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写真散歩に関するdiscoverekijiのブックマーク (22)

  • 吉備真備、箭田大塚古墳(倉敷市真備町) - 夫婦写真散歩のススメ

    山陽道をめぐる旅の第二回、前回の倉敷市美観地区に続き、 倉敷市真備町、町名の由来 歴史上の人物が町名に採用された場所、岡山県倉敷市真備町を歩いてみましょう。 大東亜戦争後の六町村合併で誕生した岡山県吉備郡真備町は平成の大合併で倉敷市に編入し、 現在もこの土地が生んだ奈良時代の偉人、吉備真備の名前が町名に残されています。 日の古代国家形成に大きな役割を果たし、日史上のスーパースターともいえる吉備真備に関する史跡をめぐる今回の旅ですが、まずは彼とこの地の歴史を語る時に欠かすことはできない、山陽道、七道について、歴史を遡ってみましょう。 日の古代国家形成と山陽道 今からおよそ1,300年前、古代日において律令制国家が形成されていきます。後に奈良時代と呼ばれる頃の話です。 大陸文化を積極的に学ぶために行った遣隋使、遣唐使の派遣はそれに関わった人々が命を懸けて進めた外国との交流によって、天平

    吉備真備、箭田大塚古墳(倉敷市真備町) - 夫婦写真散歩のススメ
  • 倉敷美観地区歴史散歩、小堀遠州の国造りと山田方谷が断行した藩政改革に学ぶ。

    倉敷美観地区の歴史 倉敷川の流れに沿って白壁の建物が立ち並び、美しい掘割りがあり、柳の並木が風に揺れる倉敷美観地区。 歴史文化の保存、町並み整備を全国の自治体の中でも先端を走って推し進め、他のお手となってきました。 世界的にも有名な「大原美術館」を筆頭に数多くの文化施設があり、私設の美術館、記念館をあわせると一日ではとても回りきれません。 江戸時代、幕府の天領地として生活物資の集散地であった商都、倉敷。 そこには豪商たちが育んだ旦那文化やこれぞまさにMade in Japanという手仕事の伝統と気風が街並みにも反映され、さらには趣きを残した町屋、古民家再生も50年前から取り組んできた長い歴史があります。 瀬戸内の温暖な気候と情緒豊かな古き良き日の空気が体感でき、一年に数回訪れても飽きることなく散策を楽しめる倉敷美観地区周辺を今回はご紹介します。 美しい町並みはどうやって今日に至ったの

    倉敷美観地区歴史散歩、小堀遠州の国造りと山田方谷が断行した藩政改革に学ぶ。
  • 浄土宗特別寺院栃社山誕生寺(岡山県久米郡久米南町)

    夏の訪れを告げる草花の香りを運ぶ風。 人々が豊かな自然に寄り添うように暮らす街を歩けば、風薫り、季節が移り変わることに気付く感覚も磨かれ、こころも潤います。 鎌倉時代、日文化の大転換期 日歴史を振り返ってみるときに、大転換期と呼んでも過言ではない時期がいくつか存在します。 政治史、民衆統治の歴史からみても、社会史、思想史の観点から見ても、古代から中世へと大きく舵を切った平安時代後期から鎌倉時代は日文化の大転換期であったといえるでしょう。 中世前期、つまり13世紀以前の社会はいま私たちが暮らす時代に存在する尺度や常識はまったく通じません。 いうまでもなく、暮らしのあらゆる様相、識字率しかり、流通情報量しかり、労働や生産のシステムしかり、さらには世界観や価値観すら、いまと同じではありません。 それはあたかも異国の社会の出来事のように異なるものであったと理解しておくことを前提にしなければ

    浄土宗特別寺院栃社山誕生寺(岡山県久米郡久米南町)
    discoverekiji
    discoverekiji 2019/10/20
    勉強になりました。史跡めぐりで日本の歴史と日本人の祈りを知ることができますね。分かりやすく整理して教えてくれる良い記事です。
  • 讃岐高松城址(玉藻公園) - 夫婦写真散歩のススメ

