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2012年10月3日のブックマーク (3件)

  • 47NEWS(よんななニュース)

    被災地支援団体「チーム中越」、2月6日に能登半島地震での活動報告会 新潟長岡市、防災を考えるトークセッションも

    47NEWS(よんななニュース)
  • 規制委揺るがした8日間/「赤旗」排除撤回 世論が追い詰めた

    原子力規制委員会が大迷走の末、ついに「しんぶん赤旗」の記者会見排除方針を撤回しました。排除の理由がクルクル変わり、初めに「赤旗」排除ありき、の道理のなさが浮き彫りになるなか、国民の批判の声が日を追って拡大していました。 特定の主義主張遠慮を ネット沸騰 「公正中立のもとに報道いただくため、特定の主義主張を持った機関の機関紙はご遠慮いただきたい」 9月25日、紙が規制委の記者会見への参加を求めたことにたいする原子力規制庁政策評価・広聴広報課の回答は、驚くべき内容でした。規制庁は原子力規制委員会の事務局を担う組織。回答では、さらにフリーの記者による会見参加についても「特定の主義主張を持って書かれている方はご遠慮いただいています」と述べ、憲法が禁止する検閲まがいの行為まで示唆しました。 紙は翌26日付で「『特定の主義主張 ご遠慮いただく』 原子力規制委が取材規制」の見出しで報道。するとたちま

    規制委揺るがした8日間/「赤旗」排除撤回 世論が追い詰めた
  • ネットで読める李容洙氏証言 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    李容洙氏の証言はネット上では二次強姦魔による誹謗中傷ばかりで、そもそもの発言内容を検索で調べようとしてもなかなか見つけられない状況です。実際の証言内容よりもそれを中傷した便所の落書きの方が検索上位に来る状況はさすがに異常だと思いますので、ネットで得られる信頼できるソースを挙げておきます。この他にもあればお知らせいただけると幸いです。 2005年同志社大学での証言 2007年米下院公聴会証言_事前資料 2007年米下院公聴会証言_口頭証言 上記は同志社大学のサイトと米政府のサイトがソースです。 この他に新聞記事などもありますが、字数の制約かあまり詳細ではなく省略されていると思しき箇所も多いです*1。 信憑性を損なうレベルの差異はありません 李容洙氏が自宅から連れ去られたのは1944年秋で帰宅したのは戦後1946年春です。表現方法はいくつかありますが、基的にこれは変わっていません。 連行時の

    ネットで読める李容洙氏証言 - 誰かの妄想・はてなブログ版