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ブックマーク / qaze00.hatenadiary.org (8)

  • インターネット上の一生 - インターネットの真の姿とは

    ・○月×日、初めてインターネットに触れる。YAHOO!の画面が新鮮に感じる。 ・インターネットの世界を知り、さまざまなページを巡回する。笑いや情報の収集に貪欲な毎日。 ・やがて対象はエロにシフト。掲示板へ始めて書き込んだりなどしてみる。ほかのユーザの存在を感じ始める。 ・インターネット上の「観測」を続けるうちに興味を持つように。 ・インターネット上で「活動」をはじめる。誕生の瞬間。媒体はSNSゲーム、ブログなど幅広い。 ・発言する。コミュニケーションを行う。参加している意識を感覚として持つ。自分が何かしなければという気持ちに駆られる。当事者意識が強い。この楽しい瞬間をいつまでも過ごしていたいと思う。 ・環境が変わり、インターネットで過ごす時間が少なくなる。自分なりに折り合いをつけ、絆をつなぎとめようとするが、やがてそれすらままならなくなる。 ・やがて、インターネット世界に対する興味が薄れ

    インターネット上の一生 - インターネットの真の姿とは
  • 体験する確率 - インターネットの真の姿とは

    「自分にだけは大丈夫だ」と感じる心理ってありますよね。事故にあう確率や、病気になる確率。ああいった確率を過小に見積もりがちな原因として、低い確率にぶちあたった人に出会わないことが挙げられるでしょう。または、当たっても言わない。言えない。 日には「健全に?暮らしている人」ばかり周りを見回したらいるようで、自分だけがおかしいのかと思ってしまう時があります。ただ、「周りを見回すことのできる場所」というのはだいたい、サンプルに偏りがあります。それも甚だしく。いくら外を歩き回っても引きこもりには出会わないのと一緒です。世界がリア充でできているかのように感じてしまいます。 ただ、インターネットはその不可視部分を取り払っているがゆえに、インターネットと道端における、たとえばアンケートでは違った結果が出る。回答者層の違いですね。年代ではなく、生活スタイルの区分というべきか。自分が世界のすべてだと感じてい

    体験する確率 - インターネットの真の姿とは
    delayedresolve
    delayedresolve 2009/05/07
    『低い確率にぶちあたった人に出会わない…または、当たっても言わない。言えない/体験している確率は自分の頭の中で絶対的な真実のようにおかれているが、信用ならない』
  • 全て把握したような、気の利いた言葉 - インターネットの真の姿とは

    この世界、言った者勝ちである。どんどんアピールし、頭を回転させて気の利いた言葉を放つ。それが人間として能力あるとみなされる。実像が伴ってなくても、派手なパフォーマンスは周囲の目を引く。人間の性を利用したものである。実際の自分より大きく見せていけることが尊敬の対象になっている。うわべの情報を聞いて、答える、全てを把握したような言葉。それはその場の感動を与えてくれるが、決して実体を伴ったものではない。わかったような感覚は、あくまで感覚でしかない。自分の気持ちが満足することと、物事をなすことは少し違う。 大きく見せた自分とのギャップを埋めるために努力するというモチベーションの持ち方は一つのやり方であるが、それを誰かがやりだすと、他がありのままの自分を見せづらくなるという実態がある。虚言の応酬に陥る。いかにすごそうにみせられるか、ハッタリをきかすかということがすごいと思われる価値観が、実体物との乖

    全て把握したような、気の利いた言葉 - インターネットの真の姿とは
    delayedresolve
    delayedresolve 2009/02/14
    『全てを把握したような言葉。それはその場の感動を与えてくれるが、決して実体を伴ったものではない。』
  • 編集される言葉 - インターネットの真の姿とは

    言葉は何度となく編集される。わかりやすく、時に恣意的に吟味され、場に応じた最適な言葉を発しようと人は考える。よく吟味された言葉は明朗で、聴くものを納得させるほどにわかりやすい。 つれづれなるままに文章を書いていくと、内容に論理破綻や矛盾、わかりにくさを節々に生む。何も考えないで出た言葉は、お世辞にも聞きやすいものでないことが多い。わかりやすい言葉がスラスラと出てくる人は、それは発する前に脳内で言葉を吟味しているからに他ならない。 ただ、言葉が主要な情報として扱われている現代で、そういった生々しさ、わかりにくさも一つの親近感を覚えることもある。編集された美しい完璧な言葉は、結局コピーペーストと一緒で、それがいかに正論であったとしても、空々しく聞こえてしまう。コピーが簡単になり、パクりなどが日常化した中で、わかりにくさも含めた一つのオリジナリティもまた、魅力ではある。というか、個性がないコンテ

    編集される言葉 - インターネットの真の姿とは
    delayedresolve
    delayedresolve 2009/02/14
    『そういった生々しさ、わかりにくさも一つの親近感を覚えることもある。』
  • 他人にされたいことをできるか - インターネットの真の姿とは

