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literaturに関するdelhicurryのブックマーク (19)

  • 新訳でびっくり。カフカ『変身』の主人公は、本当に「毒虫」に変身したのか - エキレビ!(2/3)

    “グレゴール・ザムザがある朝のこと、複数の夢の反乱の果てに目を醒ますと、寝台の中で自分がばけもののようなウンゲツィーファー(生け贄にできないほど汚れた動物或いは虫)に姿を変えてしまっていることに気がついた。” 岩波文庫、山下肇訳とくらべてみよう。 “ある朝、グレゴール・ザムザがなにか胸騒ぎのする夢からさめると、ベットのなかの自分が一匹のばかでかい毒虫に変わってしまっているのに気がついた。” 「毒虫」の部分は、原書では「Ungeziefer」という単語にあたる。 「ウンゲツィーファー(Ungeziefer)」を辞書で引くと「害獣」という訳語が出てくる。 虫だけではなく、ネズミや、ばい菌なども含む「害のある小動物」で、まあ、主に「虫」というイメージの単語のようだ。 ザムザが変身してしまった虫は、小説の中では毒を持っている描写はない。 「毒虫」という訳は、「害」の部分のインパクトを強くうち出した

    新訳でびっくり。カフカ『変身』の主人公は、本当に「毒虫」に変身したのか - エキレビ!(2/3)
  • 僕は君たちに金を配りたい | 高橋文樹.com | プログラミング

    1回のクリックを40円で買ったことになります。結果だけ端的に申し上げると大赤字でした。 SEM(検索エンジンマーケティング)は単価が高くないとダメ 実はSEMの経験はあまりないので、もっと効果的なキーワードで出稿したり、ランディングページをカスタマイズしたり、できることは色々あるのですが、やったところで大した意味ないだろうなーという結論に至りました。 普通こういうクリック広告から来たユーザーのコンバージョン率(ページを見て買おうと思う確率)は1〜3%ぐらいで、かなり高いサイト(楽天の専門店とか)でも12%ぐらいだったような気がします。となると、ぼくのように電子書籍を数百円で売っている場合、Adwordsだと赤字が拡大する一方です。 実はSEOやSEMといった、「検索エンジンに対してコストを投下する広告」というものはある程度商品単価が高くないとダメということが言われています。一つの単価が安い

    僕は君たちに金を配りたい | 高橋文樹.com | プログラミング
    delhicurry
    delhicurry 2012/12/21
    他の思考と同様、文学「を」考えることはできないが、「について」なら可能であり、その無限定性において、字義通り「巡らせる」なら、この発想まで行かなければ、現在は欺瞞だと思う。
  • Zum Tod von Friedrich Kittler

    F.A.Z. QuarterlyInspirationen und Denkanstöße für die Welt von Morgen

    Zum Tod von Friedrich Kittler
    delhicurry
    delhicurry 2011/10/18
    (恐らく)チューリング経由でプログラミング<言語>(つまりSchriften全般)へ、そして数学(„Musik und Mathematik“は初めて知った)へ、向かった足跡は、いわゆる学際(人文+自然)とは異なる、普遍学への志向を感じる
  • Amazon.co.jp: 放浪のユダヤ人とエッセイ二篇: ヨーゼフロート (著), 達治,平田 (翻訳): 本

    delhicurry
    delhicurry 2011/07/03
    極めて(当時も今も)あくちゅあるなエッセイ。ぶくろぐには引用をメモっといたが、それ以外。マックス・ブロートの評価が高いw
  • 和辻哲郎 停車場で感じたこと

    ある雨の降る日、私は友人を郊外の家に訪ねて昼前から夜まで話し込んだ。遅くなったのでもう帰ろうと思いながら、新しく出た話に引っ張られてつい立つことを忘れていた。ふと気づいて時計を見ると、自分が乗ることにきめていた新橋発の汽車の時間がだいぶ迫っている。で、いよいよ別れることにして立ち上がろうとした。その時またちょっとした話の行きがかりでなお十分ほど尻を落ち付けて話し込むような事になった。それでも玄関へ降りた時には、さほど急がずに汽車に間に合うつもりであった。で、玄関に立ったまま、それまで忘れていた用事の話を思い出して、しばらく話し合った。 電車の停車場の近くへ来ると、ちょうど自分の乗るはずの上り電車が出て行くのが見えた。「運が悪いな、もう二三分早く出て来たら。」と思った。待合へはいってから何げなしに正面の大時計を見ると、いつのまにかたいへん時間がたっている。変だなと思って自分の時計を出して見る

    delhicurry
    delhicurry 2011/06/21
    以前、とある会社人に言われたことを思い出した、「不安とは正体不明だからなんですね。」胡散臭しか感じ取れなかった。当文章は信用に足る。そして、死という理不尽から哲学へと導かれた中島義道も。
  • Japanische Gesellschaft für Germanistik - JGG

