ブックマーク / blog.goo.ne.jp/f-ryota (3)

  • レヴィ=ストロース氏死去 - 仮想算術の世界

    レヴィ=ストロース氏が亡くなられたとのこと、もうほとんど歴史上の人物と言っていいかと思いますが、それでもやはりショックでした。 僕は、ネットやサブカルチャーの分析にレヴィ=ストロースの神話論が適用できるのではないかというアイディアの下、『ユリイカ』で連載をしていたのですが、単行ではあまりレヴィ=ストロースへの言及は入れていません。ノルベルト・ボルツとかグレゴリー・ベイトソンといったあたりのシステム論系の論者の議論を使ったほうが、文化分析としてはうまく行くという気がしたからです。というか、フランス系の文学性を捨てて、生態学&神話論で行くほうがチャレンジしがいがあるのではないかと思った…というほうが正確かもしれませんが。 とはいえ、別にレヴィ=ストロースの議論が現代的にダメということではない。たとえば、レヴィ=ストロースの「神話素」という概念は、アレグザンダー的に言えばセミ・ラティスと同

    deathmix
    deathmix 2009/11/06
  • 『うみねこ』とジャンルの問題 - 仮想算術の世界

    相変わらず朦朧とした頭で、昨日ようやく『うみねこのなく頃に』のep.3をプレイ。やはり竜騎士さんの着想は凄い。よくこんなこと考えるなぁという感じ。 この作品のコンセプトは明快で、ep.1から記されていたように「推理は可能か不可能か」というものです。具体的には、ある殺人事件を人間が犯した事件として、つまりはミステリとして読み解くか、それとも非現実的な魔法が跋扈するファンタジーとして読み解くか、そのふたつの解釈が対立しているわけです。通常のミステリが真実に到達することを目指し、通常のアンチミステリが推理(真実への到達)の不可能性を描くのに対して、『うみねこ』はそもそもミステリが可能となる「条件」を描こうとしている。 これは、ある局面をファンタジー化するパッチを当てて処理するか、それともミステリ化するパッチを当てて処理するかという違いに相当すると考えられます。『うみねこ』の錯綜した舞台をふつ

    deathmix
    deathmix 2008/10/10
  • 企業が哲学する時代 - 仮想算術の世界

    現代というのは、ある面からは「企業が哲学する時代」と言えると思います。「哲学」というのは、ここでは「システム化され秩序化された世界観」という程度の意味ですが、それを大学の哲学者や思想家ではなく民間の高度な技術者集団が受け持ち、そして具体的に世界を変えている。たとえば、去年ベストセラーになった梅田望夫さんの『ウェブ進化論』。僕はこのをほとんど思想書のようにして読みました。アメリカIT産業――より狭く言えばグーグル――の事業展開や世界観を緻密に追跡すれば、それだけで一冊のきわめて優れた思想書が生まれる。『ウェブ進化論』を読んだとき、まずその事実に驚いた記憶があります。 よく言われるように、ここ三十年ほどの世界(「ポストモダン化した世界」と言い換えてもいいですが)において最も優勢だった思想は保守主義です。特にアメリカの文脈で言えば、これはそれまでの平等志向のリベラリズムにかわって、自由志向

    deathmix
    deathmix 2008/09/10
  • 1