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2015年07月30日00:00 カテゴリ折々の記(学校・教育)日本語ノート(言葉の力) 某言語学辞典の見本ページを見て… 某出版社が新しい言語学辞典を出すという。興味本位に、インターネット上にPDFで掲載されている本文の見本ページ(2ページ)を見てみた。そして思った。「どうして、こうも《暗いイメージ》の用例が頻出するのだろう」と。次を見ていただきたい。赤字箇所(山岸)がそうである。 【基本語順】基本語順(basic word order)とは、 ある言語における主語(S)、目的語(O)、 動詞(V)の無標の語順を言う。たとえば、 英語ならJohn hit MikeのようにSVOの語順 をとるが、日本語は「梅田くんが青山くんを 殴った」のようにSOVである。 語彙的使役構文(例:Mary killed John)は分 析的使役構文(例:Mary caused John to die) より
英語が公用語として使われていると聞くと、国民の多くが英語を話すというイメージを抱く人も多いだろう。 実際、日本でも2000年に英語の第二公用語化が論じられたことがあり、この議論でも英語公用語化は日本人総バイリンガル化と同一視されていた(「21世紀日本の構想」懇談会最終報告書にはまさに「日本人全員が実用英語を使いこなせるようにする」という文言がある。) 御存知の通り、インドの公用語も英語である。インドの人々とビジネス等で議論したことがある人のなかには、彼ら彼女らの凄まじく流暢な英語に驚いた人も多いだろう。こういった「英語=公用語」および「インド人ビジネスパーソン」のイメージから、インド人は皆(と言わないまでも多くの人が)英語を話せると考える人がいても不思議ではない。 しかしこれは実態とは異なる。2005年に実施されたインド人間開発調査(IHDS-2005)では英語力が尋ねられていたので、その
国立大に人文社会・教員養成系学部の廃止などを求めた国の通知について、2千人以上の研究者でつくる日本学術会議が7月31日、討論会を開いた。「現実の問題に対処できる教養は人文系の学問で育つ」など国への批判的な意見が相次ぐ一方、「人文系の有用さについて研究者が発信を怠った結果」との指摘もあった。 会員の大学教授ら約370人が参加。酒井啓子千葉大教授(中東研究)らが「日本から海外へ優秀な研究者が流出しかねない」「『すぐに役立つ学問』がもてはやされる社会全体の風潮を危惧する」などと発言した。 文部科学省は6月、全国立大学に特色の明確化などを促す通知を出し、特に人文・教育系学部について「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に取り組むよう」に求めた。
http://www.scj.go.jp/ja/event/pdf2/215-s-1a.pdf 文部科学大臣は去る6月8日、各国立大学法人に対して、「国立大学法人等の組織及び 業務全般の見直しについて」の通知を行ないました。そこでは、国立大学法人の組織の見 直しにさいして「特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえ た組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り 組むよう努めることとする」とされています。このことがわが国における人文・社会科学 のゆくえ、さらには国公私立を問わず大学のあり方全般にどのような影響を及ぼすか、 また今後、人文・社会科学はいかにあるべきか、どのような役割をはたすべきかについて、 緊急に討論を行ないます。 日本学術会議が主催する公開
前回は、内田樹先生に『下流志向』のその後の若者についてお伺いしました。今回は、日本企業が若者とどう付き合うべきか、というテーマでお話を頂きます。また、大学3年生がちょうど就職活動時期に入ったということで、就職活動の若者たちにアドバイスも頂きました。 うちだ・たつる。1950年東京生まれ。1975年東京大学文学部仏文科卒業。1982年東京都立大学人文科学研究科博士課程中退。東京都立大学人文学部助手、神戸女学院大学文学部総合文化学科助教授、教授を経て、2011年に退職。同年、神戸市に武道と哲学のための学塾凱風館を開設。主著に『ためらいの倫理学』(角川文庫)、『レヴィナスと愛の現象学』、『他者と死者』(文春文庫)『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)、『死と身体』(医学書院)、『街場の教育論』(ミシマ社)など。『私家版・ユダヤ文化論』で第六回小林秀雄賞、『日本辺境論』で第三回新書大賞、2011年
菅裕明他『研究する大学――何のための知識か』岩波書店,pp. 165-195. *草稿なのでコメントあればお願い致します. 基本的には,人文学(と自然科学)が分離し,対立していく歴史を辿りながら,「人文学は,速度と効率を優先させる市場価値には還元できない別次元の価値が厳として存在することを、『スローサイエンス』の旗印のもとに積極的に言挙げすべきなのである」(pp. 186-187)と論じている.わりと共感できる部分は少なくないのだが,気になる点も多い.以下にそれを列挙する. 野家のイメージする人文学の狭さ どう見ても野家のイメージする人文学は狭すぎるように思われる(あるいは,多様なものでない).たとえば,野家によれば,「人文学の研究成果が論文の改訂を経て書物としてまとめられるまでには、通常二、三年を要する」(p. 186)という.また,この論文の位置づけは,「人文学では論文は書物となる前段
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