A scholar in his niche. Trinity College, Cambridge (2010) 2008年、このブログを書き始めた頃、読者の方からの質問に答える形で、「大学院教育で何ができると、人が育ったと言えるのか」という論考を書いた。気がつけば、もう18年前になる。 kaz-ataka.hatenablog.com 日米双方の研究大学の大学院に身を置いた目から見ると、日本の大学院における博士号と、米国のPhDは、かなり異なるものを指しているのではないか。そう整理したのが、2008年のあの論考だった。 日本では博士号は、ともすれば、大学院に入り、長い時間研究を続け、論文を書き、学会で発表するなど、研究者になるための「十分な経験」を積んだことを示す資格として受け取られる。何ができるようになったかというより、いわば、一定の苦労のチェックリストを一通り終えたことが重く見られ