    瀬戸内の青い空、穏やかな海、多島美。 今回は瀬戸大橋線で岡山駅から高松へと渡った一人旅の記憶をご紹介します。 讃岐の魅力 屋島をはじめとする源平古戦場、金刀比羅宮、善通寺、特別名勝栗林公園などの名所旧跡。 源平合戦「3D立体」地図 (別冊宝島) (別冊宝島 1843 ノンフィクション) 宝島社Amazonこの地に流された崇徳上皇伝説、菅原道真伝承などの歴史ロマンの舞台でもあり、怨霊になった天皇 (小学館文庫) 作者:竹田 恒泰小学館Amazon弘法大師空海、平賀源内、菊池寛と多士多彩の人物を輩出した歴史文化。空海 作者:三田 誠広作品社Amazon草学者 平賀源内 (講談社選書メチエ) 作者:土井 康弘講談社Amazon近現代でも讃岐=香川県、小豆島を舞台にした「二十四の瞳」、名曲「瀬戸の花嫁」といえば一定の年齢以上の方々には思い出深い作品でもあるでしょう。 木下惠介生誕100年 「二

    讃岐高松城址(玉藻公園) - 夫婦写真散歩のススメ
  • 墨東雪景色&探梅記(隅田川七福神巡り) - 夫婦写真散歩のススメ

    春の行楽、そのはじまりといえば、梅祭り。 暦の上では春とはいえ、まだまだ寒さ厳しい冬でもあるこの時期。 写真撮影を愛する散歩好きにとっての楽しみは、やはり探梅記ということになるでしょう。 枝ぶり、可憐な花びら、馥郁と薫る春の訪れを告げる匂い。 そんな梅の香を味わいながら、元気にさまざまな古蹟を訪ね歩く夫婦写真散歩。 墨東雪景色 今回は記録的な大雪に見舞われた墨東の週末散歩をお届けします。 言問橋から白鬚橋方向を望む隅田川の雪景色 伊勢物語のなかで詠まれた和歌にその名の起こりがあり、 新版 伊勢物語 付現代語訳 (角川文庫 黄 5-1) 作者:石田 穣二KADOKAWAAmazon在原業平作と伝わる和歌を由来とした言問橋を渡ると、伊勢物語 ビギナーズ・クラシックス 日の古典 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス) KADOKAWAAmazon源頼朝ゆかりの神社、牛島神社の端正に整備

    墨東雪景色&探梅記(隅田川七福神巡り) - 夫婦写真散歩のススメ
  • 出雲大社、日本神話の歴史を学ぶ旅(島根県出雲市)

    縁結びの神様、国造りの神として知られる大国主大神を祀る出雲大社(いずもおおやしろ)。 出雲大社、平成の大遷宮 現在の殿は延享元年(1744)に造営されたもので、その後、文化6年(1809)、明治14年(1881)、昭和28年(1953)と3度にわたり遷宮・修造が行われています。そして今年、平成25年(2013)60年ぶりとなる「平成の大遷宮」が行われました。 日の神々のルーツ、60年ぶりの大遷宮! 出雲大社のすべて (別冊宝島 1913 カルチャー&スポーツ) 宝島社Amazon 遷宮とは何か? 遷宮とは社殿の新築、修造などにあわせ、ご神体を新しい殿に移す「神様のお引っ越し」です。 その目的は大きく分けて三つあるといわれています。 木造建築の建物を維持していくため 社殿建築など様々な技術を継承していくため 神社は清浄であることが必要なため、社殿がよみがえることで、神様の威力が甦る 八

