78年前、19歳の少女は原爆の惨禍を目の当たりにします。「空にはピンク色に光るキノコ雲、逃げてきた人の顔は風船のように膨れ上がり、皮膚がベロンとめくれていました」。父とはぐれ絶望する彼女に生きる希望を与えたのは、東南アジアからの留学生でした。今だからこそ伝えたい、国や宗教の違いを超えて助け合える人間の強さとは。 (TSSテレビ新広島) 「アメリカと戦争が始まったので家に帰りなさい」 日本軍がマレー半島とハワイの真珠湾を攻撃した1941年12月8日、太平洋戦争が始まりました。広島女学院高等女学校の生徒で当時15歳だった栗原明子(めいこ)さん(97)は、朝から広島市西区の観音町にあるグラウンドを整備するため集まっていました。しかし「アメリカと戦争が始まったので家に帰りなさい」とすぐ帰宅を命じられます。 「戦争ってどんなもんかわからんでしょう。怖くて怖くて仕方なくてね。友達と会話することもなく走
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