タグ

2007年3月19日のブックマーク (6件)

  • 20円を騙し取ったときのこと

    小学校1年生のとき、カードダスっていうガチャポンのカード版みたいなのがスーパーの入り口にあった。 何を思ったのか俺は店員に「金を入れても出ない」と言いに行った。店員は俺に一枚分の20円をよこした。 それをカードダスの機械に放り込んだかどうかはもう覚えてない。 翌日俺が家に帰ると母親がマジギレしていた。一緒にいた友達が電話したようだった。過去最大級の怖さだった。 俺はその店に謝りにいかされた。狭い部屋に案内された。じきに30代位の店長らしき人がやってきた。 心臓が縮みきってマジ泣きしてる俺が泣き止むように肩に手を置いて、その人は優しく声をかけてきた。 色々話していたが、その人は「今回の件で私は正直なところ、あまり困ったり傷ついたり悲しんだりしてない。」 「君や私よりずっとつらい目にあった人がいる。それは誰だと思う?」と問いかけた。 俺は正直まったくわからなかったが、その人の目線を追ってみると

    20円を騙し取ったときのこと
    doggylife
    doggylife 2007/03/19
     母親を傷つけた自分というのは、なかなか許す事が出来ない。
  • 私は祖父に溺愛されていて、私も祖父を溺愛していた

    ある日突然あなたのおじいちゃんよ、と母が私に年老いた男性を紹介した。 父・母・私の典型的核家族の中に、ぽんと老人が混ざった。 痩せぎすの体と日に焼けた顔、まるで猿のようだなとぼんやりと思っていた。 それが5歳の冬の出来事。 詳しい事情は大人の中で掻き消されてしまったから 何故祖父と同居することになったかは未だによくわからない。 とりあえず祖父は母の弟夫婦に追い出された、と言うことだけは理解した。 祖父は頭が悪い人だった。 足し算引き算がギリギリできる程度の人で、でも私のことを溺愛してくれていた。 だから私も祖父が大好きになってしまった。 小学校の高学年に上がる頃、祖父が急に痩せだした。 痩せぎすだった体はもっともっと細く棒きれのように貧相になり 日に焼けた褐色の肌は土気色に変化していた。 不審に思った母が病院に連れて行った所、末期の癌だと宣告された。 肺癌。 ヘビースモーカーだったからかも

    私は祖父に溺愛されていて、私も祖父を溺愛していた
  • いい育て方というのはなんだろう

    http://anond.hatelabo.jp/20070318213321 子供に嫌な思いをさせたくないだとか、自分がいやな思いをしたくないだとかで、 子供に「暖かくなり始めたばかりのストーブ」に触らせる教育がなくなってきているように感じる。 塀の上を歩く子供も居なければ、勝手に人の庭に入り込んでくる子供も居ない。 見知らぬ人に怒られる子供は社会から育てられる。 怒られない子供はおそらくは一人の母親だけの価値観で育てられる。 価値観の共有できない社会ほどいき辛いものは無いのかもしれない。 もしかしたら今はそういう社会なのかな? 子供がキャッキャと騒いで、それを、うるさいぞーー!と、軽く叱るぐらいの社会にしたい。 実は、なにより自分がキャッキャとはしゃぎたい。

    いい育て方というのはなんだろう
    doggylife
    doggylife 2007/03/19
     子供を育てる環境として、孤立した核家族は本当に無理があると思う。
  • 貧乏を実感するということ

    僕が生きてきてふと思ったこと。 人は自分の周りが起こったことしか実感できないんだなということ。 僕は貧乏だった。 だけど、子供のときは周りはさらに貧乏だったから気にはならなかった。 外でたまに行く中華料理屋がすさまじくご馳走だった。(今思うと王将レベルですらなかったように思うw) いつも着る服もぺらぺらだったなw。 コロッケとかには、ソースをどばどばかけて、おかずが少なくてもご飯をいっぱいたべれるようにとか。 だけど小学生のときはみんな貧乏だったから、自分が貧乏とかそういうことは気にならなかった。 中学のときは弁当のおかずが梅干となんとなくあともう一品。 家の事情で高校にいけないやつもいた。 そういう感じだった。 だけど、こうこうに行くと他の学区と混ざることになった。 その時点で、自分の話をするとネタ状態になった。 真剣に話すとどん引きだ。 大学にいくと、さらに実感する。 大学であった人

    貧乏を実感するということ
  • 上機嫌に生きること

    今日は天気がよくて、めずらしく上機嫌に過ごすことができた。 料理して家族とべて、歩いて散歩に行って、夕飯のお買い物して帰ってきただけで何もなかったけど、当に楽しい日だった。いつもこんな風に上機嫌に過ごしたいと思う。たとえ不幸な日にも。 不機嫌でいることは自分や自分の人生や精神や周りの人や生活のすべてを少しずつだめにしてしまうような気がする。 モーツァルトをとても尊敬している理由のひとつに、いつも上機嫌だったっていうのがある。(もちろんあんなに美しくて神々しい音楽を作ったということもそうだけど) 吉田秀和の『モーツァルトの手紙』を読むとわかるけど、モーツァルトはいつも上機嫌だった。モーツァルトは傍からみて必ずしもいつも幸せだったというわけじゃないのに。お金がなくて借金を重ねて、スポンサーに意地悪されて、バカにされたりしても、それでもいつも上機嫌で、仕事をして、しかも家族を愛して、そう手紙

    上機嫌に生きること
  • わたしのかぞく

    わたしはとてもあたたかい家庭で育った。 私は家族を愛している。 私は両親に感謝している。 私の両親は仲がいい。 私の父は私に似て(逆か)偏屈だし空っぽだし人の話は聞かないくせに自分の話は聞いてもらいたがる褒めてもらいたがりの構ってちゃんでおまけにのんべえである。 そんな父は職場でも敵を作りがちである。 私はそんな『私そっくり』な父にフクザツな感情を抱かないでもないのだが、母はそんな父を愛しているようだった。 『生まれ変わっても結婚する』とかいうような事をこの前も(冗談めかして、ではあるが)言っていた。 ふたりの距離感はとても絶妙な気がする。 付かず、 離れず。 正直うらやましい。 私の母は愛にあふれた女性である。 私や父や姉だけでなく、私の友達にも、分け隔てなく接してくれる。 私が友人や彼女を連れてくると(私がちょっと恥ずかしくなるくらい)すごい勢いで喜んでおもてなしをする。 私はそういう

    わたしのかぞく