2010年12月29日のブックマーク (3件)

  • ニーメラーさんの皮肉 - opeblo

    鏡の中の石原慎太郎 - シートン俗物記 この詩において、「規制反対派」は自分たちを詩の中の“共産主義者”、つまり最初の被迫害者に擬えているようだ。つまり、「他人事だと思うなよ。自分たちだってそうなるぞ」と。 しかしだね。実際には、「規制反対派」は“私”、に擬えられる存在なんだわ。 もう既に石原慎太郎によって攻撃された人々はいるのだから。 ニーメラーさんの詩が持ち出される時、多くの場合は自分を最初に攻撃された「共産主義者」だと見なしているわけですが、詩に出てくる「ナチ党」の様な存在は攻撃が大好きな人達ですから、大抵は既に今までにも他者を攻撃してきています。石原都知事の例で言えば、彼の都政の教育・青少年施策に限定しても、養護学校における性教育や君が代を演奏しない教師等、攻撃の実例を挙げる事ができますし、限定しなければ更に多くの実例を挙げる事ができるでしょう。 その様に他者が攻撃されてきた中で、

    ニーメラーさんの皮肉 - opeblo
  • 教育は投資か問題(by Stanley Fish) - Living, Loving, Thinking, Again

    Stanley Fish*1 “The Value of Higher Education Made Literal” http://opinionator.blogs.nytimes.com/2010/12/13/the-value-of-higher-education-made-literal/ スタンリー・フィッシュ先生、今年10月に英国政府に提出された高等教育改革案”Securing a Sustainable Future for Higher Education”*2を批判する。フィッシュ先生によれば、この報告では高等教育は最早「公共財(a public good)」として捉えられておらず、高等教育の「価値」は高収入の職に雇用される可能性の増大に、高等教育への学生の参加はそうした自らの「被雇用可能性」のための「個人的投資」に還元されてしまっているという。また、それは「被雇用可

    教育は投資か問題(by Stanley Fish) - Living, Loving, Thinking, Again
    dohenkutsu
    dohenkutsu 2010/12/29
    近年の(新自由主義的な)合理化の動向は、もはや社会の存続基盤を自ら破壊していく方向に作動しているとしか思えない。自らの脚を喰らっていくタコは最後には消えてしまうはずだが、人間社会の場合はどうなのだろう
  • 信頼できる専門家 - dongfang99の日記

    自分が信頼できる専門家というのは、その議論において「誠実」で「良識」のある人である。素朴なことを言っているようだが、これは極めて質的なことで、自分も素人なりに金融政策や年金制度などに関するを読んだりはしているが、結局のところよくわかっているわけではない。業績も地位もある経済の専門家が目の現れて「日では金融政策はもう効かない」と力説されたら、こちらは黙って立ちすくむしかない。だから説得力の決め手になるのは、その人が批判に対して誠実に応答しているとか、物事がバランスよく見えているとか、人間観が深くて鋭いとか、社会のなかの排除や暴力に対して真摯な憤りがあるとか、結局のところそういう部分になる。 例えば、竹中平蔵氏は多くの人から嫌われているが、別に彼の経済論が嫌われているわけではない。5年にわたって経済政策の当事者だったにも関わらず、経済問題について評論家然と語り、起こっている問題は全て「改

    信頼できる専門家 - dongfang99の日記
    dohenkutsu
    dohenkutsu 2010/12/29
    "経済学と福祉の間の矛盾はお互いの専門分野で議論されていることを尊重するという以外になく、それができなければ専門家としての信頼性を失うことがどうしてわからないのか不思議" 界の力学(ブルデュー)の為せる業?