    今年2009年は太宰治、松清張、大岡昇平といった有名作家たちの生誕100年にあたり、各地で朗読会や講演会が開かれ、出版キャンペーンが相次いで張られ、関連映画も封切られるなどいつにない賑わいを見せている。これらの作家たちに交じって、やや地味ながら独特の魅力を湛えて同じく生誕100年を迎えているのが中島敦である。中島敦といえば、若い世代には国語の教科書に採り上げられている『山月記』によってその名を憶えている人が多いだろう。年輩の方々では中国古典に取材した『李陵』や『弟子』に感銘を受けたという人が多いと思う。私などは「ツシタラ(物語作者)」スティーヴンスンのサモアでの晩年の日々を描いた『光と風と夢』の爽やかな読後感が忘れがたい。 去る夏の一日、生誕100年を記念して神奈川近代文学館で開催された「中島敦展――ツシタラの夢」に出かけた。同館は横浜の港を見晴らす丘の上にあるが、そこからほど近い横浜

    delhicurry
    delhicurry 2011/06/18
    中島敦の文体について。
  • フランツ・カフカ 中島敦訳 罪・苦痛・希望・及び眞實の道についての考察

    眞實の道は一の繩――別に高く張られてゐるわけではなく、地上からほんの少しの高さに張られてゐる一の繩を越えて行くのだ。それは人々がその上を歩いて行くためよりも、人々がそれに躓くためにつくられてゐるやうに思はれる。

    delhicurry
    delhicurry 2011/06/18
    性急。
  • 増補新版 中上健次|河出書房新社

    このの内容 『枯木灘』で知られる戦後最大の物語作家の軌跡を追う。人の発言も多数収録。2011年夏公開の遺作『軽蔑』の映画監督・廣木隆一監督インタヴューなども増補した新装版。 このの感想をお寄せください 書をお読みになったご意見・ご感想などをお気軽にお寄せください。 投稿された内容は、弊社ホームページや新聞・雑誌広告などに掲載させていただくことがございます。 ※は必須項目です。恐縮ですが、必ずご記入をお願いいたします。 ※こちらにお送り頂いたご質問やご要望などに関しましては、お返事することができません。 あしからず、ご了承ください。お問い合わせは、こちらへ

    増補新版 中上健次|河出書房新社
    delhicurry
    delhicurry 2011/06/05
    『軽蔑』が(何故か今頃になって)映画化されたと知って購入。内容からして一気には読めない迫力。
  • 牧野信一 I Am Not A Poet, But I Am A Poet.

    delhicurry
    delhicurry 2011/05/22
    悲しい、と感じた瞬間には、俺は、「余り悲しくない」と思つてしまふ――と、笑ひたくさへなつてしまふ――俺は「恍惚」に浸る夢心地をもつことが出来ないの 長い<今>を巡って。
  • 和辻哲郎 「ゼエレン・キェルケゴオル」序

    delhicurry
    delhicurry 2011/05/18
    最も特殊なものが真に普遍的になる。そうでない世界人は抽象である。混合人は腐敗である。 混号という軽やかさにまみれた現日本に、どのように響かせるべきか。
  • 私の仕事

    私の仕事                               →トップページ 2013年11月3日更新 「著書」 に 『夢のようにはかない女の肖像 ドイツ文学の中の女たち』 を、「論文」 に 「シュトルムの小説と大学(その1) ――『グリースフース年代記』 について」 を、「論文以外の文章」 に 「新潟ドイツ映画祭に寄せて 多様性の一端触れて」 を追加、また数年前に書いた論文 「新潟大学における語学教育『改革』の実態 ―ドイツ語教師の転向を中心に―」 を当サイト上にアップしました 目次 : 前口上 / 著書/ 翻訳/ 論文/ 論文以外の文章 【前口上】 大学生・大学院生時代を通じてドイツ文学を専攻したので、私の職はあくまでドイツ文学者である。 もっとも最近の大学改革で、担当する授業は必ずしも職そのものではなく、余技 (?) を活かしたものも増えているのではあるが。 狭い領域にこ

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    delhicurry 2011/05/17
    フローベールの逸話--または作家と結婚(下)/カフカ、太宰治、北村透谷、スティーヴンソン、ジュリアン・バーンズ、そしてフローベールその人を扱っております。
  • Amazon.co.jp: ロラン・バルト 喪の日記: ロラン・バルト (著), 石川美子 (翻訳): 本

    Amazon.co.jp: ロラン・バルト 喪の日記: ロラン・バルト (著), 石川美子 (翻訳): 本
    delhicurry
    delhicurry 2011/05/16
    これにはどうしても点数とか、そういったものをつけられない。(あまりにも自身の経験と近すぎる。)
  • HamaMed-Repository: 関口存男の「やっぱり」は心態詞にも該当 -「Doch とは何ぞや?」の構造主義的解釈-

