の描く絵は全て立体化しても矛盾がない。そのまま立体化できる。 これは、同時代のジャンプマンガ、「北斗の拳」とか、「キャプテン翼」と比較すれば誰もが納得できるだろう。 これは、言い方を変えれば作品内で

    鳥山明の漫画史的な評価「ドラゴンボール」 : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)
  • 天顕祭 : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)

    文化庁メディア芸術祭マンガ部門に於いて、初の同人誌受賞だって。 だから、「初の同人誌受賞」って言われてもそこに何ら意味を見いだせないし、感慨もない。 ただ、おもしろいマンガなら読みたいし、そうじゃないなら読まなくてもいい。 で、気になったので購入してみた。 ストーリーは、巷で、「和製ナウシカ」って散々言われているのだけど、まさにその通りの内容。 汚れた戦争っていうのが過去にあった世界で、そこで大量に巻かれた毒を浄化するために竹が植えられている世界。 そこを舞台に、スサノオ伝説を下敷きに、アクションしつつ、男と女がラブを語る。 おそらくは墨を多用した、淡い絵柄と、鉛筆みたいなタッチが、独特の世界を作り出しており、これが同人誌故のオリジナリティかなどと思ったりもする。 実際、かなり絶賛されているみたい。 ただ、個人的にはすごく読みづらかったなというのが第一印象。 こなれていないというか、絵柄や

    天顕祭 : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)
  • 20世紀少年(21世紀少年) : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)

    才能の全力無駄遣い。 また、そこに平行して、時期的にどうかぶっているのかはわからないんだけど、クレヨンしんちゃんの「モーレツ大人帝国の逆襲」に通じる、「大人になること」という テーマもすごくよかった。 「あの頃の未来に僕らは立っているのかなーっ」てのは昔流行った歌詞だけど。 あの歌が流行ったのは、みんながそういう感覚を持っていたからだろうし。 このマンガが、そういう感覚を天才的なストーリーテリングで、物語にまで昇華していったことは、リアルタイムでおいかけている時はとても興奮したもんだ。 「MONSTER」のグダグダっぷりを見せた後で、それでもまだ読者を信じさせたんだから、浦沢はすごい。 まあ、それくらい、20世紀少年の期待のさせ方は凄かったんだ。 絶対にこれは20世紀と21世紀を繋ぐ傑作になるって思ったもんな。 ・・・ていうか、しなくちゃいけなかったんだよ。ほんとに。 それを、こんな形で終

    20世紀少年(21世紀少年) : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)
  • 宮本から君へ : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)

    画像見あたらず・・・。 今更といえば今更ながら、やっと読了。 営業のサラリーマンが迷ったり逆ギレしたりしながら現実と奮闘していくっていう基ストーリーはほぼ一緒。 途中、主人公が暴走して変な展開になっていくのも一緒。 ただ、読後の印象は大きく異なる。 ボーイズ・・・が、いろいろあったけど結局のところ、「これはこれで仕方ねえなあ」という、同世代同士のなあなあの共感みたいなものでおさまるとしたら、宮から君へ・・・はまったくもって、共感をさせてくれない。 共感しそうになる場面はあっても、それを読者の受け入れられるより過剰な形で表現してくるから、結局のところ、「なんだこいつは」っていうとまどいで思考を強制終了させられる。 共感できないレベルの情熱。共感できないレベルの泥臭さ。 過剰な説教。過剰な演出。くどい台詞回し。どれをとっても、「ああ、こういうことあるよなあ」なんて思うにはあまりにも濃い。共

    宮本から君へ : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)
  • ぼくらの : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)

    90年代ってポストエヴァを誰もが探していたよな・・・とか思いつつ最新刊までやっと読了。 とりあえず感想。「これは読んでおくべき」 以下 ネタバレ含む感想。 にも関わらず、これが単なるエヴァの模倣で終わっていないのは、これがエヴァに対しての解答となり得ているからだ。 これまでポストエヴァンゲリオンとして、エヴァっぽいものは多数でてきた。で、実際それらの商品は「エヴァみたい」という身も蓋もない感想と共に、それでもオタクの喉をうるおしてきた。 それは例えば、これと同じ作者の出世作「なるたる」にしたって同じ事だったと思う。(個人的には、エヴァというよりも,露骨にデビルマンだった気もしているけど・・・) でも、それってあくまでも「エヴァの代わり」であって、エヴァじゃなかったし。 まして、エヴァ以降の何かになり得るものでもなかった。 90年代後半以降、ずっとポストエヴァを探してきたオタク達にとって、そ

    ぼくらの : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)
  • 月光条例 : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)

    表紙の、「世界名作劇場」みたいな感じがなにげに素敵。 中身もやっぱり素敵。 あれ「パラレル西遊記」? なんて思った私は、ドラオタですか? そういえば、あの映画、大長編ドラの中だと、「魔界大冒険」と同じくらい怖かったよな。特に、家の人とか、学校の先生が妖怪になっていく前半が・・・ なんといいますか、よく知っているはずの物語が、見方次第で、狂っていく恐怖って結構特別なものがありますなあ。 まあ、それはともかく。 マッドなおとぎ話世界の住人達の、こわーい感じはさすがは藤田大先生。 特にこの第一巻では、三匹の子豚を喰うおおかみの描写がなんともかんとも。 だって喰う音が「ポキ コリ チャムチャム」だぜ? グルメマンガかっていうくらいの凝った擬音。 骨を噛み砕いて、口の中で糸ひいて・・・・なんてリアルに想像させられる音。 これ、読む年齢によったらトラウマになりかねんよ。 そして、そんな「こわーい」が、

    月光条例 : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)
    deadman
    deadman 2008/06/20
    まだ買ってない
  • 未来日記 : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)

    ふむうん。 内容は、「未来の内容がわかる日記」を持った12人の能力者(?)が頭脳戦、心理戦満載のバトルロワイヤルをするって感じ。 ジョジョ+バトルロワイヤル+ドラえもん+萌えに、そこにスパイスでヤンデレ(←これ、何の略?・・・病んでるけどデレデレ・・・でいいの?)。 まあ、こうして、素材を並べて見ると、どれもこれもインターネットジャンキーの好物ばっかりなわけで。(ヤンデレってのは、このマンガ発なのか?その辺りの時系列がよくわかってない) これ、入念なマーケティングリサーチの結果の産物だったりするんじゃないの?とかかんぐってみたり。 まあ、それでしっかり支持する人を獲得できてんだから、何の文句もないのだが。 ただ、バトルものとして見たときに、「未来日記」のしばりの甘さ・・・というかゆるさが目立つので、どうにもこうにも納得できない感じは否めなかった。 結局「変えられる」未来を見あった上での殺し

    未来日記 : 淡々 (マンガソムリエ廃業編)
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