    出雲大社、日本神話の歴史を学ぶ旅(島根県出雲市)
  • 金龍山浅草寺(聖観音宗総本山) - 夫婦写真散歩のススメ

    東京都内最古の歴史を持つ浅草寺。今回は国内最大級の年間参拝客数を誇り、別名「浅草観音」とも呼ばれる浅草寺をご紹介します。 観光都市「浅草」は東京スカイツリーの開業にあわせ進められた周辺地域再開発によって、さらに国内外の観光客を集め、経済効果を中心に注目が集まることでさらなる投資を引き出すという好循環を生み、黄金時代を迎えています。 東京スカイツリーの経済効果と萬人の浅草 2012年5月に開業した東京スカイツリータウン・ソラマチへの来場者数が当初の予想を遥かに超え、事業計画も四半期毎に上方修正を繰り返し、開業一周年で5,080万人を突破しています。 こうした経済効果は 東京都内の主要ホテル19の客室稼働率が13カ月連続で前年同月を上回る はとバスが運行するスカイツリーの展望台入場券付きツアーの年間平均乗車率は90%を超える 少子高齢化で人口減少が叫ばれる中、周辺地域への人口流入も増え、5%増

    金龍山浅草寺(聖観音宗総本山) - 夫婦写真散歩のススメ
  • 備中国足守藩史跡散歩、緒方洪庵と適塾が育んだ幕末維新の人材

    山陽道を歩く歴史散歩の第三回。今回は小藩ながら岡山県だけにとどまらず、日における近代化の歴史に深く関わる功績を残し、重要な人物も輩出した備中足守藩、現在の岡山市北区足守にある史跡を訪ねます。 備中足守藩の歴史 備中足守藩は関ヶ原の戦いの後に備中国賀陽(かや)郡・上房郡の一部を領地に二万五千石を与えられた尾張・杉原家出身の木下家定が初代藩主です。 この木下家定は豊臣秀吉の正「北政所(ねね)」の実兄で、彼の五男は小早川家に養子に出された戦国武将として名高い小早川秀秋です。 大河ドラマや歴史小説にも数多く登場する秀吉の正室、ねね(北政所・高台院)と木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)はこの時代にはたいへん珍しい恋愛結婚であり、ねねの実家である尾張・杉原家の方が結婚時には格式も身分も上でした。 織田信長に仕え、戦国時代という下剋上、乱世を生き抜き、ついには天下人となった秀吉から尾張・杉原家は木下姓に改

    備中国足守藩史跡散歩、緒方洪庵と適塾が育んだ幕末維新の人材
  • 宮沢賢治のふるさと、イーハトーブの森を歩く。 - 夫婦写真散歩のススメ

    宮澤賢治37年の人生 1896(明治29)年2万人の犠牲者を出した「明治三陸地震」の2カ月後に岩手県花巻市に生まれ、1933(昭和8)年病床で「昭和三陸地震」に遭遇し、その年、37年の短くも烈しい人生の幕を閉じ、この世を去った「宮澤賢治」。 東日大震災後、改めてその存在が注目される国民的作家、宮沢賢治(名:宮澤賢治)は数多くの評伝や遺族、友人知人の証言などからも多感な少年時代を過ごしたようです。 宮澤賢治の青春 病気などの理由で屈とした青春時代を送ることになり、けっして優秀とは言えなかった盛岡中学での生活でも、進学を許されてからの集中力は凄まじく、名門盛岡農林学校(現在の岩手大学農学部)に首席入学を果たし、優秀な学生として卒業後、研究生としての在学も認められるほどになります。 県立花巻農学校に就職 就職は現在の県立花巻農学校で教師として、ユニークな授業の実践など豊かな教育活動を展開し

    宮沢賢治のふるさと、イーハトーブの森を歩く。 - 夫婦写真散歩のススメ
  • 名主の滝公園 - 夫婦写真散歩のススメ

    夏空は毎日、さまざまな姿を刻一刻と変化させながら、 朝な夕なに、夏が好きな人のこころに、多くの記憶を刻んでいることでしょう。 墨東の朝、夏空 朝日が描く雲の虹化粧 夏、青空と雲の記憶 日々の泡もストレスも入道雲と 深く濃い空の青みを眺めることで溶かしてしまいましょう。 墨東の夕刻、夏空と虹 こころの印画紙に焼き切れないほどの記憶は写真に収める、 そんな楽しみがまだまだ味わえる2012年、夏。 一方残暑が厳しく、東日でも各地で水不足も懸念されています。 皆さんがお住まいの地域ではいかがでしょうか。 農作物への影響が心配ですが、災害が起こらない程度の恵みの雨が恋しいと思いつつ、 前回に引き続き、新緑の季節北区王子を散歩した記憶をお届けします。 名主の滝公園 東京都北区まちづくり部 道路公園課 公園河川係 http://www.city.kita.tokyo.jp/docs/facility/

