どうやら東京オリンピックのデザイン関係で揉めてるみたいだけどよく分からん。 誰か詳しい人説明してよ。
ninicosachico.hatenablog.com 自分の場合、別にNMBもAKBもそんなに興味がない上に「ドリアン少年」をざっくり聴いたらいつもの秋元康で「あぁ、またかよ」って感じだったんですが。 で、記事を読んだらツッコミどころ満載だったので 「記事よりコメ欄の方が役に立つ」 と言うメタブでコメントをつけたら非表示にされた。 そうですか。 では、コメントではなくブログで書きますね。 ※コメントは削除しました。 【スポンサーリンク】 概要 まず元記事が長いので要約を。 この記事は 0.アイドルソングと懲戒免職された教師の逸話 1.ドリアン少年という歌の歌詞がひどい ※根拠 ①女の子同士の友情をナメてる ②言ってることとやってること(やらせてること)の矛盾 2.AKB総選挙について 3.アイドルが水着になる是非 大きくこれくらいに別けられる。 が最も重いのは 3.アイドルが水着になる
昨日からずっと長渕のことばかり考えていたらまだ書ける。 考えてみたら今回のオールナイトライブはかなり特殊な面があります。 たとえばフジロックは今年3日間で115,000人を動員。 ですが、3日参加もいれば1日参加もいて、目当てのバンドのタイミングに合わせて朝早くから来る人もゆっくりめで来る人もいる。目当てが終われば大トリまで観ずに混む前に帰ろうという人もいれば、翌日のテントサイト撤収までゆっくりする人もいる。入場も退出も個々人の思い思いでもってバラバラで、それでもピークタイムはかなりの混雑というそんな状況。 が、今回のふもとっぱらは、メインアクトの開始も終了も全員にとって全く同じタイミング。最初から最後まで長渕しかいないんだから当たり前だ。時間の都合がつかない人が後から来ることがあるという程度で、全員のタイムラインがほぼ同じという他に全くもって類を見ない大規模ライブ。 何でこんな無謀なこと
長渕剛の富士山麓10万人オールナイトライブ、窮地か。 このサイトにアクセスすると開くポップアップ画面の文面から叫びのような、すがるような思いが透けて滲んできて、心を打つと同時に、本当にかなりよろしくない状況なのではないかという不安が。そりゃもう必死なんだ。もう長渕と主催のキョードー東京だけの話じゃないんだもの。 JTB。 会場は一番近くの駅から直線距離で10km、かつその駅と会場の間には1,964mの毛無山。道がある駅からだと最寄駅で20km先という立地。真っ当なアクセス道路はさして広くもない国道のみという道路事情のためステージ近辺までの自家用車使用は不可。したがってどんな状況であろうと来場する人間はJTBのツアーいずれかの購入が必須、ただでさえ最近は手配が厳しくなっているバスと運転手、JTBはこの夏休み時期にそれこそ必死になってかき集めたはず。10日まで売っていた全国53カ所からのシャト
久しぶりに裁判傍聴して来ました。今回は大学の後輩を道連れにして。 この時期の東京地裁は夏休みの親子連れとか学生が多かったです。 自由研究かな? 確かに無料だし、勉強になるしいいよね。特に覚せい剤の裁判なんて、捕まった人をリアルに見れるし、証人で被告人の親が泣いて謝ってるのとか見ると覚せい剤はダメ!絶対!て思うし、良い教育になるざますね。 そんな中、私は子どもには見せられない強制わいせつの裁判を傍聴してきました。 意外にも被告人は爽やか系の長身イケメンでした。マギー審司がイケメンになった感じ(あれ、それイケメンかな) 被告人は、路上で深夜に酔っ払ってる女性を見つけナンパをしたそうです。 女性は最初、無視をしましたがあまりにもしつこいので偽名を使い連絡先を教えました。 被告人は、これはイケる!!!と勘違いして路地裏に連れ込みました。 嫌!やめて!という被害者のことを、ナンパ師は嫌よ嫌よも好きの
夜、電話が鳴らない。僕から掛けようかとも思うのだが、なんだか掛けづらい。僕から掛けても、いつものように繋がらないかもしれない。家族に詮索されたくないからといい、普段彼女は外などから電話を掛けてくる。 夜中になって、彼女から電話があった。僕は嫌な予感がしてしょうがなかったが、家族に詮索されないように、皆が寝静まるまで掛けなかったのだ、と僕にしてはできる限りポジティブに考えてることにして電話にでた。 でると、何か彼女の様子がおかしい。僕がもしもしと呼びかけても応えず、なんだかずっと黙っている。これはやっぱり別れを切り出されるのかと思うと(ただ電話で話をするだけの間柄なのだが)、「だましてないよね」と静かな声で僕にいきなり言ってくる。何のことだか僕にはさっぱりわからない。 その後も、彼女は呼びかけても何か考えごとでもしているのかあまりちゃんと応えない。僕はこういうときどうしていいのかわからないの
最近ちょこちょこと東京に行ったり、お盆で帰省するツイッターのタイムラインを眺めていたりすると、改めて思うことがある。それは、わたしには帰る場所がない、ということ。 両親とも名古屋生まれ名古屋育ちのため生まれてこのかた帰省したことがないだとか、生まれ育った家は取り壊されていて今はないだとか、同居する親との折り合いが悪いだとか、そうしたことではない。その取り壊された家に住んでいたのは中学3年を半分過ぎた頃だったんだけど、その家に住んでいた頃から、「わたしの帰る場所はここじゃない」と思っていた。学校に行き、帰宅し眠る。その日常の行動の中で歩く一歩一歩に、「帰る」「場所が」「ない」という思いがまとわりついていた。 これはたぶん、わたしが根無し草気質だからだと睨んでいる。学校にしろ会社にしろそれ以外の所属にしろ、あんまり長くひとつのところにいられない。直近で勤めていた会社は大きくしっかりしたところで
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く