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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/matsuiism (3)

  • 国土開発計画をめぐって - heuristic ways

    このところいろいろと忙しく、なかなか腰を据えてを読む余裕がないが、少しずつ鎌田慧『六ヶ所村の記録――核燃料サイクル基地の素顔』上・下(岩波現代文庫、2011年、原著1991年)を読み進めている。 とりあえず、1「開発前史」から4「開発幻想」まで読んだところだが、ここまでは1970〜71年頃の取材記事が基になっているらしい。 鎌田氏は1970年3月、「あるちいさな経済雑誌の依頼で、この基地の町で突如としてはじまった開発ブームを取材するため」に、青森県三沢市を訪れる。その前年、69年5月末に閣議決定された「新全総」(新全国総合開発計画)では、「一方、小川原工業港の建設等の総合的な産業基盤の整備により、陸奥湾、小川原湖周辺ならびに八戸、久慈一帯に巨大臨海コンビナートの形成を図る」という二行で、この地域の将来がラフにスケッチされていた。  迂闊なことに、私は先日図書館で鎌田慧・斉藤光政『ルポ 下

  • 足尾鉱毒事件と水俣病 - heuristic ways

    石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』(講談社文庫)の中に数ヵ所、足尾鉱毒事件への言及がある。 昭和三十八年、石牟礼氏は小冊子「現代の記録」を出し、「水俣はじまっていらいのチッソの長期ストライキ、その記録」を書くが、資金難のため「一冊きりで大借金をかかえる」(p 299)。その後に、「それから、足尾鉱毒事件について調べだす。谷中村農民のひとり、ひとりの最期について思いをめぐらせる」という文がある。 「あとがき」では、足尾鉱毒事件谷中村残留民の高田仙次郎のエピソード*1に触れ、「私はこの章のある「思想の科学」日民主主義の原型特集号(一九六二年九月号)を座右にひきよせ、水俣病にかかわる自己の対話のよすがとしている」と記している。「谷中村の怨念は幽暗の水俣によみがえった」と石牟礼氏は見ていたのである。 第七章「昭和四十三年」の「いのちの契約書」という節には、氏が西日新聞に書いた「まぼろしの村民権

  • 田中正造について - heuristic ways

    城山三郎『辛酸』は、宗三郎が準備した野天風呂に入るために「真裸になった」田中正造が、「ほおっ、ほおう、と吠えるような声を立て」る場面から始まる。なぜこんな場面から書き始めるのか、最初は首をひねったが、やがてそれが、家屋を強制破壊されて、ほとんどホームレスに近い状態に置かれた谷中村の残留民たちの苛酷な暮らしぶりを鮮明に浮かび上がらせる巧みな導入部であることがわかる。やがて雨が降り始めると、萱(かや)で編んだ網代(あじろ)を屋根代りにかぶせただけの穴ぐらに住む宗三郎の六人家族は、雨漏りを避けるため、一しかない傘の下に一家六人が頭を突っ込まなければならない。そして正造は、素裸のまま風呂から出てきて、同じような境遇にある残留民たちの安否を心配し、蓑(みの)を借りて廃村の残留民を一戸一戸訪ねて廻るのである。 そこには、ユーモラスなようでいてどこか厳粛なものがあり、過酷な条件下にありながら意外に飄々

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