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  • 成田山新勝寺(千葉) - 夫婦写真散歩のススメ

    「成田屋!」という威勢の良い掛け声、沸き起こる喝采。歌舞伎の屋号、その始まりともいわれる名跡「市川團十郎」の屋号であります。 初代市川團十郎の父・堀越重蔵は成田山新勝寺に近い下総国埴生郡幡谷村に住んでいて、新勝寺とは少なからず縁があったといいます。 子宝に恵まれなかった初代市川團十郎が、父由縁の成田山に参籠して、世継ぎ誕生を不動明王に祈願をしたところ、見事その翌年、元禄元年 (1688) に二代目團十郎を授かります。 二代目はすくすくと健やかに成長したので、初代團十郎はこれに感謝して、元禄八年 (1695) 山村座で『成田不動明王山』を上演します。 当時、正義の若武者が豪快に立ち回る「荒事」は江戸庶民の絶大な人気を博し、荒事の創始者初代市川團十郎の文字通り千両役者の活躍によって、見事大当の演目となり、舞台には銭10貫もの賽銭が投げこまれ、大向うからは「成田屋!」という掛け声が掛かったといい

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  • 水戸偕楽園 - 夫婦写真散歩のススメ

    墨東から北へ約100km。昨年よりも早く北上する桜前線を追いかけて四月第一週の土曜日、水戸偕楽園に向かいました。 水戸偕楽園 水戸といえば梅ですが、桜の時期に偕楽園を訪問したことがなかったので、今年は是非にと思っておりました。 水戸偕楽園、遅咲きの紅梅 バラ科サクラ属の紅梅、息を呑むほど色鮮やかな赤です。 それでは順を追って、バーチャルお散歩とまいりましょう。 JR水戸駅前 JR水戸駅に到着すると、まずは水戸黄門さま、助さん、格さんの像が駅前で迎えてくれます。 水戸徳川家、初代当主、徳川頼房と二代目徳川光圀 名君の誉れ高き徳川光圀は徳川家康の十一男、水戸藩初代藩主、徳川頼房(諡号:威公)の第三子としてこの世に生を享けます。 しかし、生まれて間もなく「その赤ん坊は必要なし」と判断され、家来に預けられてしまいます。生まれながらのお殿様ではなく、きわめて複雑なお家事情のなか、その人生は始まります

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  • 建長寺(鎌倉五山第一位) - 夫婦写真散歩のススメ

    抜けるような青い空。10月の三連休ともなれば、陽射しも秋へと移り変わり、柔らかいラインライトが美しい季節です。 三回目を迎えた「武家の古都鎌倉を歩く」をテーマにした夫婦写真散歩。 臨済宗建長寺派大山、巨福山建長興国禅寺 この日の古都鎌倉は時折心地よい風が谷戸を吹き抜け、歩く楽しみを満喫できる陽気でした。 今回は臨済宗建長寺派大山、「巨福山建長興国禅寺」(通称:建長寺)をご紹介します。 休日にも関わらず、鎌倉学園の学生たちが溢れる天下門に着き、 建長寺天下門 案内板を眺めます。いくたびも地震、火災による焼失を乗り越え、再建された伽藍配置を確認します。 建長寺伽藍配置図 隣接する鎌倉学園といえば、桂米丸落語芸術協会最高顧問や堺正章さん、桑田佳祐さんをはじめ、プロ野球選手、文化人、政治家など数多く輩出した中高一貫の進学校。 I LOVE YOU -now & forever- (完全生産限定

