脊髄反射的な記号に 「軍歌を歌う幼稚園」のおかげで、「教育勅語」がひさしぶりに話題だ。 戦後「教育勅語」は、保守派によって定期的に再評価されてきた。それは、憎むべきライバルとして「教育基本法」が存在したからである。 保守派は「教育基本法」を排撃しようとして「教育勅語」を持ち出し、革新派は「教育勅語」を振り払おうとして「教育基本法」を擁護した。 だが、こうした保革対立は、いつしか「教育勅語」と「教育基本法」を脊髄反射的な記号に変えてしまった。保守派なら「教育勅語」に賛成、革新派なら「教育基本法」に賛成、というように。 「軍歌を歌う幼稚園」の「教育勅語」暗唱などは、その果てに発生した珍現象のひとつであろう。 とはいえ、「教育勅語」と「教育基本法」ははじめから対立関係にあったわけではない。その歴史をひもといてみよう。 教育基本法「押し付け」論は間違い 「教育基本法」は、占領下の1947年3月に公