    友達が好きな言葉が、「他人されたいと思うことを自分がする」というものだ。自分が話しかけられたいと思うことは、他人がそう思っているということでもあって、ただ相手からのアプローチを待つのではなく、自分から話しかけてあげることが大切なのだと。非常にためになる言葉だし、いろいろな局面で使える言葉だなと思う一方、自分の感覚が周囲と比べかなり離れていると、それがしばしば行き違いやおせっかいを生むのではないかという懸念にさいなまれる部分もある。 自分は才能で言えば特に何の変哲もない一般人、というか身もふたもなく言えば使えない部類に入ると思う。そして感覚的にはカテゴライズするならば「オタク」でありかつ「非コミュ」でかついわゆる世で言う「変人」の部類であると推測されることから、自分がいいと思う感覚がしばしば他人に迷惑をかけてしまうのではないかという臆病さを生む。 それを勇気がないという一言で終わらせることは

    他人にされたいことをできるか - インターネットの真の姿とは
    delayedresolve
    delayedresolve 2008/12/23
    『自分がいいと思う感覚がしばしば他人に迷惑をかけてしまうのではないかと/自分がしたいだけという自己満足に陥っている』行動するという選択も、行動しないという選択も、どちらも選択であることを考える。
  • 読者は書き手に何をもたらすのか - インターネットの真の姿とは

    コメントはまあ・・なかなかつかないし、直接的に形として残っているものはアクセス数のみと言える。はてなにはブクマやスターがあるので、読者の反応が多彩になったが・・・やはり、日常的に書き手にバックしてくるものは、基、アクセスのみとみていい。(+RSS購読者が目安か?) アクセス数が増えるということは、書き手にとって会心のエントリかどうかはわからないが、読み手にとって良い(または刺激的な)エントリであることは確かだ。正確には、アクセス比率というのが正解かもしれない。日ごろのアクセスにくらべ、どれだけの人が来てくれているか、という意味で。 自分にとって自信があるエントリでも、アクセス数は必ずしもそれに比例しない。よくやってしまうのが、ひとりよがりなエントリ。うまいと思っているのは書き手だけというパターン。(一時これをよくやった、今でもよくやる)読み手にとってはくだらない内容でしかない。レトリック

    読者は書き手に何をもたらすのか - インターネットの真の姿とは
    delayedresolve
    delayedresolve 2008/12/02
    『うまいと思っているのは書き手だけというパターン/読み手にとってはくだらない内容でしかない。レトリックや表現に凝るのも、本当にセンスがあればいいのだが…』
  • 3歩、前を歩く人 - インターネットの真の姿とは

    Webで有用な情報を得ようと思ったら、優秀な人が書いたちゃんとした文章から順にチェックすることが、一番効率的かというとそうでもない。単純に、頭のレベルが色々追いつかず、理解できないからだ。・・・悲しいことに。 Webで情報を探すとき、しばしば公式サイトではなく、自分の体験をもとに説明したブログなどを参考にすることがある。そっちの方が今の自分にとってわかりやすいからだ。いきなり様々な知識を前提として話されても、わけがわからない。すべては理解していない人でも、それなりに分かりやすく説明してくれている文章の方が、ああ、こういうことを言っているんだな、と理解しやすいし、親近感もわく。 Webは全ての人をつなぐコミュニケーションツールである。世の中に優秀な人はごまんといるわけだが、頭のいい人はしばしば、ある知識を前提のもとに話す、つまりはしょって説明することが多い。その間のことは当たり前だというわけ

    3歩、前を歩く人 - インターネットの真の姿とは
    delayedresolve
    delayedresolve 2008/12/02
    『優秀な人が書いたちゃんとした文章から順にチェックすることが一番効率的かというとそうでもない…頭のレベルが色々追いつかず理解できないから…そこで自分より少し前を歩いている人を参考にするわけである』
  • 文章をうまくまとめることの難しさ - インターネットの真の姿とは

    現代は、誰にでもすぐ内容がわかるような要約が求められている。ニュースの見出しやブログのタイトルをみても、その重要性は大きい。独特な表現はわかりにくく、嫌われる傾向にある。短く、まとめて、誰にでもわかるような言葉、文章、プレゼンテーションが求められている。 実際の所、よく使われる単語をつなぎ合わせているため、面白みはそんなにない。でも、普通の人が文章を書くとき、伝えたいことは内容であって、文章表現のレトリックではない。このほう自分のニュアンスが伝わる、という言葉でも、相手が共感していなければ、残念ながら相手には伝わらない。 私は当面、パワポのプレゼンテーションを鍛える必要がある。どうやらいつも作っているのは文章が多すぎて、見ているほうからしたらよくわからんらしい。もうちょっと資料の言葉は要約して、トークで伝えろというわけである。それがソツなくできたら苦労しないよと毒を吐きつつ、言っていても仕

    文章をうまくまとめることの難しさ - インターネットの真の姿とは
    delayedresolve
    delayedresolve 2008/12/02
    『文章を書くとき、伝えたいことは内容であって、文章表現のレトリックではない。このほう自分のニュアンスが伝わる、という言葉でも、相手が共感していなければ、残念ながら相手には伝わらない。』
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