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  • 40代、50代のプログラマー?: 柴田 芳樹 (Yoshiki Shibata)

    ソフトウェアエンジニアのキャリアパスとして、色々とあるかと思われる。 ソフトウェアエンジニアのレベルというのは、ソフトウェア開発に従事した期間ではないのは明らかである。一方で、ソフトウェア業界で生きてきて40代、50代になっている人も多いようである。 年齢を重ねた時には、どのような職場でも、経験年数に相応の問題解決能力、解決に向けての提案能力、あるいはトラブルなどの的確な説明能力を回りの若い人達は期待する。 この「回りの若い人達は期待する」ということに対する自覚がなくて、単なる一プログラマーということで指示された仕事だだけをこなすのに精一杯だと、おそくら、指示された仕事もろくにこなせていないことになることが多い。 能力が高く評価されるというのは、相手の期待を越えた、例えば、110%の成果を出すことであり、自分が精一杯やったからという理由だけで高く評価されることはない。 ソフトウェア業界で、

    40代、50代のプログラマー?: 柴田 芳樹 (Yoshiki Shibata)
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    dentomo0 2014/07/12
  • 継続インテグレーションは強みではなくなった: 柴田 芳樹 (Yoshiki Shibata)

    Subversion/Gitなどを使用したソースコード管理、Jenkinsを使用した継続的インテグレーション、様々なxUnitフレームワークを使用した自動テストなどをソフトウェア開発組織として実践することは、今日では、その開発組織の技術的な強みではありません。 それらを実践しないことが、ソフトウェア開発組織の「弱み」なのです。また、組織としてそれらの実践を推進しない、あるいはサポートできないマネージャも「弱み」となります。さらに、大規模なソフトウェア開発組織においては、それらのためのインフラ整備をプロジェクトごとに立ち上げなければならず、サポート部門が存在しないことも弱みとなります。※1 ※1 プロジェクトを始めるごとに、ソースコード管理やJenkins用のサーバの調達、OSから様々なツールのインストールを一通り行うためには、それなりの時間を要します。したがって、バックアップをも含めて環境

    継続インテグレーションは強みではなくなった: 柴田 芳樹 (Yoshiki Shibata)
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    dentomo0 2012/11/02
  • 本当に技術職を続けたかったの?: 柴田 芳樹 (Yoshiki Shibata)

    当は技術職を続けたかったけど、会社の制度上仕方なくマネージャになった」という人で、当にソフトウェアエンジニアとしてソフトウェア開発を続けたかったの?と疑問符が付く人が多いです。ソフトウェア開発業界が面白い点の1つは、絶えることなく新たな考えやソフトウェアが登場することです。 したがって、会社ではマネージャ職であって直接手を動かして開発していなくても、学ぶことはたくさんありますし、自分が開発業務では経験しなかった概念や手法は書籍を通して学び続けることができます。 私自身は、直接自分で開発を行っている期間、コンサルテーションなど中心として、直接は開発していない期間を繰り返してきています。 1984年8月~1996年8月 開発していた期間 1996年9月~2003年1月 マネージャ、コンサルテーション等 2003年2月~2009年8月 開発していた期間、技術教育、マネージャ 2009年9月

    本当に技術職を続けたかったの?: 柴田 芳樹 (Yoshiki Shibata)
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    dentomo0 2012/06/27
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