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2008年12月23日のブックマーク (6件)

  • 坂口安吾 日本文化私観

    僕は日の古代文化に就(つい)て殆んど知識を持っていない。ブルーノ・タウトが絶讃する桂離宮も見たことがなく、玉泉も大雅堂も竹田(ちくでん)も鉄斎も知らないのである。況(いわ)んや、秦蔵六(はたぞうろく)だの竹源斎師など名前すら聞いたことがなく、第一、めったに旅行することがないので、祖国のあの町この村も、風俗も、山河も知らないのだ。タウトによれば日に於ける最も俗悪な都市だという新潟市に僕は生れ、彼の蔑(さげす)み嫌うところの上野から銀座への街、ネオン・サインを僕は愛す。茶の湯の方式など全然知らない代りには、猥(みだ)りに酔い痴(し)れることをのみ知り、孤独の家居にいて、床の間などというものに一顧を与えたこともない。 けれども、そのような僕の生活が、祖国の光輝ある古代文化の伝統を見失ったという理由で、貧困なものだとは考えていない(然し、ほかの理由で、貧困だという内省には悩まされているのだが―

  • 「コミュニケーション能力」について考える - 琥珀色の戯言

    コミュニケーション能力という幻想 - ハックルベリーに会いに行く(2008/12/21) ↑のエントリを読んだことをきっかけに、「コミュニケーション能力」について思いついたことなどあれこれと。 最初に頭に浮かんだのは、押井守監督のこんな言葉でした(押井監督の著書『凡人として生きるということ』より) 僕には友達と呼べる人はいないし、それを苦にしたことはない。年賀状にしても、こちらから出すのは毎年ふたりだけ。師匠ともうひとり。さすがに出さないと失礼と思われる大先輩のふたりを除いて、年賀のあいさつを出す相手もいない。 だから、正月にうちに配られる年賀状はどんどん減ってきた。それでもいいと僕は思っている。他人とのコミュニケーションは、こんな僕でも大事だ。いや、多くの人の才能に支えられて映画を作る僕のような人間には、コミュニケーションほど大切なものはない、と言ってもいいだろう。 だが、それはあくまで

    「コミュニケーション能力」について考える - 琥珀色の戯言
    delayedresolve
    delayedresolve 2008/12/23
    『自分がコミュニケーション上手だと思いこんでいる人は基本的に信用しません/この話つたない話だから聞いてくれるというふうに解釈するべきではない.他人はつたないだけの話なんて聞きません』
  • 他人にされたいことをできるか - インターネットの真の姿とは

    友達が好きな言葉が、「他人されたいと思うことを自分がする」というものだ。自分が話しかけられたいと思うことは、他人がそう思っているということでもあって、ただ相手からのアプローチを待つのではなく、自分から話しかけてあげることが大切なのだと。非常にためになる言葉だし、いろいろな局面で使える言葉だなと思う一方、自分の感覚が周囲と比べかなり離れていると、それがしばしば行き違いやおせっかいを生むのではないかという懸念にさいなまれる部分もある。 自分は才能で言えば特に何の変哲もない一般人、というか身もふたもなく言えば使えない部類に入ると思う。そして感覚的にはカテゴライズするならば「オタク」でありかつ「非コミュ」でかついわゆる世で言う「変人」の部類であると推測されることから、自分がいいと思う感覚がしばしば他人に迷惑をかけてしまうのではないかという臆病さを生む。 それを勇気がないという一言で終わらせることは

    他人にされたいことをできるか - インターネットの真の姿とは
    delayedresolve
    delayedresolve 2008/12/23
    『自分がいいと思う感覚がしばしば他人に迷惑をかけてしまうのではないかと/自分がしたいだけという自己満足に陥っている』行動するという選択も、行動しないという選択も、どちらも選択であることを考える。
  • Glass Racetrack is under construction

    delayedresolve
    delayedresolve 2008/12/23
    『あのレース程自分が本来買っていた筈の馬が負ける事を願った事はない/ナリタトップロードが早めに抜け出した時にはバテてくれと叫び、テイエムオペラオーが外から差して来たときには差してくれと叫びました』
  • アンブレイカブル解説

  • asahi.com(朝日新聞社):坂本龍一さんに聞く ネット時代の音楽表現とは - 音楽 - 映画・音楽・芸能

    インターネットの普及、とりわけ近年の動画サイト人気は「音楽表現のありよう」を大きく変えつつある。レコード会社に属さずに音楽活動をすることがさらに容易になり、テクノロジーの進化は新しいポピュラー音楽

    delayedresolve
    delayedresolve 2008/12/23
    『Q.50,100年後の音楽はどうなる?/坂本龍一:CDが完全に消えるとは思わない.人間には触る事のできる物を持っておきたい欲望がある.それでも音楽家は一握りのヒットメーカーを除いて職業とする事は難しくなるだろう』