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ブックマーク / www.yamdas.org (4)

  • モンティ・パイソンと差別と検閲

    以前から積読だった『モンティ・パイソン研究入門』をざっと読み終わったところである。昨年の発売と同時に購入していたが、一昨年前に買っていた『モンティ・パイソン正伝』を優先して手をつけてなかった。しかし、これを読み終わるのを待っていたら、あと何年先になるか分からないので(二段組で辞書級の厚みがあるのよ)順番を入れ替えたのだが、なかなか面白かった。 『モンティ・パイソン研究入門』(以下『研究入門』)はまさにタイトル通りので、一般的なモンティ・パイソン解説書である『モンティ・パイソン大全』、パイソンズによる証言をまとめた『モンティ・パイソン正伝』や『モンティ・パイソン・スピークス!』とは毛色が異なり、パイソンの笑いについて少しアカデミック入った感じで解説するで、こういう時代背景など周辺知識を押さえた第三者による分析は貴重だし、翻訳も正確無比である。 強いて難を挙げるなら、監修者である須田泰成さ

  • The Goog Life: how Google keeps employees by treating them like kids 日本語訳

    The Goog Life:グーグルが従業員を子供扱いすることでつなぎとめている件 著者: Aaron Swartz 日語訳: yomoyomo 以下の文章は、Aaron Swartz による The Goog Life: how Google keeps employees by treating them like kids の日語訳である。 先日友達と、シリコンバレーで絶えず会話のネタになるもの、Google の話をしていた。で最後に、彼女がすべてに筋を通すヒントをくれたんだ。「子供扱いしてるのよ」と彼女は語った。「ただ飯をあてがい、洗濯をしてやり、弾力のある色鮮やかなボールの上に座らせる。彼らが成長し、自力で人生を生きる方法を学ぶ必要がないようにすべてをやってあげるわけ」 そのように見れば、Google がやることすべてに恐ろしくつじつまが合う。 僕が Google を最後に訪

    denken
    denken 2006/12/25
    結構斬新な視点
  • 少年を断罪する前提にあるべきもの

    「少年が精神を病んだ人であって欲しい」 これはTBSアナウンサー秋沢淳子が私的に開設しているWebページにおける日記の中の一節である。僕はこれを読んで、日のマスメディアの最前線にいる人間の思惟の浅はかさに呆れたが、これが多くの人の偽らわざる心境なのかもしれないのもまた確かである。 ここで「少年」が誰を指しているかについて多言を要すまい。神戸市須磨区で起きた一連の凶悪事件の容疑者である14歳の少年である。言っておくが、97年7月の時点で「容疑者」である。「犯人」ではない。こうした最低限の常識的言葉使いすらままならないマスメディアをどうこう言っても仕方がないのかもしれないが、写真誌、ワイドショーの盛り上がりに代表される報道としての質の低さと、冒頭に掲げた言葉に象徴される短絡思考は、ある一点において結びつくように思われる。それは、想像力の欠如である。 人間が人間たる理由、僕はそれを言葉と想像力

  • 2005年は「2.0」の年だった

    先週は Web 2.0 カンファレンスを報じた記事をいくつもみかけたが、それに限らず「2.0」がいろんなところで使われるのを目にする。改めて書籍におけるエスター・ダイソンの『Release 2.0』、ウェブサイトにおける Business 2.0 あたりの先見性に恐れ入る。 一度戯れに「ついカッとなってまとめてしまった。「2.0」ならなんでもよかった」というまとめエントリを作ったのだが、その時点でも見落としていたものをいくつも見つけ、その後も次々と出てくるしで、どうも気になって仕方がない。 2005年もまだ二ヶ月以上残っているが、この先を見越して勝手に決め付けさせてもらおう。2005年は「2.0」の年だった、と。そして、ここで再度仕切りなおしてまとめさせてもらい、ワタシ自身これを追うのは止めにしようと思う。 つまり、この文章自体個人的な動機でまとめるものであり、まとめること自体が目的なので

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