アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。 続きです。 私たちは、取材で浮かび上がった情報を、CGにしてみました。 揚子江岸に建っていた、中国軍の海軍施設です。 16日の昼間、日本兵がやって来て、コンクリートの壁に、いくつもの穴を空けました。 そこに機関銃を設置。 銃口は、揚子江側に向けられています。 そして、夕暮れを待ちます。 あの上等兵の日記には、 『捕虜せし支那兵の一部5千名を、揚子江の沿岸に連れ出し』 《声》歩兵第65聯隊元第三機関銃隊兵士: 「捕虜が、歩かされてやってきたんですよ、夕方暗くなってきて」 後ろ手に縛られた捕虜たち。 揚子江とトーチカのようになった建物に挟まれ、逃げ場はありません。 そして、合図で始まる一斉射撃。 山砲兵第19聯隊上等兵の日記 『その後、銃剣にて、思う存分に突き刺す』 『一人残らず