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ブックマーク / plagmaticjam.hatenablog.com (9)

  • フェミニズムについて - メロンダウト

    草津の件がまた話題になっていたのでひさしぶりにフェミニズムについてです。 現代フェミニズムとはいったいなんだったんだろうか・・・ 「草津町に来て謝るべきでは」虚偽認定された性交渉証言に苦しんだ黒岩信忠町長の怒り㊤ - 産経ニュース 「世の中はひどい…言われっぱなしだ」性交渉証言に苦しんだ黒岩信忠草津町長の怒り㊦ - 産経ニュース 草津オープンレターの件からずいぶん経つけれどいまだに話題になっている。 私たちは、研究・教育・言論・メディアにかかわる者として、同じ営みにかかわるすべての人に向け、中傷や差別的言動を生み出す文化から距離を取ることを呼びかけます。 「距離を取る」ということで実際に何ができるかは、人によって異なってよいと考えます。中傷や差別的言動を「遊び」としておこなうことに参加しない、というのはそのミニマムです。そうした発言を見かけたら「傍観者にならない」というのは少し積極的な選

    フェミニズムについて - メロンダウト
    djsouchou
    djsouchou 2024/05/02
    少なくとも(仮に不安からの)防衛反応であろうと、絵ごときに激昂したりTERFと接続してる手合いはナシだよなぁ。特に後者は明確な差別じゃん
  • 物語をあてがわれるということ - メロンダウト

    ゲームオブスローンズ最終章でティリオン・ラニスターが「この世界で最も強いものは物語だ」と言っていた。最近、この言葉をとみに思い出す。 安倍元総理銃撃事件から一か月以上経ち、山上容疑者の生い立ちや境遇に同情する声が聞かれるようになってきている。いわく「山上は烈士である」「山上は現代のジョーカーである」など彼の物語に同情する声が少なくない。最近は山上ガールズなども出てきているみたいである。統一教会との関係も引き合いにしながら自力救済に至るしかなかった彼の境遇に同情が寄せられるのは自然といえば自然ではあるのかもしれない。 しかし思い返すに、僕たちはいつだって物語に振り回されてきた。昨今のフェミニズムに代表されるような女性の物語、SDGsのような地球の物語、弱者男性論などの男性の物語、戦争、差別など物語を導線に人が集まり群れをなすことでなにか大きなものが形成されていった。他人と物語を共有することで

    物語をあてがわれるということ - メロンダウト
    djsouchou
    djsouchou 2022/08/14
    昨今のMCバトルも出場者の『物語(消費)』で成り立ってる側面がある、と感じる
  • 憂国のフジロック~オーバーポリティクスと政治的個人主義~ - メロンダウト

    切り込み隊長がフジロックに関する記事を書いていた。 bunshun.jp フジロックに限らずここ一年でコロナの感染リスクは「比較」され続けてきた。夜の街、パチンコ店、飲み屋、職場、福祉施設、満員電車、五輪などなど。そして自粛要請に沿ってコロナを抑えてきたこれまでとは違い、緊急事態宣言は事実上ほとんど機能しなくなってきている。 そんな状態でことさらフジロックだけを槍玉にあげることにどれほどの意味があるのだろうか。例年であれば自分もフジロックやサマーソニックに足を運ぶ人間で、どういう場所かわかっているけれど、感染リスクだけで言えば飲み屋や職場のほうがそのリスクは高い。 例年のような歌って踊って騒いでという状態であれば糾弾されてもしょうがないとは思うけれど、ライブ映像で確認した限りどのステージもそのような状態ではなかった。ライブが終わればお客さんは散開するうえ、屋外での感染リスクは室内よりも低い

    憂国のフジロック~オーバーポリティクスと政治的個人主義~ - メロンダウト
  • 無党派層叩きで儲けたい - メロンダウト

    かの事件は特異な個人の暴走として処理したほうが良いと思うけれど、事件とは無関係に男女の対立論が社会不安を引き起こしかねないレベルまできているように思う。トイアンナさんが以下記事で「嫌韓はその流行が終わり、女叩きがビジネスとして勃興してきている」と書いていた。 note.com 記事の総論としては賛同しかねる部分があるけれど、ジェンダー論がビジネスになっているのは事実としてそうなのだと思う。あるいは政治そのものがビジネスとなっている。 フェミニズム騎士団しかり、自らの糧を得るためにハリボテの思想を掲げ、それによって社会が右往左往するのはこの上なく不毛なわけであるが、しかしそういう不毛さが現実に社会を変えていっている。右左、男女に限ったことではない。少なくない人々がアイデンティティーポリティクスの餌となっている。ネトウヨ、リベラル、そして男と女。どの釣り針にいつくのかは、いってしまえば偶然

    無党派層叩きで儲けたい - メロンダウト
    djsouchou
    djsouchou 2021/08/12
    何にせよ、党派性の奴隷にはなりたくないわな
  • 反インターネット論者としてのひろゆき - メロンダウト

