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2009年11月2日のブックマーク (5件)

  • 池内了『疑似科学入門』を読む 2009-11-01 - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」

    学部のゼミのM君がゼミ論文のテーマを「疑似科学と呪術」とするというので、ゼミで発表してもらいました。その発表のなかで、「疑似科学」とは何かということを説明するのに、M君が池内了さんの『疑似科学入門』のなかの分類を批判的に紹介してくれたのですが、「ん?」という疑問符でいっぱいになったので、早速このを注文して読んでみました。その結果、頭の中の疑問符はもっと増えました。 私は、疑似科学(似非科学・ニセ科学)というものは、「マイナスイオン」とか「ゲーム脳」とか「電磁波の害」といった、「科学を装っているが科学的方法に基づいていない言説」のことを指すのかと思っていました。しかし、池内さんはそう思っていないようです。このでは、疑似科学を3つに分類しています。 《第一種疑似科学》 現在当面する難問を解決したい、未来がどうなるか知りたい、そんな人間の心理(欲望)につけこみ、科学的根拠のない言説によって人

    池内了『疑似科学入門』を読む 2009-11-01 - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」
  • 日本が未来に生きるために日本語を改変する - 狐の王国

    国家生き残り戦略としての日語リストラという記事。 いい記事だと思う。協和語再来と見る向きもあるようだが、実際の提言を見るとそれとはだいぶ違う。 2. ひらがなだけを残し、カタカナは廃止。(中略)当に外国語であることを強調する必要があるなら、アルファベットでそのままスペルする。 特にこれはとてもいい習慣で、実際に技術文書なんかではそういう書き方をしてる人も少なくない。いちいちカタカナにしてしまうとスペルがわからなくなっちゃうし、英語はたいていの言葉をスペルできるのだからそれで書けばいい。 例えばいろいろ批判のあるいわゆる「カタカナ語」だが、別に俺はそんなに抵抗が無い。というのも中途半端に翻訳するより元の言葉をそのまま使った方がいいという考え方に賛同するものがあるから。 やりすぎてルー語みたいになっちゃうとかいうけど、ルー語もalphabetで書けばいいじゃん? 元記事の冒頭をルー誤変換し

    日本が未来に生きるために日本語を改変する - 狐の王国
    dlit
    dlit 2009/11/02
    IPAを世界公用文字にして文に必ずグロスを付けるようにすれば初見のどんな言語でもたちまちわかるように。
  • 国家生き残り戦略としての日本語リストラ - michikaifu’s diary

    我が家の息子たちが、「日語を母国語として勉強する学校」から「外国語として習う学校」に移ってから2ヶ月。いろいろ目から鱗なことがあって、面白い。 そこでつらつら考えるに、ニッポンの「国語なんたら審議会」には刺客を送り込まれ、全国の国語の先生たちからはカミソリを送られてきそうなことなのだが、「国家百年の計」を考えると、ここでおもいっきり、日語の言語体系を大幅リストラして簡素化することが、国家戦略として正しいんじゃないかと思えてきた。 なぜかというと、このままで行けば、ありとあらゆる面で日中国に負けることはまちがいない。あちらのほうが人口多いし、それは仕方ないんだけど、そのあと「成熟国」としてこの先どうまともに生きて、1億もいるぜいたくに慣れた人口(この先減るにしても)を養っていくかと考えると、やっぱり「ブランド維持」が必要。そのためにすべきことはいろいろあるんだけど、「対中国語」という

    国家生き残り戦略としての日本語リストラ - michikaifu’s diary
  • アニリール・セルカン - Wikipedia

    アニリール・セルカン(Anılır Serkan[注釈 1]、1973年3月22日 - )は、トルコ系日人。工学者(建築学)を自称して、かつて東京大学大学院工学系研究科で助教を務めていたが、不正な手段によって博士号を取得したとして学位が取り消された[2][3]。 インフラフリーの学位取得論文に関して、後年の調査により全376ページのうち149ページに盗用が見つかり、2010年3月2日に学位剥奪処分を下された。この処分は東京大学としては史上初めてのことであった。この処分が報道されると、セルカンはブログで声明を発表し、この論文の問題点について「論文と参考文献のリストが照合できるよう番号を振る必要があるのに、それが振られていなかったという僕の単純なミスにより、コピーだと言われている」[4] との説明を行った。しかし東京大学では単なる出典不記載だけでなく盗用や改竄があったと指摘しており、公式発表

    dlit
    dlit 2009/11/02
    ブコメを先に読んで覚悟して開いたけど甘かった/筑波大学で講演をした時にここに載っている色んな経歴が紹介されていて悲しすぎるのだが今からでもそこにも[要出典]と書きくわえたい。
  • 「よろしかったでしょうか」についてちょっとだけ(むしろ情報求む) - 誰がログ

    ※相変わらず長い上にホントまとまってないです。 最近なんだか色んな言語系の人に読んでいただいているようで、言語ネタを書くのはもはや論文を書くより気が重いような気もするのですが。と一応恒例の言い訳をしておいて恥を晒す覚悟で書いてみます。 結構盛り上がってたみたいなんですが僕が最初に読んだのは以下の記事。 「よろしかったでしょうか」はやはりよろしくない - Living, Loving, Thinking で、その後これが↓元ネタらしいと気付きました。 これでも「よろしかったでしょうか」を認めない奴は何が不満なんだ! 実はそのNHKの番組はちょっと見ていたんですけど(というか見てたら勝手に始まった)すぐに変えてしまいました。井上史雄先生とか出てくるんだったらもうちょい見ておけば良かったかなー ちなみに個人的な内省を書いておくと、まあまあ許容する方かと思っています。たとえばハンバーグを注文したと

    「よろしかったでしょうか」についてちょっとだけ(むしろ情報求む) - 誰がログ
    dlit
    dlit 2009/11/02
    皆さん情報提供&コメントありがとうございます。a-geminiさんのコメント(高橋某氏のお言葉)と「言葉の正しさ」みたいなものについては改めて書きます。