沖縄県宜野湾市立普天間第二小学校の校庭中央付近に13日午前10時15分ごろ、上空から1メートル四方ほどの窓状のものが落下した。米軍関係者は、米軍普天間飛行場に所属する海兵隊のヘリコプターの一部であると明らかにした。
沖縄県東村高江での米軍ヘリ炎上事故を受け、県が抗議のため在沖縄米軍トップのニコルソン四軍調整官(中将)を県庁に呼び出しているが、米軍側が応じない状態が続いている。米軍は「大きな被害が出た訳ではない」と難色を示しているという。
【恩納】沖縄科学技術大学院大学(OIST)と県衛生環境研究所のチームがハブ毒のゲノム(全遺伝情報)を初めて解読し、4日発表した。えさを捕まえるのに有利な強い毒だけでなく、弱い毒も次世代に受け継ぎながら進化しており、それが偶然の働き「遺伝的浮動」に基づくことを明らかにした。
沖縄県の中城村議会(伊佐則勝議長)は3月定例会最終日の22日、オスプレイの飛行再開に対する抗議決議と意見書の両案を全会一致で可決した。
防衛省幹部によると13日夜、沖縄本島東沖合でオスプレイ1機が海上に不時着したとの情報が米軍を通じてあった。防衛省関係者によると、オスプレイは普天間飛行場所属で、搭乗していた5人は14日午前0時ごろに米側が全員救助したという。2人がけがをしている模様だ。
沖縄出身の脚本家、故金城哲夫さんが「ウルトラマン」を誕生させてからちょうど50年。特撮の円谷プロで1歳下の金城さんと苦楽を共にした後フリーになり、ウルトラヒーローシリーズ3作目「帰ってきたウルトラマン」を手掛けたのが、同郷の上原正三さん(79)だ。 2人のウルトラマンは対照的。金城さんが近未来のファンタジーとして描いたのに対し、「帰ってきたウルトラマン」は放送時の、1971年の東京が舞台。スモッグの空や工場地帯、ヘドロの海が戦いの場になり、時に怪獣よりも恐ろしい人間の心の闇もテーマになった。 特撮界に多大な足跡を残した上原さん。ウルトラマンと並ぶ特撮ヒーロー、仮面ライダーの誕生にも関わったというから驚きだ。米軍占領下の沖縄から上京し脚本家になるまでのいきさつや、ウルトラシリーズ屈指の異色作「怪獣使いと少年」に込めた願い、故郷・沖縄への思いまで、語ってもらった。(聞き手・磯野直) ■疎開船と
〈大雨の要因は?〉沖縄本島地方では、本島北部を中心に11月9日(土)未明から10日(日)の朝にかけて大雨が続いています。本島北部では9日(土)に線状降水帯が発生し、沖縄本島地方には9日(土)午前0時から10日(日)正午時点で短時間大雨情報が18回発表されています。11月にこの大雨は異例のこととです。 大雨の要因として、9日(土)は湿った空気の流れ込みがメインでしたが、10日(日)は沖縄本島の北の海上に低気圧が発生し、大雨を強化したと考えられます。また、フィリピンの東には台風23号があって、その周辺の暖湿な空気も流れ込んでいるのかもしれません。沖縄本島の北の海上にある低気圧は次第に沖縄地方から離れていく見込みですが、10日(日)の夕方ごろにかけて引き続き土砂災害などに警戒が必要です。 〈一連の大雨に伴う記録的短時間大雨情報の発表〉※発表の新しい順ごとに掲載していますが、解析時間が順でないもの
畜産業 ヤギ 経済 2014年12月末時点の県内ヤギの飼養頭数は、前年13%増の8855頭 ヤギ料理で血圧上昇のうわさを否定する研究発表以降、単価上昇 県畜産課は繁殖技術の開発や経営モデルの作成などを実施する 沖縄県農林水産部の島田勉部長は25日、県議会の代表質問で、2014年12月末時点の県内ヤギの飼養頭数が8855頭で、前年から13%増えたことを明らかにした。金城勉氏(公明県民無所属)に答えた。頭数は近年、減少傾向にあったが、ヤギ肉の需要が伸びる中、「増頭する農家や新たにヤギを飼う農家が出てきた」との見方がある。県も頭数増に向け、繁殖技術の研究などに取り組む方針だ。 【関連記事】ヤギ肉「血圧上げない」原因は料理の塩(2014年1月23日) ヤギの飼養頭数は10年に9871頭、11~12年は8千頭台に減少。13年も7773頭まで落ち込んだが、14年で増加に転じた。 14年1月、琉球
「沖縄戦」に向けた一つの大きな出来事であった「10・10空襲」から80年目を迎えた。「10・10空襲」とは、米軍機の集中攻撃により沖縄県の県庁所在地であった那覇中心部の9割が消失し、1400人が死傷した出来事だ。 私がこの記事で注目したのは、語り手の島袋俊子さんが、一高女時代に、軍に供出するコンペイトーを作ったことを「軍のお役に立ててうれしかった」と語っていたところだ。教育によって、島袋さんは「軍国少女」になり、「何でも素直に『はい』と言って、国のためと思えば犠牲になるのも苦ではなかった」と振り返っている。 誰しも一定の集団や組織に貢献することに誇りを感じることはあるだろう。私も高校の野球部のときに、試合に勝って流れた校歌に喜びを感じたことがある。無論、当時と現在とでは事情が異なるものの、学校教育によって「国」のやることは正しいと教え、生徒がそれに奉仕することは素晴らしいことだと教えれば、
「沖縄戦」に向けた一つの大きな出来事であった「10・10空襲」から80年目を迎えた。「10・10空襲」とは、米軍機の集中攻撃により沖縄県の県庁所在地であった那覇中心部の9割が消失し、1400人が死傷した出来事だ。 私がこの記事で注目したのは、語り手の島袋俊子さんが、一高女時代に、軍に供出するコンペイトーを作ったことを「軍のお役に立ててうれしかった」と語っていたところだ。教育によって、島袋さんは「軍国少女」になり、「何でも素直に『はい』と言って、国のためと思えば犠牲になるのも苦ではなかった」と振り返っている。 誰しも一定の集団や組織に貢献することに誇りを感じることはあるだろう。私も高校の野球部のときに、試合に勝って流れた校歌に喜びを感じたことがある。無論、当時と現在とでは事情が異なるものの、学校教育によって「国」のやることは正しいと教え、生徒がそれに奉仕することは素晴らしいことだと教えれば、
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