    2ちゃんねる創設者のひろゆき(敬称略)がインフルエンサー2位になり、政府に助言したと話題になっている。賠償金云々の問題は脇に置いておくとして、なぜ彼があそこまでウケているのだろうか。 個人的に、ひろゆきは反インターネット論者だと思っている。ひろゆきほどに日のインターネットを代表する人間はあまりいなく、彼をネット論客として見る向きもあるけれど、むしろ逆なのではないだろうか。 近年、ネット上ではエコーチェンバー(先鋭化)現象が事を欠かず、政治的な議論においては党派性に埋没したものを多く見かけるようになった。ツイッターをはじめとしたネット空間でのそれは多くの人から見ると「近づきたくないもの」に成り果ててしまったのだろう。下手なことを書けば立花や福永や「は」の人に訴えられてめんどくさいことになる。君子危うきに近寄らずではないが、政治や議論が党派性に吸収されるとNoと言うことすらできなくなり、しま

    反インターネット論者としてのひろゆき - メロンダウト
    djsouchou
    djsouchou 2021/06/28
    閉塞した言論空間の救世主としての西村博之論、と読んだ
  • 「この指とめよう」批判撲滅キャンペーンとリベラルの独善性 - メロンダウト

    一般社団法人 「この指とめよう」 指一で、 人は人を追い込むことができる。 だから、指一で、 人を救うこともできるはずだ。 いやまあ普通に考えて指一で人を救うことができるわけないのだけど、こういうのがウケることがリベラルのなんたるかをよく表しているなと思う。実態をすっ飛ばしてコピーライティングによって動員をかけ連帯する集団憐憫の極致みたいなものに成り下がってしまったんだろうな。当に残念だと思う。リベラル来こういうものじゃなかったはずなんだけどそんなこと言っても今やむなしく響くだけである。 「誹謗中傷が駄目」は普通に考えて正しいのだけどもはや正しい正しくないの議論ではなくなっている。リベラルのそれは。よく注意して見るべきだけれど、正しさを言い出す人って正しいことを言うことが人にとって都合が良いことがほとんどだったりする。 誰にとってその正しさが都合が良いのか考えればわかりやすい

    「この指とめよう」批判撲滅キャンペーンとリベラルの独善性 - メロンダウト
  • 政治的立場にグラデーションがあることを許せない人々 - メロンダウト

    前々回の記事が広く読まれたみたいで、ツイッターのフォロワーも100人ぐらい増えたのですが、それとは別に左翼であろう人からDMで白饅頭氏の肩を持つなという長文DMが寄せられてきてかなり困惑しました。晒したりはしないですけど。 こんな泡沫ブロガーにDMするほどの布教活動なんてやってるから左翼は支持されないっていう記事をまさに書いたわけだけど、なぜそこまでして自分達の政治的立場の正しさを喧伝しようと思うのか、そこからしてわからないんですよね。 当たり前すぎる話ですが、政治的立場といっても個々の人間にはグラデーションがあり、ある側面では極端に保守的な考え方をする人もいればその逆もいます。それぞれの人間が考えていることは全然違うし、一人の人間の考えにさえ矛盾や捻じれがあって当たり前なのがまず前提として共有されていなければ「話にならない」だろうというわけですよ。 こういう風に書くと無謬性に依った冷笑系

    政治的立場にグラデーションがあることを許せない人々 - メロンダウト
    djsouchou
    djsouchou 2021/04/02
    首肯しながら読んだ。何遍でも書くが思想信条は個々人の人品・人格の担保にはならないんですよ
  • 市民感覚としての白饅頭、知性主義の限界、経験の抹殺 - メロンダウト

    呉座氏の炎上の件で白饅頭氏が話題だけど、個人的に彼は市民感覚の人といった印象を持っている。市民感覚的リベラルとでも言えばいいのか、現代ビジネスの記事等を読んでいると市民の感覚を言語化することに長けている印象を受ける。政治的なことを市民感覚と織り交ぜながら書いているので、いわゆるリベラル知識人にとっては癪にさわるように見えるのかもしれない。知識人がポピュリズムを批判するのと同じで、市民感覚に沿ってポピュライズドされた氏の記事が知的なものだとは言いたくないのであろう。一部のリベラル知識人に見られるものだが、市民を啓蒙するのは我々リベラルだという特権意識が見え隠れする時がある。 そういった、知性主義とでも呼ぶべき態度はたとえば私のような泡沫ブロガーでも感じるもので、知は知として専門的であり体系的でなければならないといった空気は厳として存在する。たとえば、白饅頭氏がよく批判しているフェミニズムにつ

    市民感覚としての白饅頭、知性主義の限界、経験の抹殺 - メロンダウト
    djsouchou
    djsouchou 2021/03/26
  • 人に物語を見なくなった世界で - メロンダウト

    コードが違う。それがシロクマさんの記事を読んだ感想だった。スタンスとしては清潔感や正しさの敷設への疑義という点で僕もシロクマさんと同様の感想を持っている。 p-shirokuma.hatenadiary.com コミュニケーションをしなければ人のことなど何もわからないという人間社会の大前提を忘れているような気さえしてきた。結婚している人間は幸せで非モテは不幸という至極単純化された論争がちょっと前のインターネットにあった。あの時にも思ったがそんな単純化できるほど人間は簡単に規定できるものではない。みんなそんな幸せにだけ生きてるわけではないし不幸だけで生きてきたわけでもないだろう。というか非モテであろうとモテていようと質を別のところに求めようとしなければどうして人を人として見ることができようか。非モテかどうかなんてどうでもいいだろそんなことと当時は思ったものだ。 どうでもいいんだよ。タバコを

    人に物語を見なくなった世界で - メロンダウト
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