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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (10)

  • 和辻哲郎 停車場で感じたこと

    ある雨の降る日、私は友人を郊外の家に訪ねて昼前から夜まで話し込んだ。遅くなったのでもう帰ろうと思いながら、新しく出た話に引っ張られてつい立つことを忘れていた。ふと気づいて時計を見ると、自分が乗ることにきめていた新橋発の汽車の時間がだいぶ迫っている。で、いよいよ別れることにして立ち上がろうとした。その時またちょっとした話の行きがかりでなお十分ほど尻を落ち付けて話し込むような事になった。それでも玄関へ降りた時には、さほど急がずに汽車に間に合うつもりであった。で、玄関に立ったまま、それまで忘れていた用事の話を思い出して、しばらく話し合った。 電車の停車場の近くへ来ると、ちょうど自分の乗るはずの上り電車が出て行くのが見えた。「運が悪いな、もう二三分早く出て来たら。」と思った。待合へはいってから何げなしに正面の大時計を見ると、いつのまにかたいへん時間がたっている。変だなと思って自分の時計を出して見る

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    delhicurry 2011/06/21
    以前、とある会社人に言われたことを思い出した、「不安とは正体不明だからなんですね。」胡散臭しか感じ取れなかった。当文章は信用に足る。そして、死という理不尽から哲学へと導かれた中島義道も。
  • フランツ・カフカ 中島敦訳 罪・苦痛・希望・及び眞實の道についての考察

    眞實の道は一の繩――別に高く張られてゐるわけではなく、地上からほんの少しの高さに張られてゐる一の繩を越えて行くのだ。それは人々がその上を歩いて行くためよりも、人々がそれに躓くためにつくられてゐるやうに思はれる。

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    delhicurry 2011/06/18
    性急。
  • 牧野信一 I Am Not A Poet, But I Am A Poet.

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    delhicurry 2011/05/22
    悲しい、と感じた瞬間には、俺は、「余り悲しくない」と思つてしまふ――と、笑ひたくさへなつてしまふ――俺は「恍惚」に浸る夢心地をもつことが出来ないの 長い<今>を巡って。
  • 和辻哲郎 「ゼエレン・キェルケゴオル」序

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    delhicurry 2011/05/18
    最も特殊なものが真に普遍的になる。そうでない世界人は抽象である。混合人は腐敗である。 混号という軽やかさにまみれた現日本に、どのように響かせるべきか。
  • 平田禿木 趣味としての読書

    最近某大学の卒業論文口頭試問の席へ立(たち)会つて、英文学専攻の卒業生がそれぞれ皆立派な研究を発表してゐるのに感服した。主なる試問者は勿論その論文を精査した二三の教授諸氏であつたが、自分も傍(そば)から折々遊軍的に質問を出して見た。 「理窟は抜きにして、ディツケンスの何んなとこを面白く感じましたか、コンラツドの何んなとこに興味を覚えましたか」と訊くと、 「一向に面白くありません、少しも興味を感じません、論文を書く為めに、唯一生懸命に勉強しただけです」と云ふ。 「では、三年間に、別に何か読みましたか」と訊くと、別に何も読んでゐないといふ、如何にも頼りない返事である。これは一つには学生諸氏の英語読書力の薄いのに依るのであらうけれど、一つにはまた、今日の若い人達の間に如何に趣味として読書が閑却されてゐるかを示すものである。 今日ほど読書に不利な時代はない。自動車は走り、飛行機は飛び、映画、トオ

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    delhicurry 2011/05/08
    このようなことを、正面切って言える人が現代に幾人あるだろうか。
  • 岸田國士 笑について

    笑うことのできるのは人間だけであります。勿論、「花笑い、鳥歌う」という言葉もありますけれども、これは形容であります。ときどき、例えば、馬が笑うというようなことを言うこともありますけれども、これは人間が笑うときとよく似た表情をするからそう言うだけのことで、人を笑わせ、又は人に笑われるのは人間に限られているということをまず申上げておきたい。そうでない場合は、人間が手を加えたもの、又は人間の真似をするもの、例えば猿のようなものに限られています。下手なおかしな音楽、滑稽な話などというものがその笑いの対象になります。「笑う門には福来る」と昔から日ではよく言われておりますが、これは笑いというものが人生に取つて何か徳になるもの、人間の幸福と関係があることを証明しています。それは一体何故でしようか。極く常識的に考えて見ても、笑いのない人生は暗く冷たい。そして不健康であるように思われます。笑いは少くとも人

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    delhicurry 2011/05/07
    「本質的に笑うべき人間の欠点は虚栄心だ」と、ベルグソンははつきり言い切つております ベルグソン、笑いの泰斗でもあり、分類のみでは飽き足らない、機能主義者でもあった。
  • 織田作之助 私の文学

    私の文学――編集者のつけた題である。 この種の文章は往々にして、いやみな自己弁護になるか、卑屈な謙遜になるか、傲慢な自己主張になりやすい。さりげなく自己の文学を語ることはむずかしいのだ。 しかし、文学というものは、要するに自己弁護であり、自己主張であろう。そして、自己を弁護するとは、即ち自己を主張することなのだ。 私の文学は、目下毀誉褒貶の渦中にある。ほめられれば一応うれしいし、けなされれば一応面白くない。しかし一応である。 なぜなら、毀も貶も、誉も褒も、つねに誤解の上に立っていると思うからだ。もっとも、作家というものは結局誤解のくもの巣にひっ掛った蠅のようなものだ。人が自分を誤解するまえに、自分が最も自分を誤解しているのかも知れない。 私がこれまで耳にした私に関する批評の中で、一番どきんとしたのは、伊吹武彦氏の、 「ええか、織田君、君に一つだけ言うぞ、君は君を模倣するなってことだ」 とい

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    delhicurry 2011/05/07
    私は、人が十行で書けるところを、千行に書く術を知っている――と言える時が来るのを待っているのだ。十行を一行で書く私には、私自身魅力を感じない 文章家は押し並べてそうだったはずなのだ。
  • 織田作之助 わが文学修業

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    delhicurry 2011/05/07
    西鶴とスタンダールが似ていることを最初に言ったのは私である/ スタンダールもアランも私には大阪人だ。 会話が地の文と溶け合う時、それを騙っているのは何か(恐らくは言語そのもの)。
  • 織田作之助 眼鏡

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    delhicurry 2011/05/07
    生理学的にいっても、眼の良いものは、頭が良いにきまっている。 眼鏡萌狂が想像だにされなかった70年前。
  • 織田作之助 文学的饒舌

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    delhicurry 2011/05/07
    「競馬」もあれで完結していない。あのあと現代までの構想があったが、それを書いて行っても、おそらく完結しないだろう。 ヒロポンを打ち続けて、<文><学>へ、か。
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