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    delhicurry 2011/05/09
    dochの裡に弁証法的運動を観た関口文法の切れ味はすごい。そして、それをすくい上げる当論文(当リンク内pdfで閲覧可)のようなものが増えることを期待したい。
  • 平田禿木 趣味としての読書

    最近某大学の卒業論文口頭試問の席へ立(たち)会つて、英文学専攻の卒業生がそれぞれ皆立派な研究を発表してゐるのに感服した。主なる試問者は勿論その論文を精査した二三の教授諸氏であつたが、自分も傍(そば)から折々遊軍的に質問を出して見た。 「理窟は抜きにして、ディツケンスの何んなとこを面白く感じましたか、コンラツドの何んなとこに興味を覚えましたか」と訊くと、 「一向に面白くありません、少しも興味を感じません、論文を書く為めに、唯一生懸命に勉強しただけです」と云ふ。 「では、三年間に、別に何か読みましたか」と訊くと、別に何も読んでゐないといふ、如何にも頼りない返事である。これは一つには学生諸氏の英語読書力の薄いのに依るのであらうけれど、一つにはまた、今日の若い人達の間に如何に趣味として読書が閑却されてゐるかを示すものである。 今日ほど読書に不利な時代はない。自動車は走り、飛行機は飛び、映画、トオ

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    delhicurry 2011/05/08
    このようなことを、正面切って言える人が現代に幾人あるだろうか。
  • 岸田國士 笑について

    笑うことのできるのは人間だけであります。勿論、「花笑い、鳥歌う」という言葉もありますけれども、これは形容であります。ときどき、例えば、馬が笑うというようなことを言うこともありますけれども、これは人間が笑うときとよく似た表情をするからそう言うだけのことで、人を笑わせ、又は人に笑われるのは人間に限られているということをまず申上げておきたい。そうでない場合は、人間が手を加えたもの、又は人間の真似をするもの、例えば猿のようなものに限られています。下手なおかしな音楽、滑稽な話などというものがその笑いの対象になります。「笑う門には福来る」と昔から日ではよく言われておりますが、これは笑いというものが人生に取つて何か徳になるもの、人間の幸福と関係があることを証明しています。それは一体何故でしようか。極く常識的に考えて見ても、笑いのない人生は暗く冷たい。そして不健康であるように思われます。笑いは少くとも人

    delhicurry
    delhicurry 2011/05/07
    「本質的に笑うべき人間の欠点は虚栄心だ」と、ベルグソンははつきり言い切つております ベルグソン、笑いの泰斗でもあり、分類のみでは飽き足らない、機能主義者でもあった。
  • 織田作之助 私の文学

    私の文学――編集者のつけた題である。 この種の文章は往々にして、いやみな自己弁護になるか、卑屈な謙遜になるか、傲慢な自己主張になりやすい。さりげなく自己の文学を語ることはむずかしいのだ。 しかし、文学というものは、要するに自己弁護であり、自己主張であろう。そして、自己を弁護するとは、即ち自己を主張することなのだ。 私の文学は、目下毀誉褒貶の渦中にある。ほめられれば一応うれしいし、けなされれば一応面白くない。しかし一応である。 なぜなら、毀も貶も、誉も褒も、つねに誤解の上に立っていると思うからだ。もっとも、作家というものは結局誤解のくもの巣にひっ掛った蠅のようなものだ。人が自分を誤解するまえに、自分が最も自分を誤解しているのかも知れない。 私がこれまで耳にした私に関する批評の中で、一番どきんとしたのは、伊吹武彦氏の、 「ええか、織田君、君に一つだけ言うぞ、君は君を模倣するなってことだ」 とい

    delhicurry
    delhicurry 2011/05/07
    私は、人が十行で書けるところを、千行に書く術を知っている――と言える時が来るのを待っているのだ。十行を一行で書く私には、私自身魅力を感じない 文章家は押し並べてそうだったはずなのだ。
  • 織田作之助 わが文学修業

    delhicurry
    delhicurry 2011/05/07
    西鶴とスタンダールが似ていることを最初に言ったのは私である/ スタンダールもアランも私には大阪人だ。 会話が地の文と溶け合う時、それを騙っているのは何か(恐らくは言語そのもの)。
  • 織田作之助 眼鏡

    delhicurry
    delhicurry 2011/05/07
    生理学的にいっても、眼の良いものは、頭が良いにきまっている。 眼鏡萌狂が想像だにされなかった70年前。
  • 織田作之助 文学的饒舌

    delhicurry
    delhicurry 2011/05/07
    「競馬」もあれで完結していない。あのあと現代までの構想があったが、それを書いて行っても、おそらく完結しないだろう。 ヒロポンを打ち続けて、<文><学>へ、か。
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