1915年のガリポリの戦闘でオーストラリア兵によって運用される本砲。砲手は拉縄(引き金紐)を握り、直ちに発射できる状態にある。 軽迫撃砲(けいはくげきほう)とは、日本で開発された口径75mmの迫撃砲。大日本帝国陸軍は歩兵連隊に配備し、青島攻略戦やシベリア出兵で実戦に投入された。また、ジャパニーズ・モーター(Japanese Mortar)の名称で、第一次世界大戦においてオーストラリア軍が使用した。 開発経緯[編集] 日本において「迫撃砲」と称される兵器が登場したのは日露戦争であった。明治37年(1904年)の旅順攻囲戦において第3軍は進撃路となる塹壕を掘り進めながら徐々に前進する方策を採り、対峙するロシア軍との間では手榴弾や爆薬を用いた戦闘が行われた。この状況に対し今沢義雄工兵中佐はより遠距離から爆薬を投射できるように花火筒に似た構造を持つ急造迫撃砲を考案した。急造迫撃砲の砲身は木製で竹の