    建長寺(鎌倉五山第一位) - 夫婦写真散歩のススメ
  • 夏越の大祓(白鬚神社)、半夏生、墨東花暦(向島百花園) - 夫婦写真散歩のススメ

    夏至から七夕へ。 一年で一番昼が長く、雨の似合う花の咲く季節。 農事暦でみても、この日までに田植えを終わらせる重要な節目ですね。 今年もちょうど半分、折り返し地点となりました。 夏越の大祓@白鬚神社(向島) 半年詣りはちょうど一年の半分を過ぎた日に、過ぎた半年の厄、災いを祓い、無事を感謝すると共に、残る半年の無病息災、健康を祈り、神社におまいりする習俗、ならわしです。 夏越の大祓(なごしのおおはらへ)とも、水無月大祓(みなづきおおはらへ)とも言い、日常知らず知らずのうちに犯し、身に付いた罪・けがれ・災いを「人形・ひとがた」に託して、茅の輪をくぐり、心身を清め、残る半年を新たな清々しい気持ちで日々過ごすことができるように、無事安全、無病息災を祈る伝統行事です。 歴史を遡ると、奈良時代にはじまったと記録が残るこの神事。701年、大宝律令によって定められた宮中の公式行事でした。以来100年近くは

    夏越の大祓(白鬚神社)、半夏生、墨東花暦(向島百花園) - 夫婦写真散歩のススメ
  • 目黒川歴史散歩(目黒不動尊、大円寺五百羅漢石仏群) - 夫婦写真散歩のススメ

    目黒川歴史散歩 白金台から続く台地は目黒駅を南端に、一気に南へ下ります。 その非対称形の谷間を目黒川が流れています。 「この谷は江戸から大正にかけて都心と郊外を分ける自然的境界となっていた」と日地名大辞典に書かれていますが、 角川日地名大辞典13【プリントオンデマンド版】 作者: 角川日地名大辞典編纂委員会出版社/メーカー: KADOKAWA/角川学芸出版発売日: 2009/10/23メディア: 単行この商品を含むブログ (1件) を見る江戸時代、このあたりは将軍の御鷹場があり、江戸市中から比較的近い距離にある桜や紅葉の名所としての「夕日の岡」が有名でした。 高層ビルが林立する現在からはまったく想像もつきませんが、歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれているように江戸時代の目黒川周辺は江戸市民の日帰りで楽しめる行楽地でもあり、江戸後期、嘉永期の古地図でも確認してみると田畑が広がる農村

    目黒川歴史散歩(目黒不動尊、大円寺五百羅漢石仏群) - 夫婦写真散歩のススメ
  • 富士山 - 夫婦写真散歩のススメ

    謹んで新年のお慶びを申し上げます。 昨年は多くの方々にお世話になりました。 ありがとうございます。 2013年(平成25年)、年の初めに、日を代表する山、「富士山」をお届けします。 富士河口湖から眺める日の出前 日最高峰の独立峰にして、その美しく、神々しい姿は数々の芸術作品に影響を与え、古くから神聖視され信仰の対象にもなってきました。 日文学史においても数多くの作品が残されています。 まずはお正月にふさわしく富士山を真正面から堂々ととらえた最初の作品を味わいます。 萬葉集に収められた山部赤人によって詠まれた有名な長歌、その反歌です。 山部赤人 万葉集巻の三(317) 題詞 山部宿祢赤人望不盡山歌一首[并短歌] 原文 天地之 分時従 神左備手 高貴寸 駿河有 布士能高嶺乎 天原 振放見者 度日之 陰毛隠比 照月乃 光毛不見 白雲母 伊去波伐加利 時自久曽 雪者落家留 語告 言継将徃 不

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  • 二の丸庭園(皇居東御苑) - 夫婦写真散歩のススメ

    皇居東御苑、二の丸庭園の魅力 日庭園作庭の伝統「回遊式」 土を盛った築山や岩組で雄大な山岳風景を表現したり、大きな滝や渓谷があるかと思えば、そこから流れる水は大海(=大泉水)に。 大海を池で表現し、そこに島々を浮かべてみたり、土、植物、石、水といった自然素材を使い、実在する景勝地をそっくり縮めて表現してみせたりと日庭園には自然の風景を造形化しようとしてきた作庭の伝統があります。 その日庭園が世界に誇る様式のひとつは「回遊式」ということです。 ゆったりとした曲線の園路がその自然の縮景を縫うように設計され、歩めば歩むほど次々と景観が変化し、訪問者を楽しませてくれます。 明治初期に来日し、東京大学で建築学を教えたイギリス人ジョサイア・コンドル氏は日庭園の特徴を「日の庭園はこの国の風景の再現である」とその著書で語っています。 ジョサイア・コンドル 作者:建築画報社建築画報社Amazon

