沖縄の「集団自決」をめぐる訴訟に、きのう被告の大江健三郎氏が初めて出廷した。その尋問で、彼は「個人名は書かなかった」と逃げているが、こんな子供だましの論理が法廷で通ると思っているのだろうか。「慶良間諸島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男が、渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいた」(『沖縄ノート』p.208)という記述に該当する人物は、渡嘉敷島守備隊長だった赤松嘉次元大尉しかいない。「ノーベル賞をもらった日本人作家は精神的幼児だ」と書いたら、個人名を書かなくてもだれのことかわかるだろう。 致命的なのは、「守備隊長の個人名を挙げていないのは、集団自決が構造の強制力でもたらされたと考えたからだ。もし隊長がタテの構造の最先端で命令に反逆し、集団自決を押しとどめて悲劇を回避していたとしたら、個人名を前面に出すことが必要だった」という大江氏の弁解だ。多くの証言が示すように、赤松大尉