ほかのデザイナーとは別ルートへ 本来望んだものではなかったにしても、自ら身を投じたラグジュアリーブランドのデザインの世界。窪田礼子さん(仮名)にとって、それはどのようなものなのだろうか。 「仕事は面白いのですが、自分の生活レベルと違う人のための物を作るので、ちょっと無理がありましたね。200万円を、2万円感覚で使う人たちのためのものですから。何とか頑張って、絵がうまいというだけで乗り切ってきた感じです」 窪田さんは期せずして、社内の他のデザイナーとは異なる道を歩むこととなった。1986年、総合職となり異動となったのは、新事業を統括する部署だった。ここでは事務作業から商品の企画まで任された。 その後もデザイナーではあるが、百貨店の外販員など外部の人間に、自社の商品の特徴を説明する仕事も任された。 「他のデザイナーには全くそんな仕事は求められないので、私は変な人扱いの枠なのかと思っていましたが