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  • 2012年夫婦写真散歩総集編 - 夫婦写真散歩のススメ

    今週のお題、「2012年、どんな年だった?」とはてな様に問われ、 この一年を振り返ってみます。 メインテーマは「歩く速さで街を丁寧に眺める」こと。 こころとカラダを動かしながら、発見や気付きによって、どんどん気持ちが澄んでいく。 時に慌ただしく、時に穏やかに、 流れの速さも、変わらない何かも、 感じ取るこころに起こる粒だった感情が交差する瞬間を丁寧に味わった一年でした。 春夏秋冬、風味絶佳 春は梅の香りから。 さくらの化粧咲き。 椿咲く春。 夏はその青みにこころ洗われ、 天空を彩る花火の「一瞬」の輝きに今年涙とともに見送った人を想う。 秋は錦織りなす自然の営みと 秋桜。 「冬はつとめて」。早朝の光と凍る水に、時の流れを味わう。 花鳥風月 源平桃の艶やかで、初々しい姿。 江戸三大祭りのひとつ山王権現、赤坂日枝神社境内の藤の花も美しく。 山形の野に咲くアザミ 山梨県南都留郡「西湖いやしの里根場

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  • 清澄庭園(東京都江東区) - 夫婦写真散歩のススメ

    回遊式築山林泉庭園、清澄庭園 江戸・東京の名園を歩くシリーズも五回目。 今回は江戸時代の造園手法が明治時代に引き継がれ、洗練され完成した名石の庭・清澄庭園をご紹介します。 清澄庭園は大泉水、築山、枯山水を主体とした回遊式築山林泉庭園です。 まずはその歴史から紐解いていくことにしましょう。 清澄庭園の歴史と岩崎彌太郎 江戸幕府老中・下総国関宿藩主、久世大和守広周下屋敷時代 さまざまな伝承が存在しますが、歴史資料による確実な記録をもとにお話しすると、この地は江戸時代二度幕府の老中という要職に就いた下総国関宿藩主、久世大和守広周に拝領され、享保年間(1716〜1736)に下屋敷として三つの池を持つ庭園として造成されました。 そのなかで最も大きな池(大泉水)が現在の清澄庭園の主役である広々とした池に転用されています。 岩崎彌太郎造成「深川親睦園」 現在の清澄庭園が生まれる直接のきっかけは、三菱財閥

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  • 浅草寺駒形堂・鎮護堂・浅草神社(三社様) - 夫婦写真散歩のススメ

    前回に引き続き、江戸・東京随一の古刹「金龍山浅草寺」寺域を歩きます。 浅草寺ご尊示現の地「駒形堂」 浅草寺のご尊は隅田川から示現され…、という縁起は前回も詳述しましたが、まずはご尊示現の地、現在の駒形橋近くに立つ「駒形堂」からご紹介してまいりましょう。 寛永三名妓、高尾太夫の名句と「伊達騒動」の真実 「君はいま駒形あたりほととぎす」 これは吉原の花魁、高尾太夫が仙台藩主・伊達綱宗におくったと世俗に伝わった句です。 高尾太夫とは吉原のなかで最も有名な花魁で、その名にふさわしい遊女が現れると代々襲名された名前です。吉野太夫・夕霧太夫と共に三名妓(寛永三名妓)と呼ばれています。吉原三浦屋に伝わる大名跡でした。 世に名高い「伊達騒動」を題材にした読や芝居で伝わった高尾太夫と伊達綱宗公の有名なエピソードとは、陸奥仙台藩主・伊達綱宗の意=身請けに従わなかったために、高尾太夫が三叉の船中で惨殺さ

    浅草寺駒形堂・鎮護堂・浅草神社(三社様) - 夫婦写